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個人的な関心事の変化と現在の状況に関する一考察

 若いころ、そしてつい最近まで私は日本が嫌いで、アメリカとか欧州に憧れ、どこかに移住したいと思っていました。しかし、今は現在住んでいるこの場所でよい、私はこの国で幸せに生きられると感じています。外国に住んでみたい気持ちはありますが、それは今までのような憧憬ではなくて、単純な好奇心の一つに過ぎません。

 私に動物を取り巻く問題に関する記事を期待してくださっている方々がいらしたなら本当に申し訳ありませんが、最近の私は動物のことよりも人間の方に興味が移ってきています。2008年11月より動物についての記事を別のブログで更新することにしたことは告知済みですが、そちらのブログでさえなかなか更新していません。以前から「人間同士の問題すら解決できていない状況で動物のことまで解決するには至らない。」と思っていましたが、子供を生んでからますますその思いを強くしています。息子を生んでから最初に触れたのはスーダンのダルフール地方におけるアフリカ系住民の虐殺についてでした。多分出産後間もない女性はたいていそうであるように、とても精神的に敏感になっていた私は非道な民兵により残酷に殺される子供たちに関するレポートを読み、我が子に起こったことのように受け止め、以来ずっとその紛争について情報を追い続けています。最近ではガザ地区へのイスラエルの攻撃があったため、それの情報を集めては自分が管理する英語のブログにも掲載していました。するとそこへアメリカの右派およびシオニストと思われる人々からのコメントが殺到して炎上してしまったことは以前のブログにも書いたとおりです。
 その際に感じたことは、独善的なシオニストとアメリカ右派の恐ろしさでした。彼らの中で自分たちの主張は全て正しく正義であり、自分たちが起こした戦争は自衛のための戦争であり、そしてアメリカが日本に落とした原爆は必要で戦争を終わらせて犠牲者をさらに増やさないためには正しかったというものです。今、彼らにとっては敵はアラブ諸国であり、イスラム教徒であり、それらから派生した”テロリスト”でした。
 ”テロリスト”、それから一部のイスラム教聖職者が仕切る国の刑罰は確かに残虐です。しかし、長い歴史の中でたった100年ほど前までアメリカはアメリカの原住民に同じことをしていたし、ヨーロッパも残酷な刑の執行をしていました。悪いのはアラブの人でも他の民族でもなく、どんな民族の中にもいる残酷な人たちです。もっと言えば、誰しも究極の状況下では残虐になりうる。ナチスに虐殺されたユダヤ人もその一部は大戦が終わってまだ数年しかたっていない1948年にパレスチナ人に対して身の毛もよだつ虐殺をしているし、ベトナムではアメリカがソンミ村で罪のない人々を殺しているし、日本人だって大戦が終わったにもかかわらず国内で同じ日本人を虐殺している。
 この一か月、私の頭の中はイスラエルとそれを支持するアメリカへの憎しみでいっぱいでした。時期悪く手元にツタヤから「シンドラーのリスト」のDVDが郵送されてきましたが、しらじらしくてそれを見ることもできなかった。そんな感情を修正するため、イスラエルを非難するユダヤ人団体を探し、アメリカの感動ものの映画を見ました。自分の中に怒りだけを占有させておいてはいけないと思ったからです。そして、何とかまた平常心に戻ることができました。
 今あらためて思うのは、戦争というのは政治的なものであるということ。政治家とか特定の組織のリーダーが起こすものであって、そこへ一般市民の思いや苦しみは全く加味されません。それに心痛める人はアメリカ人であっても、ユダヤ人、韓国人、中国人、日本人、アラビア人であっても、戦争の中でどうしようもない悲しみと怒りにもだえる人たちのため声を上げずにはいられない人がいるのであって、私はそういう人を、どこの国の人でどこにいても応援したいと思いました。
 そして、何よりも大切なのは今ある生活の中で接する人、家族、大切な友との関係を楽しみ大事にすること。

