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「真に動物を助ける職業」とは?

 日本獣医学会のQ&Aを久しぶりに覗いたら、おもしろいのがあった。獣医師を目指す高校一年生(今はもう二年生になっているはず)の女の子の「獣医師の資格をとっても、実際は動物を助けることはほとんどできないのか。また、動物を助ける真の職種を教えて欲しい。」との質問に対する回答が掲載されているが、この内容について個人的な補足、異論を書いてみる。

 回答冒頭の
「『獣医師』という国家資格は、単なる手段であって、目的ではありません。獣医学部に入った全員が獣医師を目指すわけではありません。中には、小学校の教員を目指す人、マスコミ関係の職業に就く人、プロスキーヤー、などさまざまです。
 小学校の教員は、自分の生徒に動物の命の尊さを伝え、結果的に「動物を助ける」人間の心を育てるでしょう。また、マスコミ関係の職について、自然界で起こっているさまざまな環境問題や野生動物の現状について社会に広く伝え、野生動物の保護活動を起こすきっかけを作ることができるでしょう。
 といったように、どのような職業に就いても、いろんな手段を用いて「動物を助ける」ことは可能だと考えます。」
の部分は全くその通りだと思う。(プロスキーヤーというのは、我が大先輩の三浦雄一郎氏のことだろう。なんでわざわざ超特異的でマイナーな卒後進路をここに書いたのかと考えると、思わず笑ってしまう。)

 その後、「獣医師として獣医学的知識や技術を活用して『動物を助ける』手段について」代表的なものが挙げられているが、1. 動物園獣医師については、回答者自身の職業ゆえにその通りで、異論をはさむ余地はない。が、実際に動物園の獣医師になれる獣医師は、本当にごくわずかである。この女の子が就職する年に、それだけ採用枠があるか。もしかしたら、このご時世、採用枠がないかも知れない。それくらい、確率が低いので、最初から動物園の獣医師”だけ”を目指すことは現実的でないのでお勧めしない。

 2. 小動物・大動物の臨床獣医師として、愛玩動物などの小動物と畜産動物などの大動物を診療する獣医師が同列で語られていることには、とても違和感を感じる。畜産動物の臨床は、畜産農家の利益をまず考えなくてはならない。そうなると、自然と動物の命は後回しになり、コストがかさむのであれば、安楽死や即刻と畜場行きとなるから、この場合、「動物を助ける仕事」とは言い難い。
 ところで、この質問者は女の子だが、現在、大動物臨床の職場では、体力的な観点から男性獣医師を優遇して採用している。男女平等とか何とか言っているが、これはまぎれもない事実である。この質問者の女の子が将来、大動物臨床獣医師になれる確率はとても低いだろう。また、動物病院などの小動物臨床については、人間の医者のように勤務医としてずっと勤めていける病院は少なく、3年くらい代理診療を経験したら、自分で資金を調達して開業する獣医師がほとんどである。この質問者の女の子がどれだけアクティブな子か分からないが、そのようなことを実際に女性としてやっていけるか?開業すれば、恋をしたり、子供を育てたりする暇もないだろう。そのようなことを諦められるか?あるいは、夫婦で開業することもあるだろう。が、それを見据えて、確実にパートナーをゲットできると見込めるか?代理診療をした後、経済的、家庭的に開業することもできず、将来に不安を感じて、結局、公務員の獣医職などに転職(これも採用試験は30歳くらいまでだ)する獣医師は五万といる。そのようなことを考慮せずして、漠然と「臨床獣医」を夢見ることはお勧めしない。

