カテゴリ:動物( 217 )

InterNICHE

 教育における動物実験代替法を推進する運動を展開している国際的な組織InterNICHEのコーディネーターMr. Nick Jukesと会ってきました。昨年に続き二回目です。とても多忙な方で一年の大半を世界中飛び回っており、教育における動物実験代替法の普及のため心血を注いでいます。厳格なベジタリアン(ビーガン)ですが、今回私と会っているときは少し妥協してくださった場面ではちょっと安心しました。つまりは自分の主義主張にだけ固執して周囲にだけ妥協させる人ではないのです。
 現在、この組織のJapan contactとしてALIVEという団体が受け持っています。少し前までは現役の獣医学生らが中心柱となって活動していました。しかし、次第にそのようなアクティブな学生も減っていった…。とても寂しい思いではありますが、学生という立場を考えれば封建的な日本社会では仕方がないことだろうとも思います。私自身、学生時代にさまざまな実習でさまざまな動物を使用し、単位を取って卒業するためにはそれらを拒否することもできず、とんでもなく非人道的な実習に苦しみ、今も思い出すと怒りが湧き上がってきます。感じ方は人それぞれだと思いますが、私は私と同じような感性を持った学生に同じ苦しみを味わわせたくない。そんな一心からInterNICHEの活動に関心を持ち、接触し、協力しようとしてきました。今回、Nickと会い、個人的なことも交えて話をしていくうちに、心底もっと協力しようという決意を固めているところです。このような機会を与えられたことに本当に感謝します。
 教育における動物実験代替法は学生だけでは普及しません。現在の生体を用いた実習と同等の教育レベルを代替法が持つことを示す証拠と決定権を持つ大学の教授らの関心と理解と協力が不可欠です。その中でいかに交渉し、普及させていくか。とても困難な道のりではありますが、インドなど海外では既に相当数の代替法が大学教育に取り入れられ、相当数の動物の犠牲が減っているとも聞きました。そのような海外での実績を踏まえ、日本でも普及するように…。と、これまでは考えてきたのですが、今は少し考えを変えています。海外からの波で変わるのではなく、日本自体から変化の波を起こせないか、もともと勤勉で細かい調査能力に長けている日本人ならできるのではないか?そんなふうにも思うわけです。
 今後、このブログではこのような教育における動物実験代替法についても取り上げていきたいと考えています。

参考:InterNICHEの日本語ページ
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by fussyvet | 2008-12-21 22:52 | 動物

動物愛護の”ベクトル”

 先鋭化する動物愛護運動を疑問視し嘆く私に、「今は動物実験をする研究者側に”偏り過ぎて”いる。そのベクトルを真中に戻すために動物実験廃止も訴えなくてはならない。」と説明した動物実験廃止運動団体の人がいました。自分自身は今すぐに動物実験を廃止することは難しい、できないだろうと思っている。が、そう唱えていかなかったら、動物実験の”ベクトル”が研究者寄りになってしまうというのです。
 果たして本当にそうでしょうか?

 中高生の頃、数学で習ったベクトルを決定する要素としては向きを表す角度だけではなく、その矢印の長さ=強さも関係していました。それを忘れてはいないでしょうか?

 ベクトルを研究者側から取り戻すために、実行不可能なあり得ない理屈で動物愛護側に世論を呼び戻そうとすることが本当に正解でしょうか?

 研究者側からベクトルの向きを変えるためには、”先鋭的な”角度ではなく、その理論の正しさ、説得力、つまり強いベクトルが必要なのではないでしょうか?「動物実験即刻廃止!」という叫びではなく、「代替法が構築されるまで、実験動物の苦痛の軽減、使用動物数の削減。」の方が力強く、多くの人々を振り向かせられると思うのですが、違うでしょうか?
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by fussyvet | 2008-11-20 22:57 | 動物

ペットを飼育する者への免許制度の導入は難しいか?

