カテゴリ:動物( 217 )

イヌ・ネコの譲渡を行なっているボランティア団体について

 6月11日付の記事に対してメールをいただいた。因みに通常、余裕もないのでメールへの個別の返信はできないし、今後もできません。

fussyvet 様

 こんばんは
 昨年12月に殺処分の方法について質問させていただいた○○です。久しぶりにブログを拝読させていただきました。

 6月11日付けの記事について少し意見を述べさせてください。

「何のための運動なのか、本質を欠いた運動に明日が来るわけはない。が、しかし、どんな運動においても、悪質な団体の存在は運動の促進を妨げるだけではなく、運動自体を疑問視され、さらには後退させる要因となり、そのような団体は排除していかなければならない。」

という部分に関してですが、fussyvet 様が言及されているような明らかに悪質な団体が批判されるべきなのは当然ですが、悪質な部分が表に出てこない「愛護団体」も多々あると私は考えています。

 これらの「愛護団体」は明らかに悪質な団体と裏でしっかりつながっているのであろうと、思われますけれど、このような団体は一見よい活動をしているので排除の対象と位置付けられることはまずないでしょう。

 fussyvet 様のリンク集にも、そのような 私が?と考えている団体が入っていますが、通常、裏に隠れた悪質な部分を把握することはきわめて困難ですし、愛護団体の良し悪しを問題にすることは確かに重要ですが、愛護団体の必要性について考えてみることの方がより重要ではないかと思います。

 善意からであれ、あるいは裏に隠れた悪質な動機(金銭的な利益を得ることが目的)からであれ、動物にぶらさがって生計を維持する活動であるのなら結局のところ、どのような団体であっても、ある意味、たいした違いはないと考えています。

 つまり、例えばかわいそうなイヌ・ネコを助ける活動をすることで生活しているのであれば、その前提として、人々がイヌやネコを飼う社会であることが必要不可欠ですから、ここにおいて唱えられる動物愛護は幻想でしかないでしょう。



「正規の手続きを踏んだ結果、問題のある団体が淘汰されることは全体的な運動のためになり、イヌ、ネコに限らず、よりよい動物との共存のためには悪質な団体は是非とも淘汰されなければならないと思う。」

 前述したように、その団体が悪質か否かを見極めることはきわめて困難な場合がありますから、仮に明らかに悪質な団体が淘汰されたとしても、悪質な部分が表に出てこない団体はしっかり生き残るでしょう。

 私は、動物愛護あるいは動物福祉を強調する活動は必要ないのではないかと考えています。それより、fussyvet様もおっしゃっているように、「ライフスタイルの見直しで犠牲を減らすことができる」
という点を強調すべきではないかと常々考えています。例えば、イヌやネコに関して言えば「人間、イヌやネコを飼わなくても生きていけるじゃない?」と主張できますし・・・

  「動物愛護運動を推進したいなら、問題のある団体を淘汰せよ」

とは言っても、イヌやネコを飼うのも自由ですから、飼い主に全ての責任を帰すべきだという方向でモノを言うべきではないかと考えています。すなわち、動物愛護団体に属することや動物愛護の活動に意義を見出す発想あるいはこれらを肯定する
発想から脱却すべきではないかと思うのですが・・・



 これに対する私の考えは以下の通りです。


 まず私自身は思想的改革派・現実主義的右派中道です。つまり、

> つまり、例えばかわいそうなイヌ・ネコを助ける活動をすることで生活しているのであれば
> その前提として、人々がイヌやネコを飼う社会であることが必要不可欠ですから
> ここにおいて唱えられる動物愛護は幻想でしかないでしょう。

とおっしゃることには全面的に賛成ですし、また、

>   「動物愛護運動を推進したいなら、問題のある団体を淘汰せよ」
> とは言っても、イヌやネコを飼うのも自由ですから、
> 飼い主に全ての責任を帰すべきだという方向でモノを言うべきではないかと考えています。
> すなわち、動物愛護団体に属することや動物愛護の活動に意義を見出す発想あるいはこれらを肯定する
> 発想から脱却すべきではないかと思うのですが・・・