 4以降、製薬会社や動物実験施設の実験動物獣医師、家畜保健衛生所、食肉衛生検査所の公衆衛生獣医師、大学研究機関の獣医師とある。これらはどれも枠も大きいから、なりやすいだろう。実験動物獣医師は確かに実験動物の福祉について考えられるので、これはお勧めだけれども、ただし、動物実験の肯定が前提である。家畜保健衛生所の獣医師は検査や農家との交渉、病性鑑定が主な仕事であって、質問者のいう「真に動物を助ける仕事」に当たるのだろうか?食肉衛生検査所の獣医師は、食肉検査をするのであって、「動物を助ける」とは言い難いだろう(だって、主に殺した後のお肉を扱うのだから)。製薬会社や研究施設に行くのであれば、博士号を持っていた方が(研究者なら学位は必須)将来的に強みになると思う。

 最後の締めに、「本人の気持ちさえあれば、どの職種でも「動物を助ける」活動を進めることができます。」とあるが、これは全く奇麗ごとだと思う。この一文は若者は全く鵜呑みにしてはいけない。とにかく、どんな動物とどのように関わりたいのか、そのイメージをまず持って、その上で情報収集をすることをお勧めする。
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by fussyvet | 2009-07-08 15:37 | 動物

また、高校生からメールをもらった

 拙ホームページを読んでくれた高校生からメールをもらった。これまでにも獣医師を志している子供から、ときどきメールをもらっていた。進路相談もあれば、ホームページを読んで進路を決定した/変更したという内容もある。今回のメールは後者だった。ずっと獣医師になりたいと思ってきたが、自分の思いが、私がよく考えるようにと促している「動物が好き→動物のお医者さん」という思考から成っているものであり、「やりがいがあれば、地位が低くてもいいじゃないか。」という私自身が”青かった”と反省する志をその若者も持っていて、全て読みきったあと、まるで「成人した自分が今の自分に語りかけているようだ。」と思ってくれたそうだ。
 結局、その子は医学部を目指すという。メールで少しだけやりとりした(決して、この世界のことをボロクソには語っていません)。その子自身がやりたいことを考えて選んだ結果だった。頑張れ、頑張れ。

 将来、優秀な獣医師になったかも知れない人材に余計なことをしてくれたな、と内輪でぼこぼこにされそうだな。でも、私はよかったと思っている。
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by fussyvet | 2009-06-08 22:56 | 動物

InterNICHE

 教育における動物実験代替法を推進する運動を展開している国際的な組織InterNICHEのコーディネーターMr. Nick Jukesと会ってきました。昨年に続き二回目です。とても多忙な方で一年の大半を世界中飛び回っており、教育における動物実験代替法の普及のため心血を注いでいます。厳格なベジタリアン(ビーガン)ですが、今回私と会っているときは少し妥協してくださった場面ではちょっと安心しました。つまりは自分の主義主張にだけ固執して周囲にだけ妥協させる人ではないのです。
 現在、この組織のJapan contactとしてALIVEという団体が受け持っています。少し前までは現役の獣医学生らが中心柱となって活動していました。しかし、次第にそのようなアクティブな学生も減っていった…。とても寂しい思いではありますが、学生という立場を考えれば封建的な日本社会では仕方がないことだろうとも思います。私自身、学生時代にさまざまな実習でさまざまな動物を使用し、単位を取って卒業するためにはそれらを拒否することもできず、とんでもなく非人道的な実習に苦しみ、今も思い出すと怒りが湧き上がってきます。感じ方は人それぞれだと思いますが、私は私と同じような感性を持った学生に同じ苦しみを味わわせたくない。そんな一心からInterNICHEの活動に関心を持ち、接触し、協力しようとしてきました。今回、Nickと会い、個人的なことも交えて話をしていくうちに、心底もっと協力しようという決意を固めているところです。このような機会を与えられたことに本当に感謝します。
 教育における動物実験代替法は学生だけでは普及しません。現在の生体を用いた実習と同等の教育レベルを代替法が持つことを示す証拠と決定権を持つ大学の教授らの関心と理解と協力が不可欠です。その中でいかに交渉し、普及させていくか。とても困難な道のりではありますが、インドなど海外では既に相当数の代替法が大学教育に取り入れられ、相当数の動物の犠牲が減っているとも聞きました。そのような海外での実績を踏まえ、日本でも普及するように…。と、これまでは考えてきたのですが、今は少し考えを変えています。海外からの波で変わるのではなく、日本自体から変化の波を起こせないか、もともと勤勉で細かい調査能力に長けている日本人ならできるのではないか?そんなふうにも思うわけです。
 今後、このブログではこのような教育における動物実験代替法についても取り上げていきたいと考えています。

