「ほっ」と。キャンペーン

タグ:動物虐待 ( 6 ) タグの人気記事

久しぶりに”捨て猫”を見た

 今朝、公園を横切ったら、仔猫の鳴き声が聞こえた。以前から周辺を徘徊していた猫が生んだのかと思ったら、違った。青いプラスチックの箱が置いてあり、中を覗いたら餌が散乱していた。子猫たちは既にそこから自力で脱出して、母猫を探す声で鳴いていた。ざっと見ただけで4匹。自宅で飼っていた雌猫が生んだから、そこへ捨てたのだ。生後2週間くらいだ。まだ、生まれて2週間。青いプラスチックの箱に入っていた餌はカリカリと呼ばれる固形食。生後2週間の子猫が、こんな固い餌を食うと思ったか?生後2週間の子猫は、まだ、母猫のおっぱいが必要なんだ。
 久しぶりに捨て猫を目の前で見た。頭にきた。久しぶりで忘れていた怒りの感情が湧いた。なぜ、捨てる?公園に置いておけば、子供たちや、散歩に来たネコ好きの人が拾ってくれるだろうと思ったか?実際、何人かが近付いていた。かわいそうだが、自分たちにはどうしようもないという困惑した顔だ。ここへ捨てたバカは、この人たちのこんな顔を予想したか?予想してないだろう。優しく抱きあげて、自宅へ連れ帰ってくれる“都合のいい”姿しか想像してないはずだ。午後4時にもなれば、学校が終わった小学生たちが公園にやってくるだろう。それまで、この生後2週間の子猫たちは、水もおっぱいもなく、この熱い中、衰弱せずにいられるか?まあ、そこまで弱らずに過ごせたとしよう。で、子供たちが来て、「かわいい!」と言いながら、抱き上げる姿を想像するか?それで、その子たちはこの仔猫のうちの何匹かでも家に持って帰るか?たいていは、そのまま「ごめんね。」と言いながら、再びそこへ子猫を下ろすだろう。万が一、家に持って帰ったとしても、お母さんから「うちでは飼えないの!置いてきなさい。」と言われて、また、再びそこへ戻すのがオチだ。
 いったい、この4匹の仔猫が新しい飼い主に拾われて、幸せに過ごせる確率がどれだけあると想像しているのだろうか?身勝手な。とっとと今飼っている雌猫も誰かに譲渡するといい。避妊手術もせずに仔猫が生まれたら捨てて、”飼い主”などと名乗るな。久しぶりに、本当に頭に来ている。今頃、母猫は仔猫たちを探して悲痛な声で鳴きまわっているかも知れない。生後2週間まで育てたんだ。その雌猫は食殺癖のある猫とは違って、母性があったんだろう。
 やっぱりこんな人間がまだいたんだ。

 例えば、この青色のプラスチックの箱を警察が調べて、指紋でも採って、捨てた人間を特定して、動物の虐待と遺棄容疑で逮捕してくれればいい。実際に警察を呼んでやろうかと思った。まあ、今の法律の下では警察が困るだろうから、実行には移さなかったけれど、こういう場面を見ると、それくらいの法律が必要だと思う。
[PR]
by fussyvet | 2009-06-25 10:06 | 動物

猫殺害事件捜査の嘆願書署名

 行政にいる頃、内部にいる自分の力ではどうにもならなくてもがいている時、外部からの力、世論であっという間に進んだということがありました。巨大組織の中では、他の大きな事件や日常業務に追われて、進められない仕事というものが出てきます。そんな仕事も、マスコミや世論が騒げば日の目を見ることがある。巨大組織を出て、一民間人となった今、組織の人間が手をつけられないでいるならば、手をつけられるようにしてあげようかと思います。そんな一助となれば。

2ちゃんねる、猫虐待・殺害事件まとめサイト

 上記サイトには嘆願書のオンライン署名がリンクされています。ご関心ある方は是非ご協力を。
[PR]
by fussyvet | 2006-09-21 04:37 | 動物