という部分についても、私も理想として同様に考えています。

 しかし、現実を考えた場合、「無責任な飼い主」に当てはめられるような飼い主は後を絶ちませんし、これから先もいなくならないだろうと思います。そして、悪質なブリーダーによる多頭飼育崩壊もです。それを考えた場合、動物の権利を主張するのであれば、究極的には人間がイヌ・ネコ等を”飼育”しないのが、一番良いだろうと思います。しかし、現実的にはそれも近い将来でも無理だと思いますから、まず、とりあえず動物の福祉に重きをおかなくてはならないだろうと思います。そうなると、やはり今現在、危機に陥っている動物たちをどうするのかを考えたら、行政による殺処分、譲渡、および動物愛護団体による類似業務が必要不可欠だと思います。行政のみで行なえれば一番いいと思いますが、財政、人員を考えれば、絶対的に無理です。
 怪しい団体は少なからずありますし、裏でつながっているかも知れません。私がリンクしている団体は、私自身が今現在信用している団体ですから、それが信頼に値しないと思われるのであれば、是非、教えていただきたいと思います。が、いずれにしても、動物愛護団体を全否定することは、今現在はできません。

 私が当該記事で言いたかったことについて、動物愛護団体に属することや、動物愛護の活動に意義を見出すことの推進であると捉えられたのであれば、残念ですが、そうではありません。あそこで、敢えて問題のある動物愛護団体と抽象的に書いたのは、どこの団体も身に覚えがあれば、自分たちのことを書かれているのではないかと思うかもしれない、それを狙って故意にあのような表現としました。おっしゃるように、どこまでが悪質でどこまでが良質であるのか、定義することなど難しいからです。しかし、少しでも改善点が見出される団体であれば、それを直すよう、努力もされるでしょう。しかし、それでも私は動物愛護の活動に意義を見出すよう鼓舞したいわけではありません。

 全くイヌ・ネコの悲劇がなくなれば、動物愛護団体も必要ありません。そんな社会を願っていますし、自分たちの活動が不要になる時代が来ることを願っている活動家も、当然ながら、大勢います。

 以上、記事の趣旨の補足説明としてご理解いただけたのなら幸いです。


 最初のメールの送信者は、動物愛護を唱えることで食べていっている人たちや寄付を募る人たちに相当な不信感を抱かれているとのこと。高い譲渡率を誇るところも、その裏ではいい加減な譲渡によるものであることを情報公開請求にて知ったとのことでした。さらに返信にて、余裕があれば、情報公開請求をお勧めされたが、この方は御存じなのかどうか定かでないが、私は9年半行政にいた人間です。過去の職場(他の地域であっても同じ)に情報公開請求する気はいまのところありません。


 いろんなメールをいただきます。気が向いたら、返信する場合もありますが、「単に感情をぶつけたかっただけかな?」と思うメールもあり、原則、直接返信しないことにしています。興味深いメールや励ましのメールもありますが、余裕のない時は、疲れますね。
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by fussyvet | 2009-09-23 08:25 | 動物