マザー・テレサの言葉
「(世界平和のためには)帰って家族を大切にしてあげて下さい。」

 紛争を起こさないようにすること。そのためのお金の使い方、リーダーの選び方をもっともっと学びたい。
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by fussyvet | 2009-02-14 00:50 | 徒然

ガザ停戦-雑感

 イスラエルによる今回のガザ攻撃は私がちょうどクリスマスの楽しさに浸っている頃に起き、年明けて3人の幼い子供たちが亡くなって横たわっている写真からいてもたってもいられなくなり、赤ん坊や幼い子供が狙撃された傷口を見たときはもうイスラエルに対する怒りが頂点に達して、とにかくこれを多くの人に見てもらわなければと思い、英語のブログにも載せたりしていた。そしたら、アメリカの愛国主義の人たちとかシオニストと思しき人とかが集まってきて”炎上”してしまったのだけれど、その中に面白いことを言うユダヤ系アイルランド人がいて、その人とコメントのやりとりを延々とした。彼曰く、これらの映像等は皆ハマスよりの人、ナチス、あるいは反ユダヤ主義の人やメディアから出たものだと。それで、彼の言うところの中立な動画を教えてもらった。
 そこには結婚式で歌を歌ったという理由だけで自国パレスチナの出席者を銃撃(新郎は殴り殺された)するハマス、ハマスの人間を乗せて逃げ去る国連の救急車、さらにはハマスが学校にしかけた爆弾のトラップ等が出てきて確かにハマスが恐怖の政党であると思わせられた。私が見た子供たちの死体もハマスが撃ってイスラエルが殺したように見せたのかも知れない。ハマスがこの数年で何百民もの自国民を殺しているし、ダルフールやスリランカではもっと大勢の人が犠牲になっているのに、それをメディアは今回のイスラエルの攻撃ほど気にしていなかったのに、イスラエルが攻撃を仕掛けた途端にイスラエルを糾弾する、と。確かに日経新聞の国際欄では今回のガザ攻撃の記事はこれまでのダルフール紛争の記事よりも圧倒的に大きく取り上げられていた。まあ、経済新聞だから、経済が大きく動くことしか取り上げないんですが。
 どこの宗教、国にも原理主義が存在していて、だからどちらが良いとか一概には言えない。
 どんどん情報を集めていくうちに、これ以上は抜け出られなくなりそうなほどの深みにはまる。どちらが正当なことを言っているのか一概に言えない。ただ確かなことはガザで多くの子供たちが無残な死に方をし、手足を失い、それを嘆き悲しむ家族がいること。遠くに住む人間ができることはやはり祈ることしかない。
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by fussyvet | 2009-01-19 22:08 | 世界の話

いわゆる”まじめな”人生の美徳

 親子三人、私の実家への帰省から戻ってきた。とても疲れた。年を重ねると負うものがどんどん増えるということを実感している。
 昨夜、唯一一人になれる深夜にあてもなくボーっとテレビを見ていたら、NHKで瀬戸内寂聴さんによる「光源氏」の解説番組をやっていた。多分、再放送だったのだろうと思う。私は彼女が大好きだ。まだ若く不安定で情熱に振り回されて生きていた頃、なぜだか漠然と私はいつか年をとったら彼女のように出家するはずだと思っていた。結局、今はクリスチャンで、出家どころか結婚して子供まで作っていわゆる「安定した生活」を送っているから、仏教で出家した瀬戸内さんとは違う道を歩んでいるが、それでも信仰生活に入ったことでは同じである。だから好きというわけではないが、本当に心底尊敬しているし、いつか機会があったら説法も聞いてみたい。
 それほど尊敬し愛している彼女なのだけれども、昨夜のその番組の中で違和感を覚えのどに詰まった言葉が今でも引っかかっている。どんな場面の解説でだったかは忘れたが、世の中にはまじめに道を踏み外さずに生きている人もいれば、そうではなく情熱にほだされて道を踏み外した人生を送ってしまう人がいる。後者は倫理的に間違ってはいるが豊かな人生を歩むというような旨だったと思う。
 それではまじめに道を踏み外さずに生きている人の人生は豊かではないのだろうか?