参考:InterNICHEの日本語ページ
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by fussyvet | 2008-12-21 22:52 | 動物

自己憐憫

 14日ぶりの休日。と言っても仕事自体は先週お盆休みを取っているのだけれど、やんちゃな幼子を抱えた身でありまするゆえ、仕事休みが真の休日にはならず、だから今日が実質14日ぶりの休日なのだ。
 一日オフになるとゆったりと時間の中でじっくりと自分の状況を見つめることができる。忙殺されている日常では感じられなかったが、なんやかや言って自分は今幸福なのだろうと思うことができる。そして、今までの事からこれからどうしたいのかも自分自身に尋ねてみることができる。貴重な時間だ。

 「G.I.ジェーン」という映画の中に出てきた言葉が最近よく思い浮かぶ。
「小鳥は凍え死に枝から落ちても決して自分自身を哀れとは思わない。」
"A small bird will drop frozen dead from a bough without ever having felt sorry for itself."
映画の中で…ロレンスと言っていたので、てっきり「知恵の七柱」を著した「アラビアのロレンス」ことT.E.ロレンスの言葉だと思い、「さすがだな。」と感心していたのだが、実は「チャタレイ夫人の恋人」の作者D.H.ロレンスの方だと知ったのはつい数日前だ。"Self Pity"(自己憐憫)という詩の中の言葉で、映画の中で最も印象的に残っていた。

 ゆったりとした時間はその分現実の忙しさに戻ることを難しくする。子供を迎えにいき、またいつものやんちゃに当たったとき、心底ブルーになった。夫に子供の入浴を任せ、自分一人で浴槽に浸かっているときは思わずそのまま沈みたくなってしまうほどだった。まさに自己憐憫の中にある。
「6年間も大学で専門の教育を受けて、国家試験に受かったのにこのざまだ。」

 野生動物は生きることしか頭になく、どんなに厳しい状況にあってもそれを哀れだとか、理不尽だとか思わない。

 私も詩集を読まなきゃな。
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by fussyvet | 2008-08-21 22:17 | 徒然