食用に回していれば、話は別

 昨日の記事の中で、食用に供する目的でなければ「と畜場法」に該当しないと記したけれど、どうも嫌な想像が頭から離れない。

 獣医系大学の病理学または解剖実習では、起立しているウシの前肢の後ろと後肢の前にロープを回して、前後からそのロープを学生が引っ張ってウシを仰臥させる。その際、廃用になったとは言え、元気はウシは当然大暴れするわけで、セラクタール(R)など麻酔薬や鎮静薬が予め投与されるのだけど、酪農学園大学ではその前投与が行われていなかったのはなぜだろうと疑問に思う。まさか、解体して異常が見当たらなかったウシの肉を食肉販売業者なり、農家なり、飲食店なりに転売したり、大学の学祭で焼き肉にして売っていたりしないだろうな。万が一、そんなことが行われていたのであれば、明らかに「と畜場法」「食品衛生法」違反だけれど、いくらなんでもまさか、ね。
 食肉検査員としてと畜場に出向いていた頃、農場で立てなくなったウシをその場でと殺、解体して、検査して欲しいという業者がいたが、私の当時の上司が「と畜場法」の根本を覆す行為だとして拒否した。すると、逆切れした業者が脅し文句で食ってかかり、傍らにいた私たちも本当に恐ろしい思いをした。それでも上司は屈せず、法律を守り、獣医師として私たちの職責を全うしたわけだ。強迫にも屈せず、立場を貫く獣医師もいるわけで、あくまでももしもだが、大学が実習後の解体肉を食用に転売されることを承知で回していたとしたら、これは大問題になるはずだ。BSEの検査もしていないだろうし。
 今回の刑事告発は「動物愛護法」違反だから、「と畜場法」違反についてまで調べられるのか分からないけれど、個人的にはとても興味がある。

 毎年、一人は獣医学生が動物実験を苦に自殺したという話を聞く。国全体で自殺者の数が増えている日本だから、比としたら大したことがないと言われてしまえばそれまでだ。が、自殺の理由として、生活苦であるとか時代を背景にした要因ではなく、一貫して動物の犠牲を苦にして学生を自殺に追いやっている学会が、その事実を無視続けて改善を試みないのであれば、どんな体質の学会なのかと世間は思うだろう。このままであれば、自殺者もなくならないし、内部告発もまた起こるだろう。そして、動物愛護運動も先鋭化するだろうし、賛同者も増えるだろう。一つ一つの事件で「ああ、よかった。」じゃなくて、もういい加減にその一つ一つを学会全体で考えるきっかけにすることが建設的ではないだろうか。
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by fussyvet | 2009-08-25 09:55 | 動物

酪農学園大学が刑事告発された件

 JAVA「動物実験の廃止を求める会」が酪農学園大学の学長を相手取り、通称動物愛護法違反容疑で札幌地検に刑事告発したそうです。以下、同サイトから引用

引用ココから*****
 酪農学園大学獣医学科では、牛の病理解剖や剖検、解剖実習、殺処分において、鎮静剤(キシラジン)もしくは筋弛緩剤(サクシニルコリン)の接種のみしか行っていない状態、つまり、牛を意識や感覚が明瞭である状態で、学生達が力づくで牛を横倒しにして、押さえつけ、首を切り開き、頚動脈を引っ張り出して切断し、放血(血をすべて流れ出させる)させて殺しています。牛は大変な苦痛と恐怖を味わいながら死んでいくのです。

 その他、筋弛緩剤(サクシニルコリン)と獣医用薬品ではない科学実験用の試薬である硫酸マグネシウムを注射し、全身、特に呼吸筋と神経系機能を侵し、窒息死させたり、牛舎や牛の体を消毒するための逆性石鹸「パコマ」を静脈内に投与し、酸素欠乏に陥らせて殺処分する、といった方法も用いられるケースがあるのです。

 虐殺の実態は、酪農学園大学の獣医学生など関係者からの内部告発で明らかになりました。その実態は以下のとおり、非常に凄惨です。
***************************

 筋弛緩剤を頸静脈に打ち、牛が倒れたら「足結び係」が足を結び「放血係」が首を刀で裂き、頚動脈を引き剥がし、鉗子で動脈を挟み、ハサミで切れ込みを入れ、バケツにつながるチューブを動脈内に挿し込み、鉗子をはずし放血をする。
 眼瞼反射や肛門反射で死を確認し、足のロープにフックを掛け、吊り上げて体重を量る。解剖室中央に牛を移動させ(天井からフックのついた牛を左右に移動できる機械がある。有線のリモコンで操作。)頭をはずし、また牛を移動させ、台に降ろし、四肢をまずはずし、そのあと「腹出し係」がお腹を刀で裂き、腸、胃、肝臓などを取り出す。
 そして「胸出し係」が胸くうを空け、肺と心臓を取り出す。一方では「脳出し係」が脳を出している。
子牛の場合は、ドンと押せば倒れるので、その要領で倒し、足を結び、いきなり刀で首を裂く。時折、子牛を連れてくる研究室の学生がキシラジンを打っていたが、牛の意識ははっきりしていた。子牛の場合はチューブを動脈内に挿しはせず、ズバっと切って血が流れるままにする。動脈は体の深部にあるので、深く切る。殺される牛の中にはそれほど弱っていない牛もいた。その際、牛がモーモー!!!!!!とひどく苦しそうに、大きな叫び声をあげることがあったが、放血を担当していた当時の病理学教室の大学院生がそれに対し、「モーモー!!!!!だってよ、アハハハハ!!」と笑ったこともあり、その光景はまさに地獄絵図のようだった。
まだ鳴いている子牛に先生が近づき、刀で気管を切り裂いたこともあった。