 若く情熱に忠実に生きていた頃、確かに情熱を無視して倫理的な道に従う人生などつまらぬと思っていた。が、今はなぜ自分は情熱だけに従ってまっとうな人の道を無視してきたのかと口惜しく思う。息子には情熱も大切だが、きちんとした人生を選択して歩んで欲しいと思うし、若い人には自分の反省を語り同じようなことは苦しみを味わうことはさせたくないと思う。しかし、それらは私が若いころに情熱に振り回された人生を歩んだからこそ反省できるのであり、道を踏み外さない人生の価値を見いだせるというのだろうか?
 情熱に振り回されるのは大方の人が経験することであり、違いは結果的にどんな選択をするかだろうと思う。そのまま情熱にだけ従うのか、そうではなく人道的なことを重視して生きていくのか。私は人生は経験がすべてだと思い、ほとんどすべて自分の情熱のとおりに生きてきたように思う。そうしなくては生きていけない性質だったからであり、そうでないコツコツまじめに道を歩んできた人を本当に尊敬する。かつては馬鹿にしていた平凡な生活を営む者の苦労を遅ればせながら経験し理解できるようになり、それらを共有できるようになった今、心底幸せであると思うし、早くからその道を知った友人たちの人生を素晴らしいと思う。当然、迷いもしただろう。それでもいわゆる“まじめに平凡に”道を踏み外さずに生きてきた者たちの人生を心底恵まれたものであると思う。

 瀬戸内さんは自身も若いころにいろいろあったことで思慮深く、それゆえ同様に道を踏み外しながらも苦悶しながら一所懸命に生きている人を称えてそのように言ったのだろう。結局は迷いながら今をひたむきに生きている人間の姿は美しい。それが波乱万丈な人生であれ、傍目からは平らに見える道であれ。そこにつきるのだと理解したい。
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by fussyvet | 2009-01-03 23:30 | 徒然

存在価値を今でも見いだせない者のくせ

 幼い頃から、一人で活動することが多かった。ひとりで預けられていた祖父母宅の裏山に上っては駆け下り、近所を探検し、家遊びをする。仲良しは少し離れたところに住む1つ上のかよちゃんだけ。それでも1つ上のかよちゃんは速く走る方法を教えてくれたし、私のわがままには年上らしく1歩引いて接してくれたし、大好きで、外の世界は保育園とかよちゃんとの世界だけだった。
 小学校に上がると、なぜか「友達になって。」と言ってくれる子がいた。でも、私はどうしてあげたらいいのか分からず、結局その子から1歩遠ざかったまま、無視してしまうような形になることもあった。どうして彼女が私を好いてくれたのか全く分からず戸惑うしかなかった。(彼女は中学校に上がると不良になっちゃったけど、私が友達になっていてあげたら、違ったかな、などと思ったりもする。)

 兎に角、私はこの広い世界の中で自分がどういう位置にいるのか、自分の価値もなにも分からず、それにより不安定なったり、人間関係を崩したり、苦しんだりすることが多かった。

 今でもそのくせは変わらない。時給1,100円だと不満を言っているが、私なんてそれくらいの価値しかないと思う自分が心の中の大部分を占めている。だから、それを打ち消すために時給をはるかに上回る労力を費やし、自分の価値を決定しようとしている。それが今消耗している理由の根っこだろうと思う。

 そこまでしなくても価値を認めて欲しい。自分の存在価値すら見いだせない者はいつも救いを求めている。

 神様だけは言ってくれた。
「私の目にあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。(イザヤ43:4)」
今でも変わらず私の救いの言葉である。