タヒチで子猫を崖から投げ殺しているホラー作家について

Crisscross - News - Novelist's essay about throwing kittens off cliff sparks outcry

 タヒチでも動物愛護法があって、猫に避妊手術をすることもなく、生まれたらすぐに崖から投げ殺していると公然と日経新聞で告白したホラー作家の行為は、同法違反だ。海外のWebでも論争を巻き起こし始めた。
 HSUSなど大きな愛護団体とコンタクトを取って、法律違反は取り締まるべき。どんな犯罪だって同じ。テロリストが日経で、
「神を冒涜したものには死あるのみ。」
と殺人を告白したら、誰も黙っちゃいないだろう。過去の窃盗を告白したお姉ちゃんタレントは抗議されて謹慎し、それを公然と流したテレビ局も徹底的に非難された。それと同じことをこのホラー作家と日経新聞は犯したのだ。社会的に罪を償え。
[PR]
by fussyvet | 2006-08-30 10:08 | 動物

生まれた命を殺すことと避妊手術をどうしてイコールで結べるのか?

情報源
「きっこの日記」2006.8.21
「猫殺し作家の屁理屈」


 動物を飼育する以上、避妊去勢手術は必要悪であると私は思っている。「必要悪」というのは、健康体にメスを入れるという観点からであり、避妊手術により雌は子宮蓄膿症の予防、発情期の苦悶回避を、去勢により雄は前立腺炎の予防、闘争本能による飛び出し交通事故を防ぐことができるなどメリットを考えれば、全くの悪ではない。何よりも、無制限な繁殖行動により生まれてきた個体を殺処分することはなくなり、人口に比して過剰なペット人口を減らすには、避妊去勢手術を行うしかない。なぜって、犬も猫も自分でコンドームを付けられないし、毎日ピルを飲めないし、その他自ら避妊できないのだから、手術により避妊してやるしかないのだ。不自然だと批判する者には、動物を飼育すること自体が既に不自然だと言ってやる。
 タヒチ在住のホラー作家が2006年8月18日付けの日経新聞の「プロムナード」という欄に次のような記事を載せた。

「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。」「動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。」としながら、「私は子猫を殺している。」と告白している。家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのだそうだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だそうだ。
 赤ん坊の頃から育ててきた雌猫を三匹飼っていて、盛りがついて、子を産む。タヒチでは野良猫はわんさかいる。もらってくれるところなんかない。避妊手術を、まず考えたが、獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか、と。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう、と。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれていることについては、飼い主の都合でもあり、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだという。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だと。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。「そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。」と。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為で、獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ(この点は私も同じ意見だけれど)から、生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っているという。「人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。」と。
 そして、「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。」と結んでいる。


 3匹の雌猫が「子を生みたい」と言っていると想像するなら、どうして捨てられる子猫が「捨てられたくない。お母さんのお乳を飲みたい。」と言っていると想像しないのか?子種を殺す避妊手術と生まれた子猫を殺すのは同じではない。苦痛が違うだろう。成猫に施される避妊手術は、意識があるのに切り刻むわけではない。麻酔下で行うのだ。その際の苦痛をあげるならば、麻酔薬を投与する際に保定されることと、術後多少傷が痛むことだ。それらにしたって、保定は一瞬であるし、慣れた者が行えば全く苦痛ではない。術後の傷は鎮痛剤を投与すれば、ほとんど感じないほどに緩和される。いずれにしろ、生まれた後に殺される子猫たちが、殺される時に味わう、絶望、孤独、そして死の苦しみに比べれば、全く問題にならない。人間が動物に関与する際に考慮しなくてはいけない基準は、”苦痛”の大きさであると常々言っているが、避妊去勢手術を受ける苦しみと、生まれてから殺される苦しみではどちらの苦痛が大きいか、言うまでもない。
 親猫の「生」の喜びを取ったと言っているが、生んだ直後に我が子を取り上げられる苦しみは考えないのか?神ではない人間が動物の「生」に関与する権利はないと言っているが、そうであれば「死」に関与する権利はどうなのか?「飼育」という不自然な形態をとりながら、「生」にだけ神を持ち出す矛盾。そして極めつけは、子殺しの痛みと悲しみも引き受けたと自らを悲劇のヒロインにしている。私は保健所では不用動物の引き取りをし、学生時代の実習初め、獣医師としてさまざまな動物の安楽死を行ったりしたが、その痛みと悲しみをこうも安く言うことなどできない。さも悟ったように、動物を殺すことをやすやすと正当化すべきではない。
 大新聞にこのようなことを堂々と載せてしまう開き直りは人格を疑う。タヒチには、動物虐待に関する法律はないのか?国外にいれば、日本の法律で取り締まれないだろうと思っての投稿かと思うと、その確信犯的図々しさに腸が煮えくり返って治まらない。