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 その女子学生は、この残酷な殺処分方法に対して、勇気を振り絞り、「せめて麻酔を打って欲しい」と学長に直訴しました。しかし、彼女の訴えを学長は黙殺し、この残酷な方法を続けました。女子学生は、日々、行われる牛の虐殺のことで悩み続け、昨年10月末、首をつり自殺をしたのです。彼女の死後も大学は何ら改善を行っていません。

 動物愛護法の第40条第1項において、「動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によってしなければならない」と定められており、同法に基づく「動物の処分方法に関する指針」の第3 処分動物の処分方法においては、「処分方法は、できる限り処分動物に苦痛のない方法を用いて意識喪失の状態にし・・・」とある。そして、「苦痛」の定義として、肉体的な痛みだけでなく、精神的苦悩、恐怖、不安等も含まれると定められています。
動物愛護法第44条第1項において、みだりに愛護動物を殺すことが禁じられているにも拘らず、酪農学園大学では、被告発人によって、年間約500頭にものぼる数の牛が虐殺の犠牲となっているのです。

 現在、JAVAでは、刑事告発とは別に、酪農学園大に対して、即時改善を要請していますが、全国には16の獣医大学があり、酪農学園大以外でも、同様の方法をとっている大学があると思われます。
 この酪農学園大学への活動は、獣医学教育における動物実験を廃止させるための第一歩となる重要な活動と考えています。

引用ココまで*****

 少し前に酪農学園大学の学生がウシの解剖実習に悩んで自殺したという噂は聞いたのですが、詳細はここから出ていたんですね。因みに私が学生の頃の同じ実習では、学生40人に対し殺した牛は数頭でした。年間500頭というのは学生数に比しても多いかな。まあ、酪農家から廃用となった乳牛の譲渡を受けやすい条件下にあるのだと思います。それから、私の学生の頃は、最初に牛に対してセラクタールという薬剤を筋注してから倒したこと、頸動脈からの放血時に皮下に局所麻酔薬を投与していたこと等がここに記載された酪農学園大学の方法と相違する点です。「パコマ」を静注する方法は、投与された動物は見た目には静かに死んでいくため、酪農家、養豚農家で病気で動けなくなった家畜にはよく用いられる方法です。”簡単”で”安価”でしかも消毒薬ですから、感染症が疑われる場合、消毒効果もあって一石三鳥くらいの感覚です。パコマは麻酔薬ではないのですが。
 まあ、モーモー鳴きながら死んでいく牛を嘲笑った大学院生がいるという時点で、大学の品格が問われます。そういえば、私のいた大学の医学部では、献体された遺体解剖実習で、切断された耳を壁に当てて、「壁に耳あり。」と冗談を言った医学生が退学になったという噂があり、当時、「さすが医学部だな。獣医学部ではどうして退学にならないんだろう?」と思ったものです。私の同級生は、カエルの足を使って冗談を言っていましたから。ウシの解剖実習では、ずっと飼育実習で使ってきたシズカという名前の乳牛を最初に使いました。私が大学の実習で泣いたのは、それが最初で最後です。泣くことは恥ずかしいことだと思っていたから、隅の方にいってましたが、気付いた同級生の一人が「泣くな。」とやさしく声をかけてくれました。その同級生は今、母校で教授をしています。
 夕べ、ちょうど学生に戻った夢を見ていて早朝に目が覚め、今見つけた記事です。タイムリーにいろいろ思い出させてくれますな。
 上記の様子を読んで、”地獄絵図”だと思った人は、獣医系大学に行かない方がよいかも知れません。上記の方法で主に問われるべき点は麻酔薬使用の有無だろうと思います。残りの部分はどこも同じやり方でしょう。確立された方法ですから。ことの成行きを興味深く見守りたいと思います。

