「なぜ生んだ?」

「愛せぬのなら、なぜ生んだ?」
親に対して私がずっと持ってきた怒りだった。

違うのだ。
親が私を生んだのではない。
神様が私を造ったのだ。

「どうしてこの世に生まれてきてしまったのだろう?」
とずっと嘆きを抱えて生きている人が目の前にいたとしたら、私はすかさずこう言うだろう。
「あなたは生まれてきてよかったんだ。神様があなたを送り出したんだ。」

命が故意に命を利用することを許せない。
利用された命はいつも「なぜ生まれてきたんだろう?」という嘆きを問いかけにしていかなければならない。
命を造ることができるのは神だけ。人間ではないはずだ。それができると言う者は、それは甚だしい奢りである。
by fussyvet | 2005-02-14 11:29 | 神様を愛してる | Trackback(1) | Comments(4)
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Tracked from おそるべし!子供の眼力 at 2005-02-14 21:35
タイトル : 愛ゆえに。
「なぜ生んだ?」 愛せぬのなら、なぜ生んだ? 別れるのなら、なぜ結婚した? 果たせぬのなら、なぜ約束した? そんなふうに思っていた時期もあり。 厳しいなぁ~。 幼いころ、両親の離婚。 そして、施設へ・・・ 両親ではなく、良心に育てられたと思ってる。 そこに、愛はあるのか? 「愛などいらぬ。」 そんなふうに生きていたあの頃。 いつしか、 私の周りには愛があふれてる・・・・・・ 愛を求めるにはキビシイ。 じゃ、与えちゃえば? 最近こんな話を聞いた...... more
Commented by ninotika at 2005-02-14 20:17
この世に産まれてきた命に不必要な命などない、と松下幸之助さんが言ったそうですね、それに映画「道」でも「石ひとつにも意味がある」といってたのを思い出します
Commented by fussyvet at 2005-02-14 23:09
松下さんがそんなことをおっしゃってたんですか。ナショナルパナソニックを見る目が変わります。人間性の深い指導者に率いられた企業を応援したいです。
Commented by みちる at 2005-02-15 07:20 x
「山路来て なにやらゆかし すみれ草」 芭蕉

だれも振り向く人がいない山道に、すみれ草はひっそりと咲いている。きれいねとほめられたいとか、ココに咲かないで皆が気づくところに生まれたかった、といわない。神さまがくれた命、精一杯ココで咲いて枯れていく。ココに咲かせていただいている意味がある、ほら一人の旅人の心を癒すことができた。
Commented by fussyvet at 2005-02-15 09:08
私も誉められたいとか皆に気付かれるところに生まれたかったとか愚痴を言わず、無欲に静かに生きるすみれ草のようなものになりたい。
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