<   2005年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

動物愛護法の改正

 動物の愛護および管理に関する法律が改正されようとしている。それに備えてさまざまなところで議論がなされているが、自民党に物を言わせた獣医師会の圧力が強いようだ。今度の改正も余り変化はないのかと憂う。
 アメリカやイギリスなどの先進諸国では動物実験を行う施設や動物を保管する施設の届出は当たり前であり、国による査察と記録作成・保存も義務づけられているが、我が国ではそれらのいずれも全くない。そんな国の科学技術がなぜ他の先進諸国と肩を並べられるというのか?届出も査察も記録も面倒。でも、他の国では行っている。この国の研究者、特に獣医師はどこへ行きたいのだろう?
 以前、獣医師になりたいという帰国子女から相談を受けたとき、その結果、彼女はアメリカの獣医系大学を受けることを決めたようだ。私もこのままでは日本で獣医師になるのはやめておけとアドバイスを続けざるを得ない。獣医師だけでなく研究者でもそう。この国の古い保守体制が社会だけでなく科学界でも若い者の足を引っ張っているのだ。こんな国、要らぬ。どんどん皆海外へ行け。青色LED訴訟の研究者が憤りを隠せずに「若い奴らにはどんどんアメリカへ来いと言いたい。」と言い放っていた。私も同じ心境だ。実際にアメリカに行った彼が羨ましい。私もいつかこんな国脱出したいと思いつつ、この法改正の成り行きを見守っている。
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by fussyvet | 2005-01-29 11:12 | こうして社会は回ってる

動物園で余った動物たちの行方

動物園のニホンザルが適正飼育頭数を上回っているために大学の研究所に譲渡されます。動物実験反対運動団体の会員が訴訟を起こしていましたが、控訴が棄却されたため動物園からのニホンザルの譲渡は適法となり、日本社会からgoサインを得たわけです。
 さて、問題点。過密飼育になるまでにどうしてその動物園は対策を取らなかったのでしょうか?これからも同様に過密飼育になるたびに実験施設に払い下げ続けるのでしょうか?
 私は現在の動物園も水族館もそのあり方に反対です。余った命をたらい回しにするような運営方法を改善せずして、何が「子供の情操教育」「動物とのふれあいが大切」だなどときれいごとを並べ続けていられるのでしょうか?そんな動物園の裏側で行われていることをなくしたい。でも、何も知らず、動物園に入園料を払う人がいる限り、動物園はその正当性を主張して改善しないでしょう。あなたの入園料がそんな動物園を支えているのです。
 動物園や水族館の代わりにバードウォッチングやホエールウォッチングはいかが?私がオーストラリアに行った時、夜行性野生動物探検ツアーに参加しました。その時、カモノハシが住むという沼へ行ったのですが、ガイド達は私たちに音を立てないようそっと移動することを促し、その野生のカモノハシの生活を脅かさないよう努めていました。私はその時、本当に遠くでカモノハシが泳いでいる水面の動きしか見られませんでした。多分、カモノハシの陰すら見えないようなこともあったことでしょう。しかし、それでもいいと思います。必ずしも向こうがこちらの思うようになってくれないことも含めて野生動物なのですから。
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by fussyvet | 2005-01-26 16:16 | 動物

苦悩

 獣医学生になるまでの私。
「全ては獣医になるため。まずは希望のところへ入らなければ、私の人生はもう意味がないものになってしまう。とにかく勉強するのだ。」

 獣医学生になって初めての解剖学実習にて。
 それまで世話をしてきたウシを実習にて放血殺する。
「泣いてはいけない。泣いてはいけない。…」

 生理学実習、薬理学実習で子犬、マウス、成犬、モルモット等殺しまくる。
「とにかく獣医師になるためには仕方がないことなんだ。皆、やっている。自分だけ逃げてはいけない。」