 ちなみに、ウシを殺してもよいのは「と畜場法」で「と畜場」だけと決まっているのではないかと疑問を抱かれている人を見かけましたが、同法で定められている「と畜場」とは「食用に供する目的で獣畜をとさつし、又は解体するために設置された施設」(第3条第2項)ですから、食用に供する目的以外、つまり実験・実習でとさつする場合は同法に含まれないはずです。
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by fussyvet | 2009-08-24 04:55 | 動物

「真に動物を助ける職業」とは?

 日本獣医学会のQ&Aを久しぶりに覗いたら、おもしろいのがあった。獣医師を目指す高校一年生(今はもう二年生になっているはず)の女の子の「獣医師の資格をとっても、実際は動物を助けることはほとんどできないのか。また、動物を助ける真の職種を教えて欲しい。」との質問に対する回答が掲載されているが、この内容について個人的な補足、異論を書いてみる。

 回答冒頭の
「『獣医師』という国家資格は、単なる手段であって、目的ではありません。獣医学部に入った全員が獣医師を目指すわけではありません。中には、小学校の教員を目指す人、マスコミ関係の職業に就く人、プロスキーヤー、などさまざまです。
 小学校の教員は、自分の生徒に動物の命の尊さを伝え、結果的に「動物を助ける」人間の心を育てるでしょう。また、マスコミ関係の職について、自然界で起こっているさまざまな環境問題や野生動物の現状について社会に広く伝え、野生動物の保護活動を起こすきっかけを作ることができるでしょう。
 といったように、どのような職業に就いても、いろんな手段を用いて「動物を助ける」ことは可能だと考えます。」
の部分は全くその通りだと思う。(プロスキーヤーというのは、我が大先輩の三浦雄一郎氏のことだろう。なんでわざわざ超特異的でマイナーな卒後進路をここに書いたのかと考えると、思わず笑ってしまう。)

 その後、「獣医師として獣医学的知識や技術を活用して『動物を助ける』手段について」代表的なものが挙げられているが、1. 動物園獣医師については、回答者自身の職業ゆえにその通りで、異論をはさむ余地はない。が、実際に動物園の獣医師になれる獣医師は、本当にごくわずかである。この女の子が就職する年に、それだけ採用枠があるか。もしかしたら、このご時世、採用枠がないかも知れない。それくらい、確率が低いので、最初から動物園の獣医師”だけ”を目指すことは現実的でないのでお勧めしない。

 2. 小動物・大動物の臨床獣医師として、愛玩動物などの小動物と畜産動物などの大動物を診療する獣医師が同列で語られていることには、とても違和感を感じる。畜産動物の臨床は、畜産農家の利益をまず考えなくてはならない。そうなると、自然と動物の命は後回しになり、コストがかさむのであれば、安楽死や即刻と畜場行きとなるから、この場合、「動物を助ける仕事」とは言い難い。
 ところで、この質問者は女の子だが、現在、大動物臨床の職場では、体力的な観点から男性獣医師を優遇して採用している。男女平等とか何とか言っているが、これはまぎれもない事実である。この質問者の女の子が将来、大動物臨床獣医師になれる確率はとても低いだろう。また、動物病院などの小動物臨床については、人間の医者のように勤務医としてずっと勤めていける病院は少なく、3年くらい代理診療を経験したら、自分で資金を調達して開業する獣医師がほとんどである。この質問者の女の子がどれだけアクティブな子か分からないが、そのようなことを実際に女性としてやっていけるか?開業すれば、恋をしたり、子供を育てたりする暇もないだろう。そのようなことを諦められるか?あるいは、夫婦で開業することもあるだろう。が、それを見据えて、確実にパートナーをゲットできると見込めるか?代理診療をした後、経済的、家庭的に開業することもできず、将来に不安を感じて、結局、公務員の獣医職などに転職(これも採用試験は30歳くらいまでだ)する獣医師は五万といる。そのようなことを考慮せずして、漠然と「臨床獣医」を夢見ることはお勧めしない。

