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依頼人に求める前に

 昔なじみの獣医仲間が言った。
「依頼人も獣医を選ぶ目を養う必要がある。」

 獣医師に関する情報は医師のそれと比べたら、うんと少ない。そもそも獣医師という職業についてすら、「動物のお医者さん」という漠然としたイメージでしかないのだから。
 そして、何よりも問題なのは、選ぶほど優秀な獣医師がほとんどいないという現状。私は獣医師仲間から情報を得て確認してから大学病院を選んだ。しかし、一般の依頼人が同じように情報を得て獣医を選択することは不可能だろう。依頼人が獣医を選ぶ目を養うためには、そのための情報が必要だ。そして、情報が得られても、結果的に当てになる獣医師が近くにいないのが現状だ。依頼人に求める前に、獣医師側が変わらなければならない。
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by fussyvet | 2005-07-31 10:03 | 動物

画像診断の難しさ

 実家のネコはかかりつけの病院で「アレルギーから来る肺炎」と言われた。レントゲン検査の結果、一部にそれらしき影があるとのことだった。ステロイドを服用し続けたが一向に良くならず、ついに呼吸困難になった。私は母にセカンドオピニオンを求めるため、そのネコが幼い時に診てもらったことのある獣医のところに行くように勧めた。
 その2軒目の獣医は獣医師会に入っていないアウトローであり、とても口が悪い。獣医師会が嫌いな私はアウトローであろうが口が悪かろうが、腕には関係ないから行ってみたら良いと勧めた。過去にそこでは、他院で体重も測らずに寄生虫駆除薬を接種された実家のネコが助けてもらったこともあるし、私の子供の頃に飼っていた小鳥を診てもらったこともある。公務員を辞めた知り合いが代診をそこでしていたこともある。そんな背景もあって、私はセカンドオピニオンをそこに求めるよう勧めた。
 呼吸困難であったにも関わらず、実家のネコはそこで押さえつけられ、造影剤を投与され、X線撮影された。そして、「横隔膜へルニア」だと言われた。横隔膜へルニアなら手術が必要である。しかし、状態が悪くてできないと言われた。横隔膜へルニアなど外傷や先天性でない限り、とても珍しい病気である。私は疑問を持った。そこの獣医は私も獣医であることを知っていた。そして、自信満々にデジカメでそのX線画像を撮影して私に送ってやればよいと母に言った。そして、母は私にその画像を送ってきた。
 臨床獣医ではないが、横隔膜へルニアの画像は頭の中に入っているつもりである。送られてきたその写真は画像の悪さを差し引いても、横隔膜へルニアを示しているようには見えなかった。その代わりに肺の陰影がやはりおかしい。その日は土曜日であった。
 横柄な2軒目の獣医のことを父は大嫌いである。そんな父の意向もあり、また私も直接的には知らないが、そこにいる知人達に内部事情を確認してから大学病院へ行くことにした。もう、気など遣っていられない。1軒目の獣医に寄ってX線画像を借り、大学病院へ父と母は走った。1軒目の獣医も私が獣医であることを知っている。ワクチン接種などネコがずっとお世話になっていたその先生の顔はこわばっていたという。ただならぬ気配を感じ取ったのだろう。あるいは自分の腕を疑われて自分の紹介状もなく大学病院へ走ろうとする依頼人にプライドが傷付けられたのかも知れない。
 そして、3軒目の病院である大学病院。内科の先生は1軒目で撮られた画像を見るなり、「肺の一部が膨らんでいる。破裂したら危険だ。ネコを急激に動かすな。」と学生を制した。実家のネコは腫れ物を触るように大事に扱われたと母が言う。そして、酸素室に入り、状態が良くなったところでX線撮影を再びすることになった。その日は入院し、その夜のことであった。夜の10時に母に電話が入った。「やはり片肺が破れていた。とても危険な状態だ。」と。
 それ以後は私が実家に帰り、大学の先生とも話をした。X線画像も見せてもらった。確かに1軒目の病院のX線画像は肺に黒く風船を膨らましたような影があり、昨晩大学病院で撮られた画像ではそちら側の肺が気胸になっていた。破れた箇所から出血しているかも知れない。とにかく肺はボロボロだった。そして、もう片肺も肺炎を思わせる如く白くなっていた。

