幸い籍はまだ入れていない。当座の着替えを詰め込み、アパートを借りて子供は一人で生み、シングルマザーになろうと決心していた。
夫が海外出張から帰ってきた日の午前中、撮影されたデジカメの画像を見せてもらっていた。見学した施設の写真とついでに観光してきた遺跡の写真。とても興味深かった。見進んでいくうちに夜飲んでいる場面があった。コンパニオンとおぼしき現地の女達が、各男達の隣りに座って写っている。夫が肩を抱いて一緒に写っている写真もあった。一緒に行った男性など女とキスまでしているのが写っていた。 「何これ?」 「ああ、ビール会社のコンパニオンらしくて。」 「ふぅ~ん。飲んだだけ?」 「ああ、そうだ。」 「他の所では“そういうこと”、何にもしてこなかったのかな?」 「…、えっ、何?してきたって言ったらどうするん?」 「…。なにぃ、してきたの?」 「…。」 「何、してきたの?言ってごらん?」 「いやあ、マッサージだって言われてなあ、行ったらなあ、びっくりよ!」 「は?ホントに…?」 「なんだぁ、リスクを負って見せたのに(この場合のリスクとは私を傷付けることではなく、彼自身が悪く思われることのリスク。自己中心。)。」 「病気もらって来なかったやろうな。」 「いやあ、必要最低限のプロテクトはしたから…。」 それ以上、言葉を発することができなかった。 私は無口になり、相づちもそこそこになり、とりあえず昼食を作って一緒に食べたものの会話をする気もなく、食器を洗い終えたらそのままベッドに横になった。最初はしっかりしていたが、だんだん弱っていった。 夫は私がそこまでになるとは思わなかったようだ。多少、怒りはするが、浮気ではない、風俗だ、遊びだ…と軽く思っていたらしい。が、私はショックで言葉が出なくなった。 腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ…、 悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、…、 信用していたのに、信用していたのに…、 誘われても断るだろうと思っていたのに…、 飛行機に乗る機会が多いから、落ちませんように、危険な目に遭いませんようにとだけ祈って一週間過ごし、帰ってくるのを楽しみにしていたのに…、 本当にそんなことは心配していなかったのに…。 神様、どうしてですか? 私の何がいけなかったのですか? 悪阻で身体が思うとおりにならず、イライラしていたことですか? 何ですか、どうしてですか? あなたが与えた試練ならば、どうすればいいのですか? 別れて一人生きる試練ですか、それとも耐えて我慢して家庭を築く試練ですか? 神にも問いかけ、ぶちまけつつ、聖書を時折開き、鬱ぎ、そして抑えられなくて泣いた。時折様子を見に来ていたが、その度に私から「触るな!あっち行って!気持ち悪い!男なんてみんな同じ!信頼した私がバカだった!」と追い返されていた夫だったが、私がむせび泣いているのを聞きつけて、また慌ててやって来た。脱力してひたすら泣いている私に寄り添い、しっかり抱えながら、 「ごめん。…『罪深い私をお許し下さい。』(←ば~か!本気で神様を信用してないのに、困った時だけ言うな!)。」 などと後悔しきりである。それでも私は治まらない。本当に案じつつ、一週間お腹の子に時々話しかけながら、帰ってくるのを楽しみに待っていたのだ。それなのに…。 「私、バッカみたい!」 泣きじゃっくりが治まってから、夫の傍を離れて別の部屋へ移った。 夕飯も作らず、食べず、「おやすみ。」という夫に返事もせず、添い寝に来た夫が寝入ってから再び別室へ行って、朝まで浅い夢現を彷徨いながら、一人十五夜をボーっと眺めていた。牧師さんにメールを打ち、明日の晩泊めて欲しいとお願いしたりもした。 朝になって「おはよう。」という夫に返しもせず、洗濯だけしてまた寝ていた。 今晩は教会に泊めてもらおう。しばらく教会と学校で寝泊まりしよう。出て行こう。子供も一人で育てよう。 夫が何でもするからと言うなら、1週間前に時間を戻して、と言ってやろう。 そんなことできまい。 自分の力ではどうしようもない過ちだってあるんだ。 