「ペットを飼育する者への免許制度の導入は難しいか?」
という質問を受けた。その方は最近ブラウン管で毛皮製造での動物取り扱い方法の実態を知り、いろいろと検索されたそうだ。それで、悪徳ブリーダーの排除、一般飼育者の無知識交配の禁止、そして責任感のない飼育者の削減等短期間で自分自身がたどり着いた事実がなぜ現実化されていないのかと疑問を持っているとのことだった。

 個人的にはペットを飼育する者にもライセンス制度を導入すべきだと思う。自分のホームページにも書いてあることだけれども、本当に初歩的、基本的、簡単、当り前の事実を考慮せずして動物を飼育し始め、結果的に悲惨な結果に終わる人が後を絶たないからだ。人間、愛らしいものをなんとか自分のものにしたいと欲求を抱いたとき、その欲求はあまりに突然かつ激しすぎて、そんな基本的飼育条件等を考える間もなく“ペット”を購入(あるいは「生まれてしまった」という知人から譲渡)する。が、そのような衝動買いは“ペット”に関して言えばあまりにも重大で悲劇的な結果を生じる可能性が大きい。どんなに動物好きを自称しようともだ。
 そんな安直な動物飼育を防ぐには、やはり飼育前の飼育者教育が重要だ。動物を飼えば、餌を毎日やらなくてはいけない、糞尿の始末も毎日しなくてはならない、鳴き声により近所から苦情が出ないように対策を講じなくてはならない、しつけもしなくてはならない、避妊去勢手術もしなくてはならない、病気になれば病院に連れて行き看病や投薬もしてやらなくてはいけない、予防接種も毎年受けなくてはならない、そのためには収入と一定面積の居住地を確保しなくてはならない…。ざっと、挙げるだけでもこうだ。
 が、そのような煩わしい“教育”を施せば、動物を購入する者は減るだろう。だから、動物販売者はライセンス制度など導入したがらない。そもそもそんな説明を購買時にできる販売者はいない。大方の動物販売業は店頭にパートやアルバイトを安く使い、利益を上げようとしている。そんなにわか店員に知識があるわけがない。ペット飼育者のライセンス制度など導入されれば、面倒くさくなるばかりか、売り上げが減る。「冗談じゃない。」が本心だろう。数年前に動物取扱業に関する規制のパブリックコメントが募集されたとき、動物取扱業者から同じ文面をコピーして大量に意見が寄せられたそうだ。生後2か月未満の幼獣販売の禁止をはじめ、“ペット”を売りつけるために障害になる法律は彼らにとって邪魔でしかない。営業妨害であるとすら言うだろう。そんな状況で飼育者のライセンス制度など設けられるわけがない。
 愛玩動物として飼育される動物の福祉のためには販売にも交配にも飼育にもルールは必要だ。動物愛護を掲げる団体個人の誰しもそれには気付いている。しかし、業者団体がそれを阻む。また、「ライセンスなんて…。」と事実を知らずにまゆを細める消費者も多いだろう。それらを納得させるには世論が高まるしかない。何かをきっかけにして知り、関心を持ち、調べ、問題に気づき、解決策を推す国民が増えることだ。これを「国民の意識を高める」という。残念なことに、我が家の近所を見ただけでも、糞の始末をしない、イヌを放すことを禁止している公園内でリードを外す飼い主群が公然と当たり前のような顔で闊歩し、偏狂した動物愛護団体は理不尽な行政叩きしかしていない。動物を飼うということは不自然な行為であり、自由な権利ではないということを認識し、そのためのルール作りの必要性を当たり前のように国民が感じるようにならない限り、この国の“ペット”たちに幸福はあり得ないと思っている。
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by fussyvet | 2008-09-15 10:21 | 動物

「感謝して使う」?