書き加え:
 この作家は開き直ってとんでもないとは思うが、それでも、子犬が生まれるたびに保健所に平然と持ってくるリピーターも五十歩百歩である。
[PR]
by fussyvet | 2006-08-21 23:25 | 動物

小さな鯉と想像力

 自分より弱い国に大国が戦争をしかけた。大国は捕虜に虐待をしていた。捕虜に虐待をした者は言った。
「これは戦争だ。きれい事を言うな!」

 鯉がゆったりと泳いでいた。少年たちがその鯉を釣っていた。食べもしないのに釣っていた。それを非難した者に少年たちは言った。
「お前は魚を食べないのか。きれい事を言うな!」

 弱いものを強いものが攻撃する状況は、どれも似ていると思う。

 どうしてこんなことを思ったのか。中学生くらいの少年たちが食べもしないのに鯉を釣っている光景は近所でよく見る光景だ。今日はその上、一人の少年が小さいために”獲物”としての価値もない小さな鯉を、先端に刃物が付いた棒で突っついていた。
「あっちへ行け!お前に用はない!あっちへ行け!」
執拗な攻撃に小さな鯉は弱り、横を向いて浮いてしまった。

 しばしば、小さい頃に生き物を苛めるのは必要なのだ、そうやって命の尊さを学ぶのだ、と言う者がいるが、私はいつも首を傾げる。命の尊さや相手の痛みに必要なのは「もしも、自分だったら…。」と身に置き換えて考える想像力である。想像力がある者は小さい頃から生き物をむやみに苛めることはないだろう。想像力はどこかで学ばないと大きくなっても弱いものを苛めることは止まず、いずれ捕虜を虐待する兵士となるだろう。小さな鯉を刃物で小突いていた中学生はいつその想像力を習得するのだろうか?

 可愛そうな小さな鯉。
[PR]
by fussyvet | 2006-06-16 20:31 | 動物

ネット上でのネコ虐待殺傷容疑事件

 私は知らなかったのですが、今年起こった事件だそうです。犯人検挙に向けて、嘆願書が募られています。

2006年に2ちゃんねるで起きたネコ虐待事件


 動物の虐待は、”動物”虐待であるだけではありません。弱いものに向かう鬱屈した心の問題です。動物虐待は、子供の虐待等、社会的弱者への虐待に関係するという論文が数多くあります。社会全体が、弱いものを虐げるものになっていることの表れです。そういった社会状況が改善されない限り、事件がなくなることはありません。
 私は、起きた事件の解明・処罰と、動物など弱いものに対する虐待防止は別個に、しかし、平行して行われる必要があると思います。この犯人も虐げられた経験のある弱い者なのかも知れませんが(最初は、「オレはつかまらない。」などと挑発的な態度で嘯いていたのが、途中から、「あれは交通事故で死んだネコだ。」ということが変わっているらしいことからも判断して)、起こしてしまったことに対するつぐないはなされるべきだと思います。倫理的な罪と、社会的な罪、両面から捉えられるべきだと思います。
[PR]
by fussyvet | 2006-05-26 10:53 | 動物