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「感謝して使う」?

 「実験動物を感謝して使う」とかいう人がいるらしいが、私はこの言葉が大嫌いだ。「馬鹿でないか。」とすら思う。

 どんなに感謝して使われようが、実験動物にしてみれば、何一つ不満の無い生活から意思に関係なく離脱させられ、自分たちにとって要らぬ手術を施され、苦痛に喘ぎ、時には死ぬことすらある。発展途上国におけるチョコレート生産現場での過酷な児童労働を知った者が「感謝してチョコレートを食べましょう」と偽善顔して安いチョコレートを食べ続けブクブク太り続けるのと等しく滑稽である。先進国のメタボ人間のために過酷な環境下で酷使される子供たちにとったら、感謝されるよりフェアトレートのチョコを食べてもらう方がよい。実験動物にとったら、感謝されるより使用数を減らしてもらったり、苦痛を軽減してもらったり、自分たちを使う以外の方法を考えてもらった方がよほどよい。
 こういう場合に「感謝して」という文節を使う人を見るたびに、それを大義名分にして己を弁護し、正当化を図っているようにしか見えないのだ。吐き気を催す。研究施設で「畜霊祭」が行われるが、これは実験動物に感謝するために行うのではなく、人間が犠牲にしている命があることを忘れないためにあるのだ。動物の霊は形式的な「畜霊祭」ごときで鎮まるわけがない。

 いろいろなことに心から感謝することは大切なことだ。だが、これは個人の内省作業においてのみ言えることであって、軽々と自分以外の真に苦しんでいる対象へ口にする人について言えば、自己弁護の大義名分以外のなにものでもない。
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by fussyvet | 2008-08-27 01:50 | 動物

身体の一部と共に未来さえ失われる子供

 ミア・ファローのブログからの和訳(by fussyvet)です。ミア・ファローのブログには今回和訳した話の子供の写真もあります。いまだにスーダン政府軍はダルフールの難民キャンプすら攻撃する始末。Bakitのような子供が増えたのかと想像したら、早くバシルがICCに逮捕されることを祈ってしまいます。

2008年8月24日
August 24, 2008

Collateral Damage
Bakit Oumar is seven years old. He lives with his grandmother and his 8 year old brother in Koubigou, a camp for displaced people near Goz Beida. Their village was destroyed by Janjaweed. They have no father. More recently their mother abandoned them. They have nothing. They have never seen a toy.

巻き添え被害
Bakit Oumarは7歳。Goz Beida近郊にあるKoubigou難民キャンプに祖母、そして1つ上の兄と共に暮らしている。彼らの村はジャンジャウィードに破壊された。父親はいない。つい最近、母親に捨てられた。彼らには何もない。おもちゃを見たことがない。

In January, 2008 things got a whole lot worse. While the boys were playing near their home they came upon something unusual. It was a rocket propelled grenade. Goz Beida has been attacked many times. The surrounding area is littered with the stuff of war. The grenade exploded tearing off Bakit hands, most of one arm and part of his face including his eye.

2008年1月、状況は全く悪化した。この兄弟が自宅のそばで遊んでいたとき、見慣れないものを見つけた。携行式ロケット弾だった。Goz Beidaは何度も攻撃を受けてきた。周辺には戦火の遺物が散乱している。そのロケット弾は爆発し、Bakitの両手、片手のほとんどと目を含む顔面を吹き飛ばした。

Unicef was notified and they evacuated the child to the capital hospital where they saved his ilfe and did what they could. Bakit continues to fight infections. He told us, "I want my hands". Little Bakit does not smile any more. Ever.

ユニセフが通知を受け、彼を大きな病院へ避難させ、命を助け、できることをした。Bakitは感染症と戦い続けている。彼は私たちに言った。
「手が欲しい。」
幼いBakitにもはや笑顔はない。永遠に。

☆ダルフールの惨状が映像でわかります。
2005年7月9日放送NHKスペシャル「アフリカゼロ年 第1回 ジェノサイドを止めるのは誰か」 by ニコニコ動画(要登録)

☆ダルフール紛争で惨殺されている子供たちを救うための各種署名にご協力下さい。
Globe for Darfur
国連日本代表部への嘆願書送信について
Petition the International Olympic Committee

☆駐日スーダン大使館へダルフール紛争解決に向けた要望を送る1クリックアクションにご協力下さい。
アムネスティ

☆ダルフール紛争に関する募金サイト
国連難民高等弁務官事務所(こちらは資金不足が深刻で、ダルフールが援助縮小の危機にあるそうです(参考))
日本ユニセフ
国境なき医師団
オックスファム・ジャパンのスーダン緊急支援
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by fussyvet | 2008-08-27 01:46 | 世界の話