 外科学実習。それまで面倒を見ていた保健所からの払い下げの子犬たちの足を骨ノコで切断し骨折整復術、眼球をえぐり出して眼球摘出術等習う。
「ちょっと待って。これから獣医師になってから助ける動物の命とこれらの動物の命の重さにどういった違いがあるのか?なぜ、どうして?」

 保健所勤務。イヌ・ネコの引き取り。
「私はこんなことをするために必死で勉強し、実習では必要だからと信じて動物を殺してきたのか?なんだったんだ?なぜ、どうして?何かが違う。」


 国内の獣医学生が自殺したと聞いた。私のように悩んでいなかったなら良いのだけれど。そう思いながら、これまでのことを思い出した。
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by fussyvet | 2005-01-18 19:14 | 動物

迷い

 信頼を置かねばならぬはずの人への激しい不信感と私生活の変化から今後の人生について真剣に迷い悩んでいる心的要因に、身体の疲れやひどい流感が追い打ちを掛け、最近憂鬱気味である。掃除、洗濯、料理などの家事はできるし、趣味や好きなことへの興味は残っているので鬱ではないだろうと思う。が、“せねばならないこと”にやる気が起きない。逃げなのか、方向転換の好機なのか、あるいは単なる怠けなのか、何とも判断がつかず、ただ神に祈り、とりあえずいつも通りの生活を送る。が、心が晴れない。
 “せねばならない”…、少しまではこうではなかった。目的があってやっていることだったから、“せねばならない”と自分を追い込むことはなかった。近頃しばしば心に浮かぶ疑問、「これは私が本当にすべきことなのか?」私は投資の仕方を間違っていたのではないだろうか?
 こんな迷いの最中でも獣医の仕事に羨望のまなざしを向けている人たちの話や励ましをもらう。そんな時はやはり獣医を投げ出してはいけないのだろうと思う。けれど、今のままでいいのだろうかという疑問は拭いきれない。
 しばらく心を空にして考える時間が欲しい。こんな時はどうしようか?

1. 旅にでも出るか。→金がないし、そんな気分ではない。
2. 引き籠もってみるか。→そのまま出て来られなくなるかも。
3. しばらく自分が好きなことだけやってみるか。→周囲がなんと言おうが、これが一番いいのかも。
4. …

等々と考えていたが、ネコたちの顔を見たら少し元気になった。

<人間もそうだが、やはり私は動物のために働きたい>←つなひき→<獣医師だけが動物のためになるものではない>

 悩まぬ物になりたい。
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by fussyvet | 2005-01-11 18:00 | 動物

「ブランド詐欺」

 タイトルを聞いた時、グッ○やシ○ネルなどの偽物を連想されるかも知れないが、そうではない。「ブランド」をgooの国語辞典で検索すると、「会社・商品・サービスなどについて,他と明確に差別化できる個性(イメージ・信頼感・高級感など)。経営・販売上の戦略として構築・管理される。」と出る。そう、「ブランド」とは経営者側が戦略として使用するものでもあるのだ。
 その職場は有名一流である。一般企業ではないが、元国営であり、そこに就職することは一つのステータスであり、高いキャリアとして見られると思われているようなところである。その職場はその名前を利用して求人広告を行った。その結果、選ばれて入ってきた1年目の職員と話す機会があった。曰く、
「ここほど、求人広告内容と実際が違うところもない。何よりも求人広告に給与など具体的な雇用条件が書かれていない。私は技術的なことをやるということで入ったのだが、実際は事務ばかりだ。」
話し手は女性である。その職場は事務職に女性ばかりを集めている。未だに受け付け事務などは女性の方が見た目によいと思っているのだろう。それだけでも甚だ憤慨する対象なのだが、何よりも「ブランド」である自社名のみを大々的に売り文句にして、それに釣られて入ってくれば後は煮ようが焼こうがこっちのものだと言わんばかりのやり方に腹が立つ。それこそ「ブランド詐欺」ではないか。
 ブランド名を持つ張本人が確信犯的に行っているのだからタチが悪い。まもなく年度替わり。今度はどんな人がそこへ騙されて入ってくるのかと思うと、本当に気の毒である。一度、実際にその求人広告を見て、公共広告機構や労働基準監督署にでも訴えてやろうかと思ってしまった。この雇用が冷えている時代に弱者の弱みにつけ込んだやり方のようで腹立たしい。
 が、そんな職場を見分ける方法が一つある。簡単なことだ。「ブランド」である割にそこでの職員の定着率は低いはず。そう言った情報を広く求めた方がよい。決して「ブランド」名だけに惑わされて信頼せぬように。名前による社会的信用は当てにならぬ場合が少なからずあるのだ。それよりは小さくても信用と信頼で経営している職場の方がずっと働きがいがあって、キャリアアップにもつながるだろうと思うのだ。帰り着くはやはり人間性なのですね。
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by fussyvet | 2005-01-05 06:13 | こうして社会は回ってる