 4以降、製薬会社や動物実験施設の実験動物獣医師、家畜保健衛生所、食肉衛生検査所の公衆衛生獣医師、大学研究機関の獣医師とある。これらはどれも枠も大きいから、なりやすいだろう。実験動物獣医師は確かに実験動物の福祉について考えられるので、これはお勧めだけれども、ただし、動物実験の肯定が前提である。家畜保健衛生所の獣医師は検査や農家との交渉、病性鑑定が主な仕事であって、質問者のいう「真に動物を助ける仕事」に当たるのだろうか?食肉衛生検査所の獣医師は、食肉検査をするのであって、「動物を助ける」とは言い難いだろう(だって、主に殺した後のお肉を扱うのだから)。製薬会社や研究施設に行くのであれば、博士号を持っていた方が(研究者なら学位は必須)将来的に強みになると思う。

 最後の締めに、「本人の気持ちさえあれば、どの職種でも「動物を助ける」活動を進めることができます。」とあるが、これは全く奇麗ごとだと思う。この一文は若者は全く鵜呑みにしてはいけない。とにかく、どんな動物とどのように関わりたいのか、そのイメージをまず持って、その上で情報収集をすることをお勧めする。
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by fussyvet | 2009-07-08 15:37 | 動物

久しぶりに”捨て猫”を見た

 今朝、公園を横切ったら、仔猫の鳴き声が聞こえた。以前から周辺を徘徊していた猫が生んだのかと思ったら、違った。青いプラスチックの箱が置いてあり、中を覗いたら餌が散乱していた。子猫たちは既にそこから自力で脱出して、母猫を探す声で鳴いていた。ざっと見ただけで4匹。自宅で飼っていた雌猫が生んだから、そこへ捨てたのだ。生後2週間くらいだ。まだ、生まれて2週間。青いプラスチックの箱に入っていた餌はカリカリと呼ばれる固形食。生後2週間の子猫が、こんな固い餌を食うと思ったか?生後2週間の子猫は、まだ、母猫のおっぱいが必要なんだ。
 久しぶりに捨て猫を目の前で見た。頭にきた。久しぶりで忘れていた怒りの感情が湧いた。なぜ、捨てる?公園に置いておけば、子供たちや、散歩に来たネコ好きの人が拾ってくれるだろうと思ったか?実際、何人かが近付いていた。かわいそうだが、自分たちにはどうしようもないという困惑した顔だ。ここへ捨てたバカは、この人たちのこんな顔を予想したか?予想してないだろう。優しく抱きあげて、自宅へ連れ帰ってくれる“都合のいい”姿しか想像してないはずだ。午後4時にもなれば、学校が終わった小学生たちが公園にやってくるだろう。それまで、この生後2週間の子猫たちは、水もおっぱいもなく、この熱い中、衰弱せずにいられるか?まあ、そこまで弱らずに過ごせたとしよう。で、子供たちが来て、「かわいい!」と言いながら、抱き上げる姿を想像するか?それで、その子たちはこの仔猫のうちの何匹かでも家に持って帰るか?たいていは、そのまま「ごめんね。」と言いながら、再びそこへ子猫を下ろすだろう。万が一、家に持って帰ったとしても、お母さんから「うちでは飼えないの!置いてきなさい。」と言われて、また、再びそこへ戻すのがオチだ。
 いったい、この4匹の仔猫が新しい飼い主に拾われて、幸せに過ごせる確率がどれだけあると想像しているのだろうか?身勝手な。とっとと今飼っている雌猫も誰かに譲渡するといい。避妊手術もせずに仔猫が生まれたら捨てて、”飼い主”などと名乗るな。久しぶりに、本当に頭に来ている。今頃、母猫は仔猫たちを探して悲痛な声で鳴きまわっているかも知れない。生後2週間まで育てたんだ。その雌猫は食殺癖のある猫とは違って、母性があったんだろう。
 やっぱりこんな人間がまだいたんだ。