 「実験動物を感謝して使う」とかいう人がいるらしいが、私はこの言葉が大嫌いだ。「馬鹿でないか。」とすら思う。

 どんなに感謝して使われようが、実験動物にしてみれば、何一つ不満の無い生活から意思に関係なく離脱させられ、自分たちにとって要らぬ手術を施され、苦痛に喘ぎ、時には死ぬことすらある。発展途上国におけるチョコレート生産現場での過酷な児童労働を知った者が「感謝してチョコレートを食べましょう」と偽善顔して安いチョコレートを食べ続けブクブク太り続けるのと等しく滑稽である。先進国のメタボ人間のために過酷な環境下で酷使される子供たちにとったら、感謝されるよりフェアトレートのチョコを食べてもらう方がよい。実験動物にとったら、感謝されるより使用数を減らしてもらったり、苦痛を軽減してもらったり、自分たちを使う以外の方法を考えてもらった方がよほどよい。
 こういう場合に「感謝して」という文節を使う人を見るたびに、それを大義名分にして己を弁護し、正当化を図っているようにしか見えないのだ。吐き気を催す。研究施設で「畜霊祭」が行われるが、これは実験動物に感謝するために行うのではなく、人間が犠牲にしている命があることを忘れないためにあるのだ。動物の霊は形式的な「畜霊祭」ごときで鎮まるわけがない。

 いろいろなことに心から感謝することは大切なことだ。だが、これは個人の内省作業においてのみ言えることであって、軽々と自分以外の真に苦しんでいる対象へ口にする人について言えば、自己弁護の大義名分以外のなにものでもない。
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by fussyvet | 2008-08-27 01:50 | 動物

ブリーディング

 今の仕事では実験用マウスのブリーディングもしている。実験に使う予定がなければ、系統を維持できるだけの最小限の交配を行い、極力増やさないようにしている。
 巷には自身はお金を出して愛玩動物を購入した経験があったり、ブリーダーをしていたりするが、動物実験には反対という人がいるのだろうか?それでは、ペット用に繁殖する行為と実験用に繁殖する行為とにはどんな差があるのだろうか?どちらも“人間用”に繁殖される。そして、余れば殺処分だ。因みに私自身は過剰になったマウスを殺処分したことはない。計画性を保っていると自負している。では、ペット用に繁殖したが売れずに余ったイヌやネコを終世飼育しているブリーダーや動物販売業者はどれくらいいるだろうか?
 実験動物はいったん実験に使われれば外科処置を施されたり、病原微生物を感染させられたり、苦痛を伴うこともあるが、食餌を変えるだけや軽く運動させられたり尾を温められたりするだけの苦痛が少ない実験もある。ペットとして“購入”されたイヌ・ネコの中には最初は珍しくて可愛がられたものの、飽きられると家人が留守がちでほとんど家で一人きりで何のために生まれてきたのかわからないような一生を終えるものもいる。食餌や運動が満足になされない場合すらある。もう一度尋ねるが、ペット用に繁殖する行為には異議を唱えず、動物実験のみを“残酷”として糾弾する根拠はどこにあるのか?
 動物実験数が減らせるように愛玩動物の交配も減らせる。むしろ保健所等から実験施設への動物払下げが廃止されたのであるから、もっともっとそういった収容施設から譲渡を受ける飼育者が増えてもいいだろう。

 その動物を人間の手で増やす理由はどこにあるのか?かわいいから、産ませてみたいからという理由だけの繁殖行為は動物人口が過剰な現在、人間のエゴ以外のなにものでもない。
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by fussyvet | 2008-08-07 11:02 | 動物

動物実験計画書の内容は守られているか?

 私が所属しているのは厚生労働省の研究機関だ。9カ月間に新規採用で続いているのは私を入れて2名、円満退職者1名、残りの5名は”非”円満退職者だ。日雇いやら派遣労働やら労働者の待遇改善が叫ばれている今日、当の厚生労働省の管轄機関ですら”灯台下暗し”なのかびっくりである。こういうことに興味のある議員に訴えれば一発だろう。人間に対する処遇がこのざまななのに、動物に対する処遇など想像できるだろう。
 医者である上司は獣医師である私のスキルを”安く”使う。言葉では持ち上げられるけれど、待遇は下にも書いたとおり冷たいものだ。まあ、それでも同じ地域にパートで実験をさせてくれるところなどそうそうないし、我慢している。が、動物に対する扱いについては我慢できない。小さな抵抗もさせてもらうこともある。
 うちの上司には動物実験計画書の意義であるとか、動物の福祉であるとかいう考え方は一切ない。実験後マウスへ鎮痛剤を投与することが科学雑誌の論文審査に重要視されてきていることを知らなかったこと、「とりあえずやってみよう。」という言動、そして私の”使い方”などから推察できる。とにかくデータを出さなければいけない立場はわかるが、これで動物実験をしてはいかんだろう。