 神なしに私の存在はあり得ない。

 最近アクセス数が少ないのをいいことに個人的なことを書いていますが、またそろそろ元に戻します。
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by fussyvet | 2008-08-04 23:31 | 神様を愛してる

依存癖と神のいますところ

 牧師さんに手紙を書いた。なかなか教会へ足を運べないが、いつも気にかけてもらっている。胸の内を話さずにはいられなかった。そんな心にしたのも神様だろうと思う。
 日々心身ともにとてもしんどいこと、一人になりたいと思っているのに教会へ行けば仲の良い夫婦と見られることがつらいこと、云々。返事が来た。こういうとき、古くからの封書はとてもいい。読んで涙が出てきた。

 もともと依存癖がある。それに気付いたのは30を過ぎてからだが、今思えば小さい頃から何かしらあった。爪を噛む癖、電柱やタイルなどをついつい数えてしまう癖、テレビ、その他何かスペシャルに楽しいことがなくては生きていけなかった。生きにくさには気づいていたが、それが自分のどんな生い立ちの部分にあるのか、なんとなく気づくまでに時間がかかった。
 以来、今度は逆にとにかく何かを続けている自分に気づいたら、それを断つようにした。映画、ネット、甘いもの…。するとまた、それらを断つことに神経質になってしまう。こうなったらもう開き直るしかない。

 何か心配事や考え事を抱えると爪を噛み、休日一人になれば昼間からビールを飲む。

 牧師さんには神様がいた。手紙を書いてよかった。またしばらく生きていける。
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by fussyvet | 2008-08-02 10:47 | 神様を愛してる

我が身を哀れに思わずにはいられない哀れ

 学生時代の飲み仲間(男性)で、最も近しい友人の一人であったヤツが、昨年母校の教授になり、さらには今年その大学の目玉機関の副センター長にまでなっていることに最近気がついた。確かに大胆不敵でいろいろな意味で頭もよくユニークなヤツだったから、その器にはぴったりだと思うし、素直に「すげえや。」と旧友としては自慢に思う。が、同時にどうしようもない”痛み”にのたうち回らなければいけない今の自分の状況が本当に哀れだ。
 ヤツと比べてこっちは時給1,100円でパートタイムで実験を行っている身だ。子供が熱を出せば、何をおいてでも休まなければならないし、勤務時間内であれば保育園から呼び出しを喰らい、息子の心配をしつつ実験をどうするかで頭を悩ませる。喘息持ちの子供ゆえ、夫の扶養内で働いた方が安全である。どんなに「フルタイムの研究員にならないか?」とありがたい話をもらっても、いつ子供の体調が悪くなって休まねばならないかわからないことを考えたら、受けることを躊躇してしまう。そんなこんなで臆病になってしまっているのに、これから仕事でキャリアを伸ばすことなんて考えられない。ましてやどっかの教授なんてあり得ない。
 どうして同じように飲んでいた仲間とここまで違ってしまったんだろう?ヤツは男で私は女だ。ヤツにない子供が私にはある。が、男であるヤツはこれから仕事もそのままに子供を持つことも可能だ。いやいや、人生の良し悪しは物事の有無では測れないはずだ。そうだ、そんなことは頭でわかっている。
 それでも感情が許さないのだ。どんなに自分を慰め、励まし、考え方を変えようとしたところで悔しさを抑えられない。ヤツは最近テレビにも出演している。幸いテレビをあまり見ない私はまだ見たことがないが、これからメディアの露出も増えてくるだろう。そして偶然私はヤツと対面するのだ。”華”と”影”として一方向性に。その時、私はテレビを壊さなければいいが…。
 冗談はさておき、あまりの感情の高ぶりを抑えるため、緒方貞子さんが高齢出産で40代から本格的なキャリアを積んだ話や他の女性のいきざまを探してみた。男と女の人生は違って当たり前のはずだ。今の私にぴったりの見本はいないのか?だが、緒方さんにしたって名家の出で、子育てがひと段落した時に戻る場所は確保されていたはずだろう。育ちの悪い私などとは所詮ベースの境遇が違う。以前、感性が似ていると言われた田口ランディさんのブログを覗いた。ああ、似ている。年も近いし、家族の悩みなど苦労話も安心する。いや、待てよ。彼女は既に売れっ子作家だ。名前の売れ方が違う。ネットで探していても、出てくるのは著名人ばかり。全て比べて結局は落胆する、同じことの繰り返しだ。「いやいや日本は紛争もなく平和なんだから、安心して子供を育てられることに感謝すべきだ。」などと良い子にもなってみるが、そんな嘘は持続するわけがない。
 再びどん底まで落ちそうである。外界に通じる全てのスイッチを消して引き籠りたい気分だ。出産後、腰痛を抱え、体が疲れやすく、体調が最悪の状態が続いているのもこの最悪の気分に拍車をかけている。それに最近幼馴染の男友達が頻繁に夢に出てくる。なんて欲求不満な。夫への不満は既に男女関係を打ち消してしまっている。