 例えば、この青色のプラスチックの箱を警察が調べて、指紋でも採って、捨てた人間を特定して、動物の虐待と遺棄容疑で逮捕してくれればいい。実際に警察を呼んでやろうかと思った。まあ、今の法律の下では警察が困るだろうから、実行には移さなかったけれど、こういう場面を見ると、それくらいの法律が必要だと思う。
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by fussyvet | 2009-06-25 10:06 | 動物

昨日の記事に追加

 下記URLにて判決文全文が読めます。興味がある方は是非、お時間あるときに読んでみてください。

http://arkbark.net/pdf/arkangelscase.pdf

 特に16ページ以降に書かれている事実関係。無理やり役員になることを迫ったり、里親候補者やその他に威圧的に振るまったり、関係に亀裂が入った途端、それまでの費用を全額請求したり…。どこかの威圧的左翼団体の糾弾会主催団体の人が頭に浮かびました。おいおい…。
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by fussyvet | 2009-06-12 13:01 | 動物

動物愛護運動を推進したいなら、問題のある団体を淘汰せよ

 動物の福祉でも動物の権利でも、どちらでも構わないが、動物愛護運動と呼ばれるものを推進し、さまざまな動物が生存するための環境にまつわる問題を排除したいのであれば、動物愛護団体間における誹謗・中傷合戦など愚の骨頂だと思う。何のための運動なのか、本質を欠いた運動に明日が来るわけはない。が、しかし、どんな運動においても、悪質な団体の存在は運動の促進を妨げるだけではなく、運動自体を疑問視され、さらには後退させる要因となり、そのような団体は排除していかなければならない。

 大阪に拠点をおく大規模動物保護団体が、別の動物愛護団体に対して名称使用の禁止等を求めて起こしていた訴訟は原告が勝訴した。高裁まで持ち込まれるようだが、とりあえず、これまでの名称は使えなくなった。この団体に関しては、過去記事でも取り上げたことがあるけれど、一方的で独善的な行政非難、募金の不透明な使い道等、問題が多かった。判決後、そのホームページに掲載された文章を読んで見た。名称が使えなくなったのなら、それを変更すればよい。そもそも、原告が怒った理由は、あたかも自分たちと関連した団体であるかのような名称を利用して、警告したにも関わらず、疑わしい活動を続けたことである。
 今後の抗告審を見守りたいが、どうしてこのような怪しい活動を続けるのか、理解できない。個人的には初めての団体にはいつも警戒しているし、怪しい団体には近付かないようにしているが、正規の手続きを踏んだ結果、問題のある団体が淘汰されることは全体的な運動のためになり、イヌ、ネコに限らず、よりよい動物との共存のためには悪質な団体は是非とも淘汰されなければならないと思う。
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by fussyvet | 2009-06-11 15:02 | 動物

また、高校生からメールをもらった

 拙ホームページを読んでくれた高校生からメールをもらった。これまでにも獣医師を志している子供から、ときどきメールをもらっていた。進路相談もあれば、ホームページを読んで進路を決定した/変更したという内容もある。今回のメールは後者だった。ずっと獣医師になりたいと思ってきたが、自分の思いが、私がよく考えるようにと促している「動物が好き→動物のお医者さん」という思考から成っているものであり、「やりがいがあれば、地位が低くてもいいじゃないか。」という私自身が”青かった”と反省する志をその若者も持っていて、全て読みきったあと、まるで「成人した自分が今の自分に語りかけているようだ。」と思ってくれたそうだ。
 結局、その子は医学部を目指すという。メールで少しだけやりとりした(決して、この世界のことをボロクソには語っていません)。その子自身がやりたいことを考えて選んだ結果だった。頑張れ、頑張れ。