 結局、1軒目のアレルギー性肺炎という見込みは間違ってはいなかった。けれど、肺の“膨らみ”を見逃している。2軒目に至っては「横隔膜へルニア」などと自信満々の誤診。私は臨床獣医師ではないので彼らを非難する権利はない。しかし、もっと個人病院と大学病院の連携があればよかったのではないかと悔しく思う。開業病院が地元の大学病院を嫌うことはよくある。理由はさまざまだ。
 そして、画像診断の未熟さ。人間の医者のように研修医制度が整っていない獣医の世界、一番基本的な診断ツール、そしてその読み取りさえ習得できないまま、臨床医になっていく者の何と多いことか。それが、現在の獣医の世界。そういう制度。「未熟者」と非難できない。なぜなら、現在多くの獣医師皆が同様に未熟だからだ。
 結局ネコは天に召されてしまった。失って悔しくて悲しくて仕方がない。ああ、悔しい。自分にも悔しいし、画像診断のできない獣医師にも悔しくて仕方がない。
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by fussyvet | 2005-07-28 16:23 | 動物

類は友を呼ぶ-我が母校の場合

 指導教官は母校のOBである。最初は私が後輩だと知って目を掛けてくれた…と思っていたが間違いだった。同じ大学出の後輩に声を掛けるのは、コネを広げて”派閥”を作りたいがためであろうと今になって思う。
 指導教官は、我が母校の中でも最悪の教授が居た講座の出である。私がいた当時の教授は(現在も変わっていないが)腕も頭も悪いのに、虚勢だけ張って自分を守っているような軽蔑すべき人であった。そこの講座出の人が全てそうであるわけというわけではない。今の私の指導教官は、時折その母校の現教授のことを「やり方が悪い。」と非難することがあった。が、結局彼も同類であった。旧態依然としたやり方、自己中心さは何ら違わない。更に二人とも母校の同じ部活サークルの先輩後輩同士である。なぜか、母校のあの年代の獣医同窓生にはその部活出身の者が多いが、体育会系の勢いだけの単細胞封建的なやり方は、そこから来ているのだろうかと推し量られる。
 母校のその教授は、力のある教授の派閥にいたため、その教授が自分の味方を増やすために呼んだ。そんな理由で呼ばれただけだから、腕は救いようがないほどに悪い。他大学から来た院生が、その教授の執刀により皮膚壊死してしまった患畜を見ながら、「こんなのばかり見てるとイライラする。」と吐き捨てた。その院生が卒業した獣医系大学の方が腕は良かったのに、私はどうしてこの大学に来たのかと尋ねた。その院生の先輩は悔しそうに、「こんなひどいとは思わなかった。」と言った。大学の名前と中にいる指導者の実力が合っていなかった場合に、被害を被るのは何も知らない学生、そして大学附属家畜病院だからと頼みにして自分の愛する伴侶動物を連れてくる顧客とその動物たちである。呼んだ張本人の大教授は、その教授に向かって、「もっと腕を磨け。」と言ったらしいが、そもそも自分の派閥拡大のために、その器でないものを呼ぶな。お陰で、その教授より腕がよく、私が尊敬している助教授(当時)は、他大学へ出て行ってしまった。私たちにしてみれば、出て行って欲しかったのは教授の方。本当に残念で悔しかった。
 同じような人間が、次に同じような人間を呼ぶから、悪の連鎖はなかなか断ち切られない。大学名に惹かれて、年々高くなる競争率を突破して入ってくる若者を思うと気の毒でならない。社会全体に大学がすべき貢献を考えれば、個人のコネも派閥もクソくらえである。タヌキ親父の派閥主義=非実力主義、急にはなくならないと思うとイライラが止まらない。
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by fussyvet | 2005-07-25 19:21 | こうして社会は回ってる

獣医の地位と腕は一致しない

 アル中の震える手で、ただでさえ下手な思い込みの手術をしていた母校の外科の教授。あんなのには引っ掛からせまいと知人に腕の確認を取り、実家のネコを地元の大学病院に連れていかせた。即入院。大学病院だからと言って、それだけで信用してはいけない。ステータスは一流でも中の腕は三流なんてことは日本の獣医にはよくある。封建制がはびこる世界ゆえ。
 とりあえず、母が安心して信用できそうなので私も胸をなでおろした。今回の実家のネコ騒動で思うことが山ほどあった。まだ途中なので落ち着いたら徐々に書いていこうと思う。
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by fussyvet | 2005-07-11 15:23 | 動物