 飲み仲間だったヤツと私、どこでどうしてこんなに違ってしまったのか。せめて子供は持ってくれるな、過激なアニマルライツに叩かれて苦労しろ、などと浅ましい呪いすらかけてしまう。
 どうして開業しないのか、とか、○○さんならもっといいところがあるでしょう、とか、何も知らない親切な人たちは言ってくれる。開業は資金と経験がなければできないし、この年で幼児を抱えた女をすんなり雇ってくれる研究所などそうそうあるわけない。しばらくはうつうつとしたまま、旧友の境遇を羨んで身もだえし、悔しさで枕を涙で濡らし、夫に不満を爆発させ、全てを諦めたと自分を達観させ、息子の可愛さだけに救われつつ、癖のあるボスの下で安月給でいいように利用されるしかないのだろう。…そうか?なんて悲しい人生。「ああ、そんな時期もあった。」と死ぬ前に懐かしく思い出せるようになっていますように。
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by fussyvet | 2008-07-27 15:40 | 徒然

「海と毒薬」

「海と毒薬」
出演: 奥田 瑛二、渡辺 謙
監督: 熊井 啓
原作:遠藤 周作

 この作品を見るに際は、「人体実験は許されない行為である。」という現代の社会通念上の倫理観を頭の中から全く排除して見なければならない。
 全編にわたって白黒映像だが、決して古い作品ではなく、そのモノトーンが戦時中であることを演出し、また劇中の生々しい手術場面をマイルドにしている。注意しなくてはいけないのは、その白黒画像のために、これは現代とは全く違う時代に起こった、現代では絶対に起こりえない事件であると惑わされることだ。同じことは条件がそろえば現代日本でも起こりうるし、世界中には今でも同じことが起こっている可能性がある国がある。
 生体実験に供されたのはB29に搭乗していたアメリカ兵であり、何度も空爆に参加したために銃殺刑に処される運命にあった捕虜である。生体実験に用いられなくても銃殺で死ぬ運命であるならば、生体実験に用いた方が医学の進歩に役立つし、麻酔下であるために苦痛を感じずに死ぬことができる。それにどうせ戦争中という時代では誰しも戦争で死んでしまう。それならばどうせ処刑されるものを生体実験に使って何が悪い。…若き日の渡辺謙の言葉にどれだけの人が反論できるだろう。「誰でも俺たちの立場になれば同じことをする。人間の良心なんてそんなもんだ。」
 主人公は悩む。人を生かすための医学であるはずなのに、自分は人を殺してしまう。そんなんこと許されるのか?(同じ悩みは学生時代に獣医師を目指していた私も抱えた。)