 将来、優秀な獣医師になったかも知れない人材に余計なことをしてくれたな、と内輪でぼこぼこにされそうだな。でも、私はよかったと思っている。
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by fussyvet | 2009-06-08 22:56 | 動物

日本、製品安全性試験における動物利用の削減に関する国際協定に署名

 ICCVAMからのメールニュースを読んでびっくり。日本も署名しましたね。

メールニュースの内容

協定の内容

 代表として署名したのは国立医薬品食品衛生研究所の西島 正弘所長ですね。署名に参加した他の国はアメリカ、カナダ、EUです。これら各国で採用促進が望まれる毒性試験の代替法を、科学的根拠に基づき国際的に連携して推奨していくというものです。協定内容には有効性確認研究、査読研究会議およびその報告、試験法の法的考察への推薦が含まれます。つまり、推薦されるべき代替法があったら、その有効性の確認研究から検討、そして法的に認められた試験法とされるまでの工程が促進されることが期待されるわけです。これまでは非公式な約束事でしかありませんでしたが、今回の署名により公式に各国間で促進されることになるわけです。

 署名内容の和訳は余力がないのでそのうちJaCVAMなり日本動物実験代替法学会が出すことを期待します。あるいは、余力ができたら後ほど自分で追加しますが、今翻訳の仕事だらけでプライベートでやる気分ではないのでどなたか代わりにやってください(笑)。
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by fussyvet | 2009-04-28 09:49 | 動物

”ペット”を飼う資格審査

 先日、整骨院で治療中、待合室から聞こえてきた会話です。

「…。でね、そのイヌがね、眼鏡を舐めてたのよ。私、もうびっくりして、子供に『捨ててきなさい!』って言ったの。でね、結局、親子もろとも保健所へ連れて行ったの。かわいそうだけど。子供にはワンワン泣かれたよ。今でも言われるもの、『あの時は悲しかった。』って。でも、仕方ないでしょ、眼鏡舐めてたんだから。」

 どうやら、子供がかわいがっていたイヌの親子を眼鏡にいたずらしたことに怒って保健所に引き取ってもらったという内容でした。聞こえてきた会話はこれだけですから、そのイヌの親子がもともと飼われていたのか、子供が拾ってきたのか、分かりません。しかし、この会話から察すると、飼って可愛がり始めたのは子供さんのようです。しかし、”眼鏡”の件が原因で、このイヌの親子にとってもこの子供さんにとっても結果的に重大な悲劇が生じました。
 この会話を聞いているとき、私はペラペラと悪びれもせず整骨院の待合室で受付の女性に話している初老の女性に怒りを感じました。しかし、思い直していろいろなことを仮定して考え始めました。
 そもそも、この女性あるいは他の大人がこのイヌを飼い始めたのであれば、それは無責任極まりない飼い主と言える。自分たちで飼い始めたにも関わらず、イヌの習性も理解せず、眼鏡ごときで親戚など他の飼い主を探す努力もせず処分してしまうなどもってのほかでしょう。しかし、もしもこのイヌを飼い始めたのが子供であったのなら(子供が拾ってきてやむを得ず飼い始めたのなら)、どうでしょうか?捨て犬に同情し、拾ってくることは子供がよくやることです。この場合、”無責任な飼い主”という言葉は当てはまるのでしょうか?私にはどうもその場合に”無責任”という言葉を当てはめることには抵抗を感じます。拾ってきた子供が”無責任な飼い主”でしょうか、それを許した大人がそうでしょうか?私にはどうも違うように思えます。この場合、”無資格な飼い主”だったのではないでしょうか?
 今、ペットの飼育条件には実効性のある法的規制が皆無です。誰でも無条件に飼えてしまいます。海外では飼育者にも”審査”があり、その審査をパスしないとペットの飼育ができない国があります。行政による殺処分数を減らすには繁殖制限と共に飼育者側へ資格審査を設ける必要があるのではないでしょうか。一部の動物保護団体の譲渡条件には既に自主審査がありますが、徐々に一般的あるいは法明記されるとよいと思っています。
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by fussyvet | 2009-03-31 12:48 | 動物