私がどんな悪いことをしたっていうんだろう? 悔しい、悔しい。 最後に言うだけ言ってやろう。 私は落ち着いて、言葉を組み立て始めた。 誰が誘ったの?→どうして断らなかったの?→今度また誘われたらどうするの?→ずっとそういう付き合いでやってきた人間が、「これからは断れる。」わけがない。→どうせまた同じ事がある。→前の男は同じ事が原因で別れたんだ。→私出て行く。 回転しない頭で一所懸命順序を完成させたら、またどうしようもない感情に襲われて、止まらない嗚咽が始まった。「おはよう。」も言わずに別室に籠もってしまった私をどうしていいか分からずにいたであろう夫は、また飛んできた。今度は何も言わずに黙って私を抱き、さすっていた。 私だって離れたくない。でも、どうしてこんなことになってしまったの? 泣きじゃっくりが治まってから、私は組み立てた言葉の最初の文章を何とか始めた。 「誰が誘ったの?」 一所懸命順番に並べたその後の文章を使う必要はなかった。 「あのな、○○会社のvice presidentが案内してくれたんだけどな、本当にマッサージって案内されただけなんや。『この辺りはマッサージが有名ですから。』って。俺ら誰も知らなかったんや。それまでのマッサージは本当に足を揉んで疲れを取ってもらっただけやったからな。だから、行って、こっちもびっくりよ。他の連中もびっくりして、終わった後に『もう、ああいうのええから、止めてくれ。』って言ったわ。」 「本当に誰かが誘ったんじゃないの?あのキスしてる写真のスケベ親父が誘って行ったんじゃないの?」 「違う。あの人は普段真面目ないい人で…。」 「“マッサージ”が始まってから、”No, thank you.”って断ればよかったじゃない?」 「英語、通じんのじゃ。」 「で、何してもらったん?」 「向こうも、こっちも裸にさせられて寝かされて、後はなあ、全身“マッサージ”よ。」 「ソープランドでするようなこと?」 「そうや。」 「サイテー!サイテー!」 「でも、粘膜接触はしてないし、キスもしてない。」 それまでは漠然と想像だけが膨らんで苦しんでいたが、今度は具体的な場面を想像して嫉妬に苦しんだ。けれど、きちんと話す夫を責める気はなくなっていった。 「本当に一週間飛行機が落ちませんように、無事に帰ってきますようにとだけ祈って待ってたんだよ。」 その言葉が恨み辛みの最後の言葉となった。 仲直りしてよかった。また、仲良しの二人になった。その間の24時間は全ての良かったことを吹っ飛ばし、私の頭をメチャクチャに壊すくらいのエネルギーが充満していた。負の気は24時間で十分である。神様が言葉を与え、私の心も夫との関係もきちんと良い方向へ向かわせてくれた。 今でも“その場面”を想像すると、嫉妬で心臓が締め付けられる。けれど、ずっと夫の愛に贅沢になっていて傲慢になりかけていた私には、それくらいの嫉妬がちょうどよい戒めになる。それも神様が与えてくれたものだと思う。 私の潔癖な部分が夫を責め続け、これまでの幸福を木っ端みじんにしてしまう可能性は大きかった。何も言わず尋ねず、自分に我慢するように言い聞かせてこのまま続けていったとしても、私は気が狂い、いつか同じように木っ端みじんにしていたことだろう。そうなっていれば、子供まで巻き添えにすることになっただろう。また、きっぱりと別れて一人で子供を生み育てることを選択したとしても、生まれてくる息子に対して、父親である彼に対する恨みをさまざまな形で復讐していたかも知れない。 「断るいとまがなかった。」という夫の言葉を他人に言えば、「そんなの嘘だよ。」とサタンの声になって返って来るだろう。けれど、普段から誠実で優しい彼の言葉は今の私には信用できてしまう。簡単に嘘を付ける人ではないと思っている。そして、何よりも、自分だって同じような場面に想像した場合、100%善を行える者などいないのだ。もう、そんなことはどうでもいいのだ。 今朝、自治体が開催する子育て教室に夫婦で申し込んだ。事件?ああ、そんなこともあったねぇ。
by fussyvet
| 2005-09-20 13:49
| 家族
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