 結局、主人公も生体実験に参加することになってしまうのだが…。ここで「主人公は弱い。自分なら絶対に拒む!」という者がいたのなら、私はその人を信用できない。むしろ「同じ立場であれば、自分もどうするかわからない。」と思っている人でないと。なぜなら、この映画でなくても、これまで、そして今でも世界中で起こっている虐殺行為はどちらかというと普通の真面目な人間が直接加担してしまうことが多いからだ(隣人が隣人を虐殺したルワンダの例は記憶に新しい)。「自分だけはそんなことしない。」ではなく、「自分もいざとなったらわからない。」と自戒しておかなければ「人間なんていざとなったらわからない。」
 日頃から特定の行為について”悪”であるという決定を下している人には特に見て欲しい作品。人間の良心ほど社会状況や個人の境遇に左右される流動的で脆いものはない。誰でも起こしうることだし、且つ必ずしも好き好んで起こしてしまうものでもない。
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by fussyvet | 2008-03-07 23:13 | 映画

思想的マイノリティがド真面目に娯楽大作を解説する「ロビンフッド」

 映画「ハリーポッター」シリーズのスネイプ先生に恋してしまい、アラン・リックマンを追いかけ中に見た「ロビンフッド」(主演はケビン・コスナー)を私のような思想的マイノリティと思しき人間がくそ真面目に分解、

解説するとこうなる。(ネタばれあり)
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by fussyvet | 2007-09-10 14:15 | 映画

「天使のいないところ」

 虫の知らせなのか、昨夜なぜか急に思いついてテレビ欄をチェックしたら、23時からNHKのBS2で「erⅩⅡ 緊急救命室」が予定されていた。タイトルは「天使のいないところ」。なんとなくピンときてネットでチェックしたら、やっぱりダルフールが舞台の話だったので久しぶりに時間を狙ってテレビをつけた。タイトルからして、現在のダルフールの悲惨な状況が描写されているのだろうと思った。確かに悲惨だった。難民キャンプの外に出た途端銃撃された男性がキャンプの簡易診療所に運び込まれ、アメリカから「国境なき医師団」のメンバーとして派遣された2人の医師と現地の医師らが救命処置を施している。そこへスーダン警察が現れ、重体の彼を連れ去っていった。彼の妻は臨月だったが、夫が撃たれたショックで産気付く。子供が危険な状態だったので、近くの医院へ運んで出産させようとするが、急遽帝王切開に。子供は無事生まれるが母体の出血が止まらず、自身も重症疾患を患う現地の医師とアメリカから来たアフリカ系医師の方が遠方の病院へ彼女を搬送することにした。途中、ジャンジャウィードと出会い銃撃を受け、エンジントラブルで車が止まる。身体が悪い現地の医師は歩けない。仕方なく彼を砂漠の真ん中においてアメリカ人医師が患者を徒歩で運ぶ。再び車が現れ、敵ならば終わり、味方ならば助かるが果たしてどちらなのか。「天使のいないところ」という言葉は搬送される途中で患者の女性が言った言葉だが、結局、この物語の中で味方は誰も死ななかった。生まれた子供には現地語で「希望」を意味する名前がつけられる。アメリカのドラマだ。悲惨な映像を見せるのにも限界がある。そして、「救い」を持たせないと視聴者はげんなりする。全てそういう配慮から来たものだろう。

 ここに本物の「天使のいないところ」がある。

ミア・ファローのブログ(2007年8月24日付けの記事より抜粋、和訳:fussyvet)

I have just returned from my 7th visit to the region.
7回目の渡航から戻ってきたところだ。

My first trip into Darfur was in 2004. Simply put, it changed the way I needed to live my life.
I don't think I have the words to convey, to adequately represent what I have seen and heard there.