 HS財団が第三者認証機関を発足させようとしているが、アニマルライツ*に”狙われている”と聞いた。何がどう狙われているのか知らないが、私は徹底的にやればいいと思う。日本の動物実験はほとんどが無法地帯だ。もちろん、叩く側にそれなりの礼儀とブレインが必要だが(感情論、勢いだけではお話にならないし、動物の福祉を後退させるぞ)、何か起こらないとこの国の研究者は変わらない。目の前のことにとらわれざるを得ない現状と弱い者への配慮のなさが残念ながらそうさせている。
 イギリス2007年内務省のレポートによれば2007年マウスの実験は増加傾向に、霊長類の実験は減少傾向にあるという。霊長類の実験利用は各種動物愛護団体から批判が高まっているため、どんどん使用しにくくなっている。スイスでは霊長類への実験を停止する地裁判決(まだ係争中)が出ている。叩かれなければ減らないのが残念だが、研究者の倫理観が現状である限りいた仕方あるまい。

*”動物の権利”を大前面に押し出した過激な動物愛護活動家・団体
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by fussyvet | 2008-07-31 16:27 | 動物

Fur-Free List

 HSUS毛皮を使わないデザイナーと小売業者のリストを掲示しています。参考までに。
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by fussyvet | 2008-07-11 22:59 | 動物

しばしばもらう子供たちからのメールについて

 先日ももらったのだけれど、しばしば「動物のためになる仕事をしたい。」「獣医になりたい。」という子供たち(メールから推定を含め小学生から高校生)から送られてくる(どっかの掲示板にURLが貼られているのでしょうねぇ)。私のホームページには私が学生時代にした動物を犠牲にする、そして今も変わらず全国の獣医系大学で行われている実習について書いてあるが、それらを見てもなお「獣医になりたい気持ちを変えられない。」という内容のものもある。私自身、具体的には分からなかったけれど自分が志す獣医学部で動物を”バシバシ”殺すという情報は得ていて、それでもなお獣医になりたいという子供のころからの夢という名の思いを捨てられなかったわけだから、それを責めたり、止めたりする権利も理由も一切ない。他人が何を言おうが若い頃に持ってしまった”思い”は”重く”、それを阻むことなど大人にはできないと思っている。
 が、一つだけ気になるので敢えて忠告しておこうと思う。これはもし10代後半の自分自身が目の前にいても同じように今の私が忠告すると思うことだ。獣医師を志し、あるいは既にその類の大学に入っている”たまご”たちに対して、既に獣医師になり、引き返すことも困難な道を歩いているその道の年長者としてできるアドバイスだと思って聞いてもらえたらと思う。その「獣医になりたい」という思いは漠然としていないか?「動物たちを助けたい」という思いからだけではないか?さまざまな情報を聞き入れない幼いころからの夢への拘りからくる頑なさ故ではないか?もし、それらのどれかに思い当たるならば、何度も自問自答することをお勧めしたい。「どんな獣医になりたいのか?」「学生実習で動物を犠牲にするだけではなく、その後、愛玩動物の臨床獣医師でさえ獣医師とは動物を犠牲にする職業であることを認識しているか?」「本当にいろいろな人からの情報を収集して整理して聞き入れているか?」
 何度も言ってきたことだけれど、獣医師は学生実習で動物を犠牲にする。巷では「動物実験をせずに獣医師になった人がいるから頑張って。」というアドバイスを聞くけれど、実際にはそのような学生は現在ほとんどおらず、そのようなアドバイスは全くの部外者からの無責任な励ましでしかないと思っている。そして、獣医師免許を取得した後も、実際に小動物臨床医のイメージを持っている子供が多いけれど、「動物のお医者さん」のイメージの人たちは一部だけであって、他は実験動物の獣医師、国家公務員(検疫所とかでお肉や野菜の検査、その他行政職)、地方公務員(と畜場で食肉衛生検査、保健所でお店回り、イヌの捕獲と処分)、研究者(動物実験を当然のように含む)、畜産動物の獣医師(乳牛として役に立たなくなった牛などの廃用証明含む)など動物を手にかけなくてはいけない。「動物が好きで動物を助けたい」と思っている獣医師のたまごが就いたとしたら、その後辛い思いをずっと続けなくてはならないことは目に見えている。だから、今敢えて言う。「動物が好きで、頑なに獣医師を夢見ているのであれば、何度でも見直せ。ちなみに獣医師は動物の病気を治すことはできるかも知れないけれど、動物を助けるのは獣医師だけではない。」
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by fussyvet | 2008-05-06 22:58 | 動物