理解できることの安堵感

「ママでは銅」に笑顔なし
8月9日21時14分配信 産経新聞

 「銅」を手にした谷に、笑顔はなかった。準決勝に敗れた後の、3位決定戦。ボグダノワ(ロシア)に鮮やかな払い腰を決め一本勝ち。日の丸を振る応援団には両手を振って応えたが、畳を降りると、うつを向いた。
 よもやの判定だった。
 ドゥミトル(ルーマニア)との準決勝。上背があり奥襟を狙うドゥミトルと、リーチをかいくぐって中に飛び込みたい谷。互いに攻め手を欠いたまま、2分すぎに、両者に2度目の指導。そして、傍目にはそれまでと変わらぬにらみ合いが続いたまま、残り34秒で主審が3たび、「待て」をかけた。だが、指導が下ったのは、谷だけ。
 一瞬、谷はあっけにとられたように畳に立ちつくし、副審2人を見やったが、判断は覆らず。慌てて攻勢に転じるも、時間は足りなかった。
 「ママでも金」。北京では1つの使命を自らに課した。2003年12月にプロ野球選手の谷佳知(巨人)と結婚し、アテネ五輪後の2005年12月には待望の長男・佳亮(よしあき)ちゃんを出産した。もうひとつの夢だった「母親」として、柔道から遠ざかり育児に専念した。
 昨年3月に練習は再開したが、出産前までの練習環境が戻るはずはない。佳亮ちゃんが夜泣きすれば起きてあやし、朝方には家事もきっちりこなす。育児との両立は楽ではなかった。
 五輪代表選考会を兼ねた世界選手権(リオデジャネイロ)が9月に控えていたが、5月には乳腺炎にかかり、あまりの激痛で10日間の静養を余儀なくされる不運にも見舞われた。
 だが、残り2カ月という短期間で急ピッチで調整すると、世界選手権で見事に優勝。「出産してスタミナがついたかな」。苦労を表に出すことを嫌う性格だが、冗談交じりに喜ぶその目には、うっすらと涙が光った。
 振り返れば、五輪では毎回、自分に重圧をかけ、そのたびに有言実行を果たしてきた。金メダルが確実視されたバルセロナ、アトランタでは2位。雪辱を胸に秘めた3度目のシドニーの直前には、報道陣の前できっぱりと言い切った。
 「最高で金、最低でも金」
 結婚した翌年のアテネでは、姓が「田村」から変わったことを受けて、こう言った。
 「田村でも金、谷でも金」
 幸せいっぱいのコメントに聞こえるが、そうではない。アスリートとして、結婚も出産も育児も、敗北の言い訳にはならない。長年、世界の最高峰に君臨し続けてきたプライドがあってこその、北京五輪での「ママでも金」宣言だった。
 筋肉量、骨格はアテネのときとほぼ同じレベルを維持していた。「誰がライバルというより、自分の柔道をする」。普段通りの強気で臨んだ舞台。だが、3連覇の夢は露と消えた…。
 世界選手権優勝7度を誇る、日本女子史上最強の柔道家も32歳。12年前、アトランタ決勝で敗れて以来の五輪での敗北だが、あのときの1敗とは重みは違う。

 「次」を見据える精神力は、残っているか。



 誰かの”敗北”を聞くとほっとしてきた。大抵の場合は自分だけ置いて行かれなかったという卑屈な嫉妬からくるネガティブな心。でも、彼女のニュースを聞いたとき(私は北京を見ていないのでニュースで読んだだけだけれど)はちょっと違う。なんというか、その敗北を「理解できることの安堵感」だ。もし、彼女が「ママでも金」を成し遂げていたら、その人は自分の理解を超えた存在だ。同じ女という人間とは思えず、何か別の種類の生き物を見ているような乾いた感情、一生共有できない何かになっただろう。
 でも、彼女は「ママでは銅」だった。「主婦になりたい。」とも言っていたとかいないとか。天賦の才能を持ち、いつも注目を浴び、一線で活躍してきた人でもそうなのだ。そうなんだ、母親業と仕事の両立は(彼女とは1週間しか出産日が違わない。だからなおさら、いつも自分を重ねて見るように注目してきたんだ)努力だけでかなうものではないんだ。彼女の敗北が私の心の代わりに叫んでくれているような気がしてならない。
 彼女ももがき苦しんでいるに違いない。これから主婦業に収まったとしても、絶対に彼女は苦しみ続ける。賭けてもいい。母親としても、人間としても。そしていつかきっとまた表舞台に戻ってくる。米国の水泳代表トーレスのように、伊達公子のように。そして、そのときには私も「ああ、充実した幸せな人生だ。」と納得しながら社会でも家庭でも満たされたバランスの良い状態にあることを夢見ている。
 女たち、がんばれ!(がんばらない女はどうでもいい。)

 男なんかにゃ絶対に理解できまい、ばーか>そこの私を知ってて覗いている暇な大学教授(公務中に見るな。仕事に専念しろ。ばらすぞ。)
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by fussyvet | 2008-08-10 09:57 | 徒然