「震える獣医師」

 獣医学生5年の新年、私は飼っていた小鳥を失った。高校一年の夏に雛から育て、私にだけなついている、とてもかわいい小鳥だった。紙をくちばしでちぎり、自分の羽根の下に埋め込む習性がある鳥だった。その鳥が死んだ時、助けられなかった自分がどうしようもなく腹立たしく悔しかった。「獣医学生のくせに。」私は三日三晩何も食べられず、布団をかぶってずっと泣いていた。これまでに妹と祖父母を失っているが、その悲しさは何ら変わるところがない。
 ペットロス症候群という言葉がある。この言葉をあまり好きではない。余りにも形骸化した感じがするからだ。愛するものを失った時の悲しみは計り知れない。そして、伴侶動物の臨床獣医師は誰かが愛しているものの命を預かる、肩の荷が重い仕事だ。当初、私は漠然とそんな臨床獣医師を目指していた。しかし、私は自主的に卒後一年間の研修生を経験した後、臨床獣医師になることを止めた。
 今の日本で、伴侶動物の臨床獣医師になれるのは三種類の人間である。すなわち、余程優秀な者か、余程無神経な者か、あるいは余程傲慢な者である。私は傲慢な者であったが、それでも臨床獣医師になるのは死ぬほど恐ろしいと思った。現在の日本の獣医制度は、誰かが愛しているものの命を預かる肩の荷の重い仕事を行える者を作れるシステムにはなっていない。普通の感覚を持った人間なら途中でその恐ろしさに気付く。卒後教育もまともになく、いきなり診療の現場に出されるのだ。「ブラックジャックによろしく」という漫画で、人間の医者の研修医がアルバイトの当直先で、運ばれてきた急患を目前にして何もできず、ひたすらガタガタと震えるシーンがあった。あれと同じことは獣医の臨床の世界でも起こっている。人間の医者の体制は徐々に変わりつつあるようだが、獣医の世界はどうだろうか?
 「身体で覚える徒弟制度」…旧態依然とした日本のやり方では通常まともな獣医師は育たない。一部の器用で優秀な臨床医はそれでも独力で育っていく。しかしそれならば、教育者など要らないではないか?皆リストラすればよい。決してそうではないだろう。現役の者には下の者をきちんと育てる責任があるはずである。しかし、それは現在のやり方ではない。このままでは今後も獣医に対する医療過誤訴訟は人間並に増えていくだろう。それを訴えられた獣医師一個人の問題として放っておくのは、現在の獣医師の世界の上に立つ者達の怠慢であり、責任逃れだとも思う。本当に自分以外の者のことを考えるなら、「震える獣医師」を減らす方法を考えるべきである。そしてそれは決して封建社会のものであってはならない。
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by fussyvet | 2005-06-05 06:45 | 動物

獣医になりたい子供からの手紙

 動物が好きで「獣医さんになりたい!」と思ってきたという子供さんからメールをもらった。私のホームページを見て獣医の大変さ、保健所の意味、獣医が命を助けるだけじゃないことが分かったという。嬉しかった。
 「獣医」という名前と一般的なマスメディアに作られるイメージから、大好きな動物を助けたくて獣医を目指す子供が絶えない。けれど、違うのだ。獣医は動物を助けない。病気を治すかも知れない。けれど、「助ける」わけではない。助けるべきは、商用に増やされて、ただで無下に保健所で殺される動物たち、珍しいペットとして売るために海外から輸入されて手に負えなくなって野に放たれ、「害獣」として駆除される動物たち、見せ物にするために狭い檻の中に閉じ込められる動物たち、研究者の口実のために使われる無駄な実験動物たち…であり、助けられるのは獣医師ではない。消費者、ボランティア、監視人、告発者である全ての人たちなのだ。
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by fussyvet | 2005-04-24 14:54 | 動物

サルの動物実験

HELP ANIMALS 関西医大 骨髄損傷の最先端再生治療を患者で

 サルは系統樹から見ても人間に近いため、ワクチン開発を初め、新医療開発のためさまざまな実験に使われる。が、動物実験倫理委員会で承認されなかったことは興味深い。どのような実験内容であり、どのような議論の下に却下されたのだろう。
 むやみに動物実験を行わない方向にあることは事実。しかし、まだまだ減らせる。この倫理委員会に敬意を表する。そして、倫理委員の意識と知識両面からのレベルアップを望む。

<以下独白>
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by fussyvet | 2005-03-22 16:53 | 動物