最初にダルフールを訪れたのは2004年。簡潔に言えば、その経験により私は必要とする生き方が変わった。
そこで見たこと、聞いたことを十分に表す適当な言葉がない。

(中略)

The stories of those who survived the attacks are numbingly similar; without warning Antonov bombers and attack helocopters filled the morning skies and rained bombs upon homes and upon families as they slept, as they played, as they prayed, as they tended their fields. Those who could run tried to gather their children and they fled in all directions. But then came the Janjaweed, government backed Arab militia- on horseback and on camels (and more recently in vehicles) They came shouting racial epithets and shooting. They shot the children as they ran, they shot the elderly. I spoke to mothers whose babies were shot from their backs, or torn from their arms and bayonetted before their eyes. Where was God when the children were tossed into bon fires Where was God when the young mans eyes were gouged out with knives. Strong women in frail voices described their gang rapes - some were abducted and assaulted continuosly over many weeks. "No one came to help me" they said and they showed me the brandings carved into their bodies, and tendons sliced and how they hobble now. "Tell people what is happening here" implored Halima. Three of her five children had been killed. "Tell them we will all die. Tell them we need help. " I promised Halima I would do my best to tell people. In camp after camp and deep in my heart I have made this promise over and over and over.

攻撃を生き抜いた人々の話は皆同じで感覚が麻痺する。警告もなく、アントノフ爆撃機と攻撃用ヘリが朝の空を埋め尽くし、寝ていた、遊んでいた、祈っていた、畑の手入れをしていた家族と住居に降り注いだ。走ることができた人は子供たちを集めて八方に逃げた。しかしまもなく、スーダン政府に援助を受けたアラブ系民兵が馬やラクダに(最近は車でも)乗ってやってきた。人種差別的な罵りの言葉を吐きながら銃撃にきた。彼らは走る子供や老人も撃った。私は背負った赤ん坊を背後から撃たれたり、抱いていた赤ん坊を引き離され銃剣で目の前で刺されたりした母親たちに話しかけた。子供たちが火の中に投げ込まれたとき神はどこにいたのか、若者の目がナイフでえぐり出されたとき神はどこにいたのか。気丈な女性たちがか細い声で集団暴行について語ってくれた。連れ去られ、何週間も連続して強姦された女性もいる。「誰も助けに来てくれなかった。」彼女たちはそう言って身体に彫られた烙印や切断された腱や、そして今は足を引きずって歩かなければならない様子を見せた。「ここで起こっていることを伝えて下さい。」Halimaが懇願した。5人いた子供のうち3人が殺された。「我々はみな死んでしまうと伝えて下さい。助けが必要だと伝えて下さい。」私はHalimaに全力を尽くして伝えると約束した。キャンプを渡り歩くたびに何度も何度もこの約束を心の奥深く刻んだ。

Halima begged for protection three long years ago and still no one has come. What does this say about us.

Halimaは3年も前に助けを請い、未だに誰も来ない。これを我々は何と言ったらいいのか?

We look at Rwanda and we see the abysmal failure of the United Nations and of all the nations of the world. Collectively and individually we failed in our most essential responsibility protect the innocent from slaughter and suffering. After the Nazi Holocaust we vowed "never again". How obscenely disingenuous those fine words sound today. As we look at Darfur and eastern Chad -a region that has been described as 'Rwanda in slow motion' are we to conclude that 'never again' applies only to white people?

我々はルワンダを目の当たりにし、国連と全世界の国々の最悪の失態を学んだ。集団でも個人でも虐殺と苦しみから罪のない人たちを守るという最も本質的な責任を果たさなかった。ナチスのホロコースト後、我々は「二度と起こさない」と誓った。現在、これらの美辞麗句がいかに鼻持ちならぬほど不誠実に聞こえるか。「スローモーションのルワンダ」と表現されてきたダルフールとチャド東部を見るとき、「二度と起こさない」という言葉は白人だけに適用されるのだと結論付けるのか?

As we look at world leaders, at our own governments and at the paralysis of the UN we see that they are mired in self-serving interests. What are we to do about this? I tell my children that "with knowledge comes responsibility". Yet our leaders do not reflect this at all.