我が身を哀れに思わずにはいられない哀れ

 学生時代の飲み仲間(男性)で、最も近しい友人の一人であったヤツが、昨年母校の教授になり、さらには今年その大学の目玉機関の副センター長にまでなっていることに最近気がついた。確かに大胆不敵でいろいろな意味で頭もよくユニークなヤツだったから、その器にはぴったりだと思うし、素直に「すげえや。」と旧友としては自慢に思う。が、同時にどうしようもない”痛み”にのたうち回らなければいけない今の自分の状況が本当に哀れだ。
 ヤツと比べてこっちは時給1,100円でパートタイムで実験を行っている身だ。子供が熱を出せば、何をおいてでも休まなければならないし、勤務時間内であれば保育園から呼び出しを喰らい、息子の心配をしつつ実験をどうするかで頭を悩ませる。喘息持ちの子供ゆえ、夫の扶養内で働いた方が安全である。どんなに「フルタイムの研究員にならないか?」とありがたい話をもらっても、いつ子供の体調が悪くなって休まねばならないかわからないことを考えたら、受けることを躊躇してしまう。そんなこんなで臆病になってしまっているのに、これから仕事でキャリアを伸ばすことなんて考えられない。ましてやどっかの教授なんてあり得ない。
 どうして同じように飲んでいた仲間とここまで違ってしまったんだろう?ヤツは男で私は女だ。ヤツにない子供が私にはある。が、男であるヤツはこれから仕事もそのままに子供を持つことも可能だ。いやいや、人生の良し悪しは物事の有無では測れないはずだ。そうだ、そんなことは頭でわかっている。
 それでも感情が許さないのだ。どんなに自分を慰め、励まし、考え方を変えようとしたところで悔しさを抑えられない。ヤツは最近テレビにも出演している。幸いテレビをあまり見ない私はまだ見たことがないが、これからメディアの露出も増えてくるだろう。そして偶然私はヤツと対面するのだ。”華”と”影”として一方向性に。その時、私はテレビを壊さなければいいが…。
 冗談はさておき、あまりの感情の高ぶりを抑えるため、緒方貞子さんが高齢出産で40代から本格的なキャリアを積んだ話や他の女性のいきざまを探してみた。男と女の人生は違って当たり前のはずだ。今の私にぴったりの見本はいないのか?だが、緒方さんにしたって名家の出で、子育てがひと段落した時に戻る場所は確保されていたはずだろう。育ちの悪い私などとは所詮ベースの境遇が違う。以前、感性が似ていると言われた田口ランディさんのブログを覗いた。ああ、似ている。年も近いし、家族の悩みなど苦労話も安心する。いや、待てよ。彼女は既に売れっ子作家だ。名前の売れ方が違う。ネットで探していても、出てくるのは著名人ばかり。全て比べて結局は落胆する、同じことの繰り返しだ。「いやいや日本は紛争もなく平和なんだから、安心して子供を育てられることに感謝すべきだ。」などと良い子にもなってみるが、そんな嘘は持続するわけがない。
 再びどん底まで落ちそうである。外界に通じる全てのスイッチを消して引き籠りたい気分だ。出産後、腰痛を抱え、体が疲れやすく、体調が最悪の状態が続いているのもこの最悪の気分に拍車をかけている。それに最近幼馴染の男友達が頻繁に夢に出てくる。なんて欲求不満な。夫への不満は既に男女関係を打ち消してしまっている。

 飲み仲間だったヤツと私、どこでどうしてこんなに違ってしまったのか。せめて子供は持ってくれるな、過激なアニマルライツに叩かれて苦労しろ、などと浅ましい呪いすらかけてしまう。
 どうして開業しないのか、とか、○○さんならもっといいところがあるでしょう、とか、何も知らない親切な人たちは言ってくれる。開業は資金と経験がなければできないし、この年で幼児を抱えた女をすんなり雇ってくれる研究所などそうそうあるわけない。しばらくはうつうつとしたまま、旧友の境遇を羨んで身もだえし、悔しさで枕を涙で濡らし、夫に不満を爆発させ、全てを諦めたと自分を達観させ、息子の可愛さだけに救われつつ、癖のあるボスの下で安月給でいいように利用されるしかないのだろう。…そうか?なんて悲しい人生。「ああ、そんな時期もあった。」と死ぬ前に懐かしく思い出せるようになっていますように。
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by fussyvet | 2008-07-27 15:40 | 徒然