悩める動物のお医者さんの卵へ、そして傲慢な大学教員に思うこと

 進路で迷っている獣医学生と話をした。その学生が通う大学の外科には名医のうちの一人がいる。しかし、その学生はその外科の先生を嫌いだと言った。理由はさまざまあるだろう。その名医先生はこう言っているそうだ。
「『動物をできるだけ殺したくない。他の方法があるならば、その方法により学びたい。』という学生は要らない。動物を実習で殺した数だけ腕はよくなるものだ。」
その学生はその先生が吐いたそんな言葉も嫌悪した。そして私もこの名医先生の曰いようにはとても違和感を抱く。
 人間の臨床医ならどうだろうか?「人間をできるだけ殺したくない。他の方法があるならば、その方法により学びたい。」と言葉を置き換えてみれば、何のことはない、当たり前の表現になる。勿論、人間を医者の場合、人間を用いて練習する前に実験動物を用いることもあるわけで、この置き換え表現がそのまま獣医にも当てはまる訳ではない。しかし、命の利用、そしてそれに伴う命の重さの区別に疑問を抱かない獣医師はどこまで名医となれるのか?そのような獣医師は臨床の腕は上がるだろう。医術も高度になるだろう。しかし、そのような高度な獣医療を受けられる飼い主がどれだけいるのだろう?そのような飼い主はバカ高い診療費を払えるお金持ちだけではないか。庶民が受けられない技術一つをどこまで高めたところでそれが何になるのだろう?もちろん、全体的な獣医療水準の底上げができるのであればその方がよい。しかし、今の国内の獣医療を見ていても、大学内の名医が自分だけ腕を上げるだけで、それを普及させるような制度は整っておらず、結局全体的な底上げにはつながっていない。
 獣医療に必要なのは飛び抜けて高い臨床技術ではなく、予防医学の啓蒙普及、避妊・去勢手術の励行、そして飼い主への飼い方教育なのだ。そのようなことをお山の大将は知らず、学生の思いも考えず、周囲を蹴散らして独走する。それでその先に何があるのか?自己満足だけではないのか?

 相談を受けた学生には諸事情が許すのなら自分が学びたいことに最も近いところで大学院生になって博士号を取ること、企業に就職するのなら学位取得を奨励しているところを選ぶこと、アメリカに留学して実験動物専門医の資格を取ることなどの道を挙げて勧めた。そして何よりも情報をたくさん得ること。そして、ブランドではなく、学ぶ人を選ぶこと。その他個人的に手助け可能な事項を告げて別れた。
 真摯な学生が真っ直ぐ育ちますように。そのための手助けはできるだけしてあげたいと思う。
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by fussyvet | 2005-03-15 18:56 | 動物

動物愛護法の改正

 動物の愛護および管理に関する法律が改正されようとしている。それに備えてさまざまなところで議論がなされているが、自民党に物を言わせた獣医師会の圧力が強いようだ。今度の改正も余り変化はないのかと憂う。
 アメリカやイギリスなどの先進諸国では動物実験を行う施設や動物を保管する施設の届出は当たり前であり、国による査察と記録作成・保存も義務づけられているが、我が国ではそれらのいずれも全くない。そんな国の科学技術がなぜ他の先進諸国と肩を並べられるというのか?届出も査察も記録も面倒。でも、他の国では行っている。この国の研究者、特に獣医師はどこへ行きたいのだろう?
 以前、獣医師になりたいという帰国子女から相談を受けたとき、その結果、彼女はアメリカの獣医系大学を受けることを決めたようだ。私もこのままでは日本で獣医師になるのはやめておけとアドバイスを続けざるを得ない。獣医師だけでなく研究者でもそう。この国の古い保守体制が社会だけでなく科学界でも若い者の足を引っ張っているのだ。こんな国、要らぬ。どんどん皆海外へ行け。青色LED訴訟の研究者が憤りを隠せずに「若い奴らにはどんどんアメリカへ来いと言いたい。」と言い放っていた。私も同じ心境だ。実際にアメリカに行った彼が羨ましい。私もいつかこんな国脱出したいと思いつつ、この法改正の成り行きを見守っている。
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by fussyvet | 2005-01-29 11:12 | こうして社会は回ってる

苦悩

 獣医学生になるまでの私。
「全ては獣医になるため。まずは希望のところへ入らなければ、私の人生はもう意味がないものになってしまう。とにかく勉強するのだ。」

 獣医学生になって初めての解剖学実習にて。
 それまで世話をしてきたウシを実習にて放血殺する。
「泣いてはいけない。泣いてはいけない。…」

 生理学実習、薬理学実習で子犬、マウス、成犬、モルモット等殺しまくる。
「とにかく獣医師になるためには仕方がないことなんだ。皆、やっている。自分だけ逃げてはいけない。」

 外科学実習。それまで面倒を見ていた保健所からの払い下げの子犬たちの足を骨ノコで切断し骨折整復術、眼球をえぐり出して眼球摘出術等習う。
「ちょっと待って。これから獣医師になってから助ける動物の命とこれらの動物の命の重さにどういった違いがあるのか?なぜ、どうして?」

 保健所勤務。イヌ・ネコの引き取り。
「私はこんなことをするために必死で勉強し、実習では必要だからと信じて動物を殺してきたのか?なんだったんだ?なぜ、どうして?何かが違う。」


 国内の獣医学生が自殺したと聞いた。私のように悩んでいなかったなら良いのだけれど。そう思いながら、これまでのことを思い出した。
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by fussyvet | 2005-01-18 19:14 | 動物