世界のリーダー、我々自身の政府、麻痺した国連を見ると利己的興味から抜け出られないでいるのだとわかる。我々はどうすべきか?私は自分の子供たちに「知っているということは責任があるということだ。」と言っている。しかし、我々のリーダーはその言葉を全く反映していない。

Still, I believe that most people are good. Most of us do not want innocent people to be slaughtered. Most of us wish others well and hope for a world in which all people everywhere can be safe.

それでも、私はほとんどの人は良い人であると信じている。我々のほとんどは罪のない人々が虐殺されるのを良しとしない。我々のほとんどは人の幸福を願い、全ての国の全ての人が安全に暮らせる世界を望んでいる。

(中略)

We are hoping that caring people of the world will band together and with one voice demand an end to the terrible crime of genocide.

我々は世界中の人を大切に思う気持ちが一丸となり、声一つで虐殺という恐ろしい犯罪を終わらせると願っている。


-引用ここまで-

 こんな状況、母親から剥がされた赤ん坊が銃剣で突き殺されたり、人が目を抉り出される場面など残酷すぎてテレビドラマで描写できない。しかし、テレビドラマで放映できないほどのことが現実に起こっている。テレビなどで悲惨なシーンを見て私たちは自分たちが平和な中にいて恵まれていることを実感する。そして神に感謝する。もしもダルフールで起きているようなことが、平和な中にいてそれを実感できず不平不満を言って過ごす私のように不遜な人間に“幸福”というものを知らせるため神が許しているものだとしたら、私は最悪に汚い言葉で以って神を罵ろう。しかし、私たちは試されているのだ。この状況を知って何もしないのか、と。できることを探せないのか、と。ミア・ファローのこの最後の言葉がそれを祈っているし、彼女も現地で直接見て聞くという役割を神から与えられ、それを忠実に守ろうとしている。ニュースを見ながら、「ああ、可哀想だね。」と思い、次に「あそこに住んでいなくてよかったね。」と思うだけの人々で世界が埋め尽くされているとしたら、それは神がいずれ人類を破滅に導く怒りの中にあるのだろうと思う。

日本ユニセフ
国境なき医師団
Petition the International Olympic Committee
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by fussyvet | 2007-08-28 11:34 | 世界の話

韓国人の人質がまた一人犠牲になって…

 こんなことばっかりで本当に嫌になる。最近は右傾化した人たちがお隣の国の人をぼろくそに叩いているし、逆にそのお隣の国の人が執拗に過去の日本の過ちだけを取り上げて難癖をつけてくるけれど、誰かが理不尽な理由で殺されてしまったと聞けば、それがどこの国の人であれ一人の人間として居た堪れなくなる。このニュースの人質はキリスト教会の人だというから、私は余計に気にしているのかも知れないが、こんな理不尽なことを聞けば、神に向かって罵りたくなってしまうときもある。人間同士で、なぜ無残な事件ばかり起こるのか。本当に人間なんて…と自分が人間であることが嫌になるし、それを大きな手で導いているのが神だとすれば、どうしてこんな悲惨な出来事を起こさせずして、導かないのかと怒鳴りたい気分にさえなる。
 最近、動物関連の仕事ではなく、人のためになる仕事に関心がある自分に気付いた。動物の問題を解決するにはまず人間自身の問題を解決していかないことには達成されないだろうという考えから接していくうちに、自分自身も関わりたいと思うようになってきた。自分が役に立つのなら、事務でも電話番でも何でも良い。獣医なんて資格はこちらからくそ食らえ、だ。尊敬できる、信頼できる相手がいない世界にいつまで拘る必要があろうか。この世界に辟易していたこともきっかけかも知れない。どっちにしても、導き手にお任せだ。近頃祈る言葉はいつも決まっている。

「私を生かすべき場所で生かして下さい。」

 多分、今は息子のそばがその場所なんだろうな。
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by fussyvet | 2007-07-31 10:38 | こうして社会は回ってる