しばしばもらう子供たちからのメールについて

 先日ももらったのだけれど、しばしば「動物のためになる仕事をしたい。」「獣医になりたい。」という子供たち(メールから推定を含め小学生から高校生)から送られてくる(どっかの掲示板にURLが貼られているのでしょうねぇ)。私のホームページには私が学生時代にした動物を犠牲にする、そして今も変わらず全国の獣医系大学で行われている実習について書いてあるが、それらを見てもなお「獣医になりたい気持ちを変えられない。」という内容のものもある。私自身、具体的には分からなかったけれど自分が志す獣医学部で動物を”バシバシ”殺すという情報は得ていて、それでもなお獣医になりたいという子供のころからの夢という名の思いを捨てられなかったわけだから、それを責めたり、止めたりする権利も理由も一切ない。他人が何を言おうが若い頃に持ってしまった”思い”は”重く”、それを阻むことなど大人にはできないと思っている。
 が、一つだけ気になるので敢えて忠告しておこうと思う。これはもし10代後半の自分自身が目の前にいても同じように今の私が忠告すると思うことだ。獣医師を志し、あるいは既にその類の大学に入っている”たまご”たちに対して、既に獣医師になり、引き返すことも困難な道を歩いているその道の年長者としてできるアドバイスだと思って聞いてもらえたらと思う。その「獣医になりたい」という思いは漠然としていないか?「動物たちを助けたい」という思いからだけではないか?さまざまな情報を聞き入れない幼いころからの夢への拘りからくる頑なさ故ではないか?もし、それらのどれかに思い当たるならば、何度も自問自答することをお勧めしたい。「どんな獣医になりたいのか?」「学生実習で動物を犠牲にするだけではなく、その後、愛玩動物の臨床獣医師でさえ獣医師とは動物を犠牲にする職業であることを認識しているか?」「本当にいろいろな人からの情報を収集して整理して聞き入れているか?」
 何度も言ってきたことだけれど、獣医師は学生実習で動物を犠牲にする。巷では「動物実験をせずに獣医師になった人がいるから頑張って。」というアドバイスを聞くけれど、実際にはそのような学生は現在ほとんどおらず、そのようなアドバイスは全くの部外者からの無責任な励ましでしかないと思っている。そして、獣医師免許を取得した後も、実際に小動物臨床医のイメージを持っている子供が多いけれど、「動物のお医者さん」のイメージの人たちは一部だけであって、他は実験動物の獣医師、国家公務員(検疫所とかでお肉や野菜の検査、その他行政職)、地方公務員(と畜場で食肉衛生検査、保健所でお店回り、イヌの捕獲と処分)、研究者(動物実験を当然のように含む)、畜産動物の獣医師(乳牛として役に立たなくなった牛などの廃用証明含む)など動物を手にかけなくてはいけない。「動物が好きで動物を助けたい」と思っている獣医師のたまごが就いたとしたら、その後辛い思いをずっと続けなくてはならないことは目に見えている。だから、今敢えて言う。「動物が好きで、頑なに獣医師を夢見ているのであれば、何度でも見直せ。ちなみに獣医師は動物の病気を治すことはできるかも知れないけれど、動物を助けるのは獣医師だけではない。」
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by fussyvet | 2008-05-06 22:58 | 動物

獣医師、仕事、その他

 ダルフールの惨状を知りながら、彼らに何もしてあげることはできない。無力感でいっぱいです。獣医師でなく医師であったなら、現地に赴くことができただろうか、などと仮定するのもおこがましい。ifの話は誰にでもでき、小心者の私にできるわけがなかったでしょう。