「安楽死」賛成

『尊厳死』について

「尊厳死」

 もはや「安楽死」とは言わないんだな。動物の場合、法律では「安楽死」のことを殺処分という。人間の「尊厳死」と動物の「殺処分」という表現からわかることは、人間の場合、あくまでも同種の動物であるヒトによるヒトのためのヒトの安楽死であり、動物の場合、ヒトによるヒトと動物のための動物の安楽死であるが、それはヒトの下で動物の命がコントロールされることを意味し、動物の命に対して異種であるヒトがその決定権を持つということを端的に示している。
 我々獣医師はその動物の命について決定権を持つ職業である。私は「安楽死」が行えることは人の医者に比べて幸運な点であると思っている。動物はいつか死を迎える。それを受け入れず、その動物を取り囲む人のために延々と呼吸と心臓の鼓動を維持することは、余計な苦痛を長引かせているだけであり、死を受け入れられない人間の傲慢ではないかとさえ思う。念のため付け加えておくが、これはあくまでもその苦痛を除去する方法が死以外にないと正当に判断できる獣医師のみが行うべきであり、それができない獣医師が安易に安楽死を選択して良いということではないし、これ以上、臨床獣医学を発展させる必要がないという意味でもない。獣医学の発展は「安楽死」の選択の容認と絶えず平行して目指されなければならないし、動物の苦痛を見抜くことが出来る獣医師の養成は遅れており、その判断力を持った獣医師の確保が先決であることは言うまでもない。
 さて、人間の場合については私は人のお医者さんではないので患者として考えてみよう。私は「尊厳死」に賛成である。こう言うと、「人の「安楽死」の容認は医療発展努力の放棄である。」と言う人が食いついてくるだろう。しかし、私は上の獣医学について書いたことと同様に、「尊厳死」以外に患者の苦痛を取り除く方法はなく、これ以上の延命は患者のQuality of Lifeを損ねることになると正当に判断できる医者が存在することが大前提であり、また医学の発展を否定するものではない。「尊厳死」の容認により、医学の発展が遅れたり、いたずらに患者を「安楽死」させる医者が出てくるならば、それはもはや人としての医者のモラルに関わってくることだから、そんな人間を生まない医学教育体制や就業後教育の充実が優先課題であろう。私は自分自身が将来、苦痛に悶え苦しむだけならば、「安楽死」をして欲しいと思う。ただし、信頼できる医者に依らなければならない。
 はてさて、最近のお医者様、そんな信頼できる方はどの程度存在するのか?少なくとも、「手術の前には謝礼金を渡した方がベター。」だとか、「手術の前に謝礼金をもらえば、手術に対する意気込みも違う。」などと金で命の取り扱い方を決定するような方には頼みたくありませんな。

********【TB企画】***************
メディカルブログ(http://exhospital.exblog.jp/)
『尊厳死』について
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by fussyvet | 2005-01-04 18:54 | こうして社会は回ってる

私の居場所

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すいません。私が入るコタツの場所を空けていただけませんでしょうか…
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by fussyvet | 2005-01-01 19:23 | 動物