自己憐憫

 14日ぶりの休日。と言っても仕事自体は先週お盆休みを取っているのだけれど、やんちゃな幼子を抱えた身でありまするゆえ、仕事休みが真の休日にはならず、だから今日が実質14日ぶりの休日なのだ。
 一日オフになるとゆったりと時間の中でじっくりと自分の状況を見つめることができる。忙殺されている日常では感じられなかったが、なんやかや言って自分は今幸福なのだろうと思うことができる。そして、今までの事からこれからどうしたいのかも自分自身に尋ねてみることができる。貴重な時間だ。

 「G.I.ジェーン」という映画の中に出てきた言葉が最近よく思い浮かぶ。
「小鳥は凍え死に枝から落ちても決して自分自身を哀れとは思わない。」
"A small bird will drop frozen dead from a bough without ever having felt sorry for itself."
映画の中で…ロレンスと言っていたので、てっきり「知恵の七柱」を著した「アラビアのロレンス」ことT.E.ロレンスの言葉だと思い、「さすがだな。」と感心していたのだが、実は「チャタレイ夫人の恋人」の作者D.H.ロレンスの方だと知ったのはつい数日前だ。"Self Pity"(自己憐憫)という詩の中の言葉で、映画の中で最も印象的に残っていた。

 ゆったりとした時間はその分現実の忙しさに戻ることを難しくする。子供を迎えにいき、またいつものやんちゃに当たったとき、心底ブルーになった。夫に子供の入浴を任せ、自分一人で浴槽に浸かっているときは思わずそのまま沈みたくなってしまうほどだった。まさに自己憐憫の中にある。
「6年間も大学で専門の教育を受けて、国家試験に受かったのにこのざまだ。」

 野生動物は生きることしか頭になく、どんなに厳しい状況にあってもそれを哀れだとか、理不尽だとか思わない。

 私も詩集を読まなきゃな。
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by fussyvet | 2008-08-21 22:17 | 徒然

理解できることの安堵感

「ママでは銅」に笑顔なし
8月9日21時14分配信 産経新聞

 「銅」を手にした谷に、笑顔はなかった。準決勝に敗れた後の、3位決定戦。ボグダノワ(ロシア)に鮮やかな払い腰を決め一本勝ち。日の丸を振る応援団には両手を振って応えたが、畳を降りると、うつを向いた。
 よもやの判定だった。
 ドゥミトル(ルーマニア)との準決勝。上背があり奥襟を狙うドゥミトルと、リーチをかいくぐって中に飛び込みたい谷。互いに攻め手を欠いたまま、2分すぎに、両者に2度目の指導。そして、傍目にはそれまでと変わらぬにらみ合いが続いたまま、残り34秒で主審が3たび、「待て」をかけた。だが、指導が下ったのは、谷だけ。
 一瞬、谷はあっけにとられたように畳に立ちつくし、副審2人を見やったが、判断は覆らず。慌てて攻勢に転じるも、時間は足りなかった。
 「ママでも金」。北京では1つの使命を自らに課した。2003年12月にプロ野球選手の谷佳知(巨人)と結婚し、アテネ五輪後の2005年12月には待望の長男・佳亮(よしあき)ちゃんを出産した。もうひとつの夢だった「母親」として、柔道から遠ざかり育児に専念した。
 昨年3月に練習は再開したが、出産前までの練習環境が戻るはずはない。佳亮ちゃんが夜泣きすれば起きてあやし、朝方には家事もきっちりこなす。育児との両立は楽ではなかった。
 五輪代表選考会を兼ねた世界選手権(リオデジャネイロ)が9月に控えていたが、5月には乳腺炎にかかり、あまりの激痛で10日間の静養を余儀なくされる不運にも見舞われた。
 だが、残り2カ月という短期間で急ピッチで調整すると、世界選手権で見事に優勝。「出産してスタミナがついたかな」。苦労を表に出すことを嫌う性格だが、冗談交じりに喜ぶその目には、うっすらと涙が光った。
 振り返れば、五輪では毎回、自分に重圧をかけ、そのたびに有言実行を果たしてきた。金メダルが確実視されたバルセロナ、アトランタでは2位。雪辱を胸に秘めた3度目のシドニーの直前には、報道陣の前できっぱりと言い切った。
 「最高で金、最低でも金」
 結婚した翌年のアテネでは、姓が「田村」から変わったことを受けて、こう言った。
 「田村でも金、谷でも金」
 幸せいっぱいのコメントに聞こえるが、そうではない。アスリートとして、結婚も出産も育児も、敗北の言い訳にはならない。長年、世界の最高峰に君臨し続けてきたプライドがあってこその、北京五輪での「ママでも金」宣言だった。
 筋肉量、骨格はアテネのときとほぼ同じレベルを維持していた。「誰がライバルというより、自分の柔道をする」。普段通りの強気で臨んだ舞台。だが、3連覇の夢は露と消えた…。
 世界選手権優勝7度を誇る、日本女子史上最強の柔道家も32歳。12年前、アトランタ決勝で敗れて以来の五輪での敗北だが、あのときの1敗とは重みは違う。

