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身近な暴力から遠い暴力まで

 アメリカの大学内で史上最悪の銃撃事件が昨日報道された当初は、「ほら、やっぱり銃規制しないから。アメリカだからね。」なんて思っていたのに、同じ日の夜に自分の生きている国で市町村のトップに立つ人が銃撃されて亡くなってしまったなんて、銃規制のある日本も銃規制のないアメリカも変わらないじゃないかと思ってしまった。殺されてしまった人の遺族にとったら、誰が一緒に殺されようが悲しみの重さに変化はないだろうから、一気に殺されてしまう人数が多いとか少ないとかの問題じゃないと思う。国内の事件の方は暴力団員で、なんだか「それで市長を殺すの?」と疑問符が永久につくような理由をのたまって犯行声明までしているけれど、理由の軽さと犯行声明の大袈裟さから、自分の背後にいる巨悪を覆うためにしている偽装工作で、本当の悪魔は後ろにいるんじゃないかと疑う。
 個人的に長崎市が好きだ。最初に訪れたのは、5年位前。そして、2回目は数年前の日本動物実験代替法学会でだ。クリスチャンの私としては、迫害を受けた隠れキリシタンの人たちが殉教した地なんてもう彼らの胸中を思っただけで倒れそうになるほど重かったし、原爆が落ちた地点に立ったときは頭が真っ白になってしまった。それでも今の長崎市は西洋的なものと日本的なものが不思議に混じっていて、落ち着いていて、それでいて活気もあって、大好きだ。長崎駅前の景色はとてもはっきりと思い出せる。そこで空港行きのバスに乗り降りしたし、喫茶店でお茶したし、露天でお土産買ったし、映画館にも入った。よく覚えている大好きな場所で起こった事件だけに本当に辛い。
 真っ先に思ったのは、暴力団許すまじ、そして、その背後にいる奴らはもっと許すまじということだ。けれど、暴力団に入る人は生い立ちが不幸であった人も多いという。(だからと言って、不幸な生い立ちの人が必ずしも暴力団に入っていくわけではないから、素質もあるんだと思うけれど。)私たちは日常で何気なく傷付け合っているけれど、そんな社会に生きている一人ひとりが間接的な加害者だと私は思っている。身近な傷付けあいからなくしていかなければならない。
 うちの息子さん、慣れてきちゃって保育園で自分の欲しいおもちゃをほかの子が使っていると、その子を押すそうな。一昨日聞いた話。誰に似たんだか。(はい、すいません?私は気が強かったけれど、暴力は振るわなかったよなあ。)まずは、身内の小さなやんちゃ坊主をどうにかせねば…。
by fussyvet | 2007-04-18 11:07 | こうして社会は回ってる
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