もうこういう運動の在り方は止めてほしい

 仕事で動物実験をしている人間が、動物実験を仕事として選択したのだと思っているのであれば、それは大きな間違いだ。むしろ、最初から動物実験を行うことを趣味としてその仕事を選んだ人がいるとすれば、私は会ってみたい。きっと、映画や漫画に出てくる「マッドサイエンティスト」をイメージしているのだろうと思う。
 動物実験を行っている人は、それを仕事として選んだのではなく、就業した結果、そこに動物実験が方法論として存在していたのである。就業でなく、大学での実習で行う動物実験でもそうだ。そして、その実験方法は本人の好みで選んでいるわけではない。動物実験を行っている研究者がその実験方法を好んで選んで行っていると思っているのなら、本当に大きな間違いだ。
 ここ数か月、イヌ・ネコのレスキューや動物実験反対などさまざまな動物愛護運動に関わっている人のブログを読んだり、実際に会って話したりしているうちに、つくづくどんなに話し合っても永久に接点はないと虚脱感に陥った。結果的にブログにも動物の問題について掲載しなくなったけれど、今日書いたのは、もし動物愛護で拙ブログを読んでくださっている人がいたとしたら、もう一度、本当に動物の権利が全て認められることができるのか、仕事として動物を扱っている人たちのこと、動物愛護問題が過激になってしまう理由、自分自身が知らず知らずに犠牲にしている動物たちの存在への無知、そして公人や企業を含めて表面的に他人だけを責めることについてじっくり考えてほしいと思ったからだ。
 運動を進めている人の考え方と運動自体の在り方がこのままだと絶対に動物たちの問題は解決していかない。
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by fussyvet | 2008-02-17 11:09 | 動物

獣医師、仕事、その他

 ダルフールの惨状を知りながら、彼らに何もしてあげることはできない。無力感でいっぱいです。獣医師でなく医師であったなら、現地に赴くことができただろうか、などと仮定するのもおこがましい。ifの話は誰にでもでき、小心者の私にできるわけがなかったでしょう。

 獣医師を夢に抱く女子高生からメールをもらいました。小さい頃から獣医師になるのが夢で、動物を助ける職業に就きたいと思っているが、いろいろ調べていくうちに果たして獣医師でいいのか疑問に思いながらも獣医師になる夢を捨てきれないとのことでした。私自身も小さい頃から獣医師になるのが夢で、思春期に人間嫌いから「人間助けるよりも動物助けたい。」と思い、念願の獣医師になりました。しかし、現実的に真に動物を助ける職業は存在しません。動物が対価を払ってくれるわけではありません。全ての行為は人間が対価として支払ってくれるものです。それが、”職業”です。だから、本当に動物を助けたいと思うのなら、動物を助けているようで実は人間を助けている獣医師という職業に拘るのではなく、真に人の役に立っていると実感できる職業で生計を立てつつ、動物のためにできることをボランティアでするのが良いだろうと今の私は憧れで獣医師を志す若者にアドバイスすると思います。動物を助けるのは獣医師ではありません。けれど、仕事として行う行為は人のためにあるべきであり、対価を得る以上人のためでしかないのであり、そこから仕事の達成感や充実感、さらには幸福感を得ると思います。どんな職業でもそうですが、漠然とした憧れから一歩超えて、”仕事”の意味、社会貢献とは、達成感とは、さらには人生の充実感とは何であるのか考えつつ、将来を考えることを若い人にはお勧めします。

 ダルフール紛争のニュースを和訳しながら、己のこれまでの人生も振り返りつついろいろ考えてしまいました。
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by fussyvet | 2007-09-26 00:05 | 動物