 「次」を見据える精神力は、残っているか。



 誰かの”敗北”を聞くとほっとしてきた。大抵の場合は自分だけ置いて行かれなかったという卑屈な嫉妬からくるネガティブな心。でも、彼女のニュースを聞いたとき(私は北京を見ていないのでニュースで読んだだけだけれど)はちょっと違う。なんというか、その敗北を「理解できることの安堵感」だ。もし、彼女が「ママでも金」を成し遂げていたら、その人は自分の理解を超えた存在だ。同じ女という人間とは思えず、何か別の種類の生き物を見ているような乾いた感情、一生共有できない何かになっただろう。
 でも、彼女は「ママでは銅」だった。「主婦になりたい。」とも言っていたとかいないとか。天賦の才能を持ち、いつも注目を浴び、一線で活躍してきた人でもそうなのだ。そうなんだ、母親業と仕事の両立は(彼女とは1週間しか出産日が違わない。だからなおさら、いつも自分を重ねて見るように注目してきたんだ)努力だけでかなうものではないんだ。彼女の敗北が私の心の代わりに叫んでくれているような気がしてならない。
 彼女ももがき苦しんでいるに違いない。これから主婦業に収まったとしても、絶対に彼女は苦しみ続ける。賭けてもいい。母親としても、人間としても。そしていつかきっとまた表舞台に戻ってくる。米国の水泳代表トーレスのように、伊達公子のように。そして、そのときには私も「ああ、充実した幸せな人生だ。」と納得しながら社会でも家庭でも満たされたバランスの良い状態にあることを夢見ている。
 女たち、がんばれ!(がんばらない女はどうでもいい。)

 男なんかにゃ絶対に理解できまい、ばーか>そこの私を知ってて覗いている暇な大学教授(公務中に見るな。仕事に専念しろ。ばらすぞ。)
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by fussyvet | 2008-08-10 09:57 | 徒然

ブリーディング

 今の仕事では実験用マウスのブリーディングもしている。実験に使う予定がなければ、系統を維持できるだけの最小限の交配を行い、極力増やさないようにしている。
 巷には自身はお金を出して愛玩動物を購入した経験があったり、ブリーダーをしていたりするが、動物実験には反対という人がいるのだろうか?それでは、ペット用に繁殖する行為と実験用に繁殖する行為とにはどんな差があるのだろうか?どちらも“人間用”に繁殖される。そして、余れば殺処分だ。因みに私自身は過剰になったマウスを殺処分したことはない。計画性を保っていると自負している。では、ペット用に繁殖したが売れずに余ったイヌやネコを終世飼育しているブリーダーや動物販売業者はどれくらいいるだろうか?
 実験動物はいったん実験に使われれば外科処置を施されたり、病原微生物を感染させられたり、苦痛を伴うこともあるが、食餌を変えるだけや軽く運動させられたり尾を温められたりするだけの苦痛が少ない実験もある。ペットとして“購入”されたイヌ・ネコの中には最初は珍しくて可愛がられたものの、飽きられると家人が留守がちでほとんど家で一人きりで何のために生まれてきたのかわからないような一生を終えるものもいる。食餌や運動が満足になされない場合すらある。もう一度尋ねるが、ペット用に繁殖する行為には異議を唱えず、動物実験のみを“残酷”として糾弾する根拠はどこにあるのか?
 動物実験数が減らせるように愛玩動物の交配も減らせる。むしろ保健所等から実験施設への動物払下げが廃止されたのであるから、もっともっとそういった収容施設から譲渡を受ける飼育者が増えてもいいだろう。

 その動物を人間の手で増やす理由はどこにあるのか?かわいいから、産ませてみたいからという理由だけの繁殖行為は動物人口が過剰な現在、人間のエゴ以外のなにものでもない。
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by fussyvet | 2008-08-07 11:02 | 動物

存在価値を今でも見いだせない者のくせ

 幼い頃から、一人で活動することが多かった。ひとりで預けられていた祖父母宅の裏山に上っては駆け下り、近所を探検し、家遊びをする。仲良しは少し離れたところに住む1つ上のかよちゃんだけ。それでも1つ上のかよちゃんは速く走る方法を教えてくれたし、私のわがままには年上らしく1歩引いて接してくれたし、大好きで、外の世界は保育園とかよちゃんとの世界だけだった。
 小学校に上がると、なぜか「友達になって。」と言ってくれる子がいた。でも、私はどうしてあげたらいいのか分からず、結局その子から1歩遠ざかったまま、無視してしまうような形になることもあった。どうして彼女が私を好いてくれたのか全く分からず戸惑うしかなかった。(彼女は中学校に上がると不良になっちゃったけど、私が友達になっていてあげたら、違ったかな、などと思ったりもする。)

