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虐待、そして体罰が連鎖する一因子

私は息子を叩いたことがある。とても反省しているし、その都度息子に「ママが悪かったよ。ごめんね」と言って抱きしめてきたが、思い出せば後悔のあまり心が痛み、切り裂かれそうな思いになる。個々の体験を詳しく思い出すことはできないが、とにかく自制が効かないほどイライラしていたことだけは覚えている。

虐待の連鎖という言葉がある。私自身、物心がついたころからキレる父親にビクビクしながら生きてきた。キレるのは年に一、二回のことだったが、一度キレると次回はまたいつキレるのかと恐ろしくて、その恐怖心を忘れた頃にまたキレての繰り返しで、恐怖に支配されない一年がないまま、大学生になって遠く一人暮らしを始めるまで過ごしたように思う。

自分の体験から、親からされて嫌だったことは息子にすまいと誓っていたはずである。その私が、その誓いを忘れて息子に手を上げる直前、心の中で思ったことがある。「恐怖で子供を支配してはいけない、それは分かっているはずじゃないか。いや、それなら、その下で育った私は何者なんだ。人間じゃないのか。自分が育った環境を否定することは今の自分を否定することなんじゃないか。だったら、少しくらい手を上げても構わない、いや寧ろ必要なこともあるんじゃないか。」

こうして虐待は連鎖された。もう二度としない。自分の中の連鎖を止めるための予防をしている。自制が効かなくなりそうだと思えば、主治医から処方された薬で心を落ち着かせている。

ふと最近の体罰問題が思い浮かんだ。体罰を肯定する人は、それによって育てられたと信じている、今の自分の在り様を否定されるのが怖いんじゃないだろうか。自分が崩れてしまうからだ。

一度は自分を崩してみることも必要なときがあるだろうと思う。砕かれた破片の中から光るものだけを集め、自分を再構築する。それも大人になる一過程なんだろうと思う。

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by fussyvet | 2013-02-07 11:04 | 家族