 獣医師を夢に抱く女子高生からメールをもらいました。小さい頃から獣医師になるのが夢で、動物を助ける職業に就きたいと思っているが、いろいろ調べていくうちに果たして獣医師でいいのか疑問に思いながらも獣医師になる夢を捨てきれないとのことでした。私自身も小さい頃から獣医師になるのが夢で、思春期に人間嫌いから「人間助けるよりも動物助けたい。」と思い、念願の獣医師になりました。しかし、現実的に真に動物を助ける職業は存在しません。動物が対価を払ってくれるわけではありません。全ての行為は人間が対価として支払ってくれるものです。それが、”職業”です。だから、本当に動物を助けたいと思うのなら、動物を助けているようで実は人間を助けている獣医師という職業に拘るのではなく、真に人の役に立っていると実感できる職業で生計を立てつつ、動物のためにできることをボランティアでするのが良いだろうと今の私は憧れで獣医師を志す若者にアドバイスすると思います。動物を助けるのは獣医師ではありません。けれど、仕事として行う行為は人のためにあるべきであり、対価を得る以上人のためでしかないのであり、そこから仕事の達成感や充実感、さらには幸福感を得ると思います。どんな職業でもそうですが、漠然とした憧れから一歩超えて、”仕事”の意味、社会貢献とは、達成感とは、さらには人生の充実感とは何であるのか考えつつ、将来を考えることを若い人にはお勧めします。

 ダルフール紛争のニュースを和訳しながら、己のこれまでの人生も振り返りつついろいろ考えてしまいました。
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by fussyvet | 2007-09-26 00:05 | 動物

韓国人の人質がまた一人犠牲になって…

 こんなことばっかりで本当に嫌になる。最近は右傾化した人たちがお隣の国の人をぼろくそに叩いているし、逆にそのお隣の国の人が執拗に過去の日本の過ちだけを取り上げて難癖をつけてくるけれど、誰かが理不尽な理由で殺されてしまったと聞けば、それがどこの国の人であれ一人の人間として居た堪れなくなる。このニュースの人質はキリスト教会の人だというから、私は余計に気にしているのかも知れないが、こんな理不尽なことを聞けば、神に向かって罵りたくなってしまうときもある。人間同士で、なぜ無残な事件ばかり起こるのか。本当に人間なんて…と自分が人間であることが嫌になるし、それを大きな手で導いているのが神だとすれば、どうしてこんな悲惨な出来事を起こさせずして、導かないのかと怒鳴りたい気分にさえなる。
 最近、動物関連の仕事ではなく、人のためになる仕事に関心がある自分に気付いた。動物の問題を解決するにはまず人間自身の問題を解決していかないことには達成されないだろうという考えから接していくうちに、自分自身も関わりたいと思うようになってきた。自分が役に立つのなら、事務でも電話番でも何でも良い。獣医なんて資格はこちらからくそ食らえ、だ。尊敬できる、信頼できる相手がいない世界にいつまで拘る必要があろうか。この世界に辟易していたこともきっかけかも知れない。どっちにしても、導き手にお任せだ。近頃祈る言葉はいつも決まっている。

「私を生かすべき場所で生かして下さい。」

 多分、今は息子のそばがその場所なんだろうな。
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by fussyvet | 2007-07-31 10:38 | こうして社会は回ってる

遠藤周作「侍」

 先日、機会があって久しぶりに乗った電車の中で読み始めて以来、耽っている。
「もし私が松木さまの眼に策士とうつりますならば、神はあるいは私の策士としての生き方にも御自分のましますことを示されているかも知れませぬ。」
という宣教師の言葉が妙にしっくりときた。
 怒りと苛立ちと絶望感、そしてそれらの反動のような凪で占められた私の生き方にも神のましますことを示されているのだろうか。

 まだ途中。また読み耽る。
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by fussyvet | 2007-07-29 22:02 | 神様を愛してる