 兎に角、私はこの広い世界の中で自分がどういう位置にいるのか、自分の価値もなにも分からず、それにより不安定なったり、人間関係を崩したり、苦しんだりすることが多かった。

 今でもそのくせは変わらない。時給1,100円だと不満を言っているが、私なんてそれくらいの価値しかないと思う自分が心の中の大部分を占めている。だから、それを打ち消すために時給をはるかに上回る労力を費やし、自分の価値を決定しようとしている。それが今消耗している理由の根っこだろうと思う。

 そこまでしなくても価値を認めて欲しい。自分の存在価値すら見いだせない者はいつも救いを求めている。

 神様だけは言ってくれた。
「私の目にあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。(イザヤ43:4)」
今でも変わらず私の救いの言葉である。

 神なしに私の存在はあり得ない。

 最近アクセス数が少ないのをいいことに個人的なことを書いていますが、またそろそろ元に戻します。
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by fussyvet | 2008-08-04 23:31 | 神様を愛してる

育児書

 とてもだるい。心も体もだるい。何も考えられなくなる。疲れと言ってしまうとシンプル過ぎる。チャーチルいうところの「私の中の黒いイヌ」が大きく幅をきかせているのだろう。

 育児書を破り捨てようと思う。
 「ひよこクラブ」の時代はよかった。離乳食の与え方、各季節ごとの過ごし方、赤ん坊の世話の仕方は全て市販の育児雑誌から学ばせてもらった。が、今2歳の息子の育児書を開けば、「かんしゃくを起こしても理由があるはず。受け入れてあげて。」「お友達の物をとっても言い聞かせてあげて。」「イライラせずおおらかに子育てを。」挙句の果てには「楽しんで子育てして。」と。できるわけがない。できなければ、私は母親失格だとレッテルを貼られる気分になる。「イライラしてしまう自分の心が狭い。」「疲れているなら、他のことを切り詰めて子供との時間を優先してやらなくては。」精神的に母親として追い込まれるのだ。

 私は私の負の遺伝子が息子に受け継がれることをとても恐れている。だから、その遺伝子が発現しないよう彼の性格を決定する環境を整えることに執心してしまうのだ。

 まだ破り捨てていないが、そのうち必ず実行するだろう。
 子供のことだけ考えて幸せな母親になれたのならこんなに幸せなことはないだろう。残念ながら、私はそういうタイプの女ではなかった。母親になったのがいけなかったのか?

 私は飽きっぽいし、子供のことだけだと息が詰まってしまうし、本当にどうしようもない母親だ。子育ては本当に自分の時間が持てない。そのことと仕事のストレスで爆発しそうになる。
 すまない、息子。でも、君のことがかわいくて仕方がなくて、君なしのことなど考えられなくて、君だけは飽きないことは本当だよ。今は、そして多分これからも。。。そうだろ?
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by fussyvet | 2008-08-02 22:33 | 徒然

依存癖と神のいますところ

 牧師さんに手紙を書いた。なかなか教会へ足を運べないが、いつも気にかけてもらっている。胸の内を話さずにはいられなかった。そんな心にしたのも神様だろうと思う。
 日々心身ともにとてもしんどいこと、一人になりたいと思っているのに教会へ行けば仲の良い夫婦と見られることがつらいこと、云々。返事が来た。こういうとき、古くからの封書はとてもいい。読んで涙が出てきた。

 もともと依存癖がある。それに気付いたのは30を過ぎてからだが、今思えば小さい頃から何かしらあった。爪を噛む癖、電柱やタイルなどをついつい数えてしまう癖、テレビ、その他何かスペシャルに楽しいことがなくては生きていけなかった。生きにくさには気づいていたが、それが自分のどんな生い立ちの部分にあるのか、なんとなく気づくまでに時間がかかった。
 以来、今度は逆にとにかく何かを続けている自分に気づいたら、それを断つようにした。映画、ネット、甘いもの…。するとまた、それらを断つことに神経質になってしまう。こうなったらもう開き直るしかない。

 何か心配事や考え事を抱えると爪を噛み、休日一人になれば昼間からビールを飲む。

 牧師さんには神様がいた。手紙を書いてよかった。またしばらく生きていける。
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by fussyvet | 2008-08-02 10:47 | 神様を愛してる