カテゴリ:家族( 72 )

子育ての狂気2

 先日、オンラインで購入してそのままになっていた「ネットワークベイビー」を見た。
 一段落したら、保育園を辞めようかと思っている。とてもいい保育園で、息子も楽しんでいる。が、最近再び朝の保育園での別れ際に泣くようになった。保育士さん曰く、
「○○君はお母さんが大好きやねんねぇ~。」
こんな母親でも好いてくれるのか…。今、私は息子から逃げてはいけないように思う。保育園に通わせ始めたのは、社会的な理由があったわけで、一人っ子である息子にとって他の子供と関わりを持つことは世界が狭まらなくてよいとも思ったが、私自身が息子と二人きりの時間から解放されてホッとしているのも全くの事実だ。預けるようになってから、体力消耗から来る体重減少も止まった。
 せっかく当たった保育園を辞めるのはもったいない。息子の成長にとって良いこともたくさんあるのに、私は罪悪感から抜け出ることができない。どうしよう、どうしよう。こんなことを考えて、一日中仕事に集中できず一日を過ごす時もある。どうしよう、どうしよう。ずっと迷いっぱなしだ。
 9月を目処に結論を出そうと思う。いや、育児に結論なんてない。あくまでも私が判断できたらよいという目安。そして、それまで集中して仕事を進めよという自分への発破かけだ。

 「ネットワークベイビー」新ためて見ると子育てなど想像もつかない若い頃に見落としていたことがいっぱい。そして、主人公の言葉一つ一つに共感してしまった。ただ、以前見た時は、主人公が本当に狂気じみて見えたが、今見るとそれほどでもない。「こんなんじゃないわよ。もっと母親が狂ったらもっと怖いよ。」心の中で思った。今の私なら当時の富田靖子さんよりももっと迫真の演技ができるわよ。何せ実際に狂っている最中の母親なのだから。見ながら、涙が止まらなかった。全ての母親に幸あれ、だ。
 このドラマ、DVDで復刻してくれるといいのに。こういう請願はどこに出したらいいのでしょうね。
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by fussyvet | 2007-07-24 12:26 | 家族

子育ての狂気

 そう、私はまさに狂気の中にある。産後うつだとかさんざん言ってきたが、どうもそんな医学的診断名で片付けられないもののようだ。

 なぜか、遠い記憶の中にあるNHKのあるドラマのことを思い出して仕方がなかった。タイトルはわからない。富田靖子主演で、彼女がコンピューターゲーム上の赤ん坊を育て、その過程で自分自身の娘が3歳のときに死なせてしまっていることがエピソードとして盛り込まれ、最後はそのサイバーな赤ん坊を助けようとする際に思うあまりに出ないはずのおっぱいまで分泌する…と、こんな話だったのだが、ネットで検索したら「ネットワークベイビー」だった。”狂気”という言葉は、その検索途中で目にした言葉だ。こんなにしっくりくる言葉はない。
 乳幼児を育てる母親は皆正気ではないと思った方がいいだろうと思う。私自身がまだ1歳児までしか経験したことがないので乳幼児としたが、もしかしたら、子供が成人するまで、あるいはもしかしたら子供を持ってしまったら一生女は狂気の中に放っておかれるのかも知れない。勿論、とても精神がしっかりした人なら、もしかしたら、「自分は今少しおかしいな。」と感じることがない人もいるかも知れない。けれど、私は感じない人はいないだろうと断言したくなるほどに、自分のおかしさを肯定したい。
 息子がかわいい。本当にかわいい。愛している。今失ったら、私は生きていけない。しかし、それでもイライラする。言っても聞かぬ、癇癪を起こしたら止まらない、危ないところに行こうとする…全て思い通りにいかない。自分のしたいことは一切できない。こんなに愛しているのに、こんなに大切なのに、どうして言うことを聞かない、どうして危ないことをする?男女の愛憎はとっくの昔に飽きたが、そんな陳腐なものとはまた別の固い愛憎が私と息子との関係には生じている。このままいったら、子供を自分の物扱いする、自分がさんざん軽蔑してきた馬鹿親になりかねない。
 それでも息子はかわいい。いろいろなことから守ってやりたい。悪いニュースを耳にするたびに「息子に同じことが起こったらどうしよう。」と不安になる。息子が小さいからそう思うだけかも知れない。だとしたら、いつになったらこの重い不安定さから抜け出すことができるのだろう。

 もう製造も店頭販売も中止になっている「ネットワークベイビー」のVHSを購入した。私はきっと見入ってしまうだろう。最初に見たのははるか昔、独身の頃。それでも強烈な印象を私に残し、子供が生まれた今また記憶の底から浮かび上がってきたのだ。絶対に私は見入る。自分を重ねるはずだ。
 この母親の狂気というものから早く抜け出したい。しんどい。身がもたない。脱出を試みたが、ことごとく失敗した。もう、開き直ってこの狂気にどっぷり浸かるしかない。飽きるほど浸かって子育てが落ち着いたとき、きっと私は今の不安定な自分を振り返って懐かしく言うのだ。
「母親していたな。」

 安定してたまるか。不安定な私も私だ、文句あるか。
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by fussyvet | 2007-07-06 14:30 | 家族

嫉妬心

 1歳の息子を見ているのは本当におもしろい。そして、嫉妬心というのは人間の心の一番原始的な部分に近い気持ちなんだなということがよくわかる。近頃我が息子君、母親としては嬉しいのだけれど、私に近付く者に嫉妬心丸出しである。夫は勿論、ぬいぐるみも彼の攻撃対象だ。息子を寝かせつけるため、ぬいぐるみを抱っこして、
「いいこ、いいこ。一緒にネンネしようね。」
とやれば、一目散に走ってきてぬいぐるみをひっぺはがし、私の懐へ自分が納まる。夫がおもしろがって私に近付けば、哀れ夫は息子から蹴りを入れられる。今の息子は私を一番の存在場所にしていてくれるのだろう。その存在場所を危うくする対象は”嫉妬”のターゲットなのだ。他の子もこの月齢はこんなものなのだろうか?息子は本当にかわいいし、母親としてはとても嬉しいけれど、この嫉妬心を上手に消化させつつ、彼の世界を広げていってやらなくてはいけない。彼の居場所は私の元だけではなくもっともっとたくさんあることを、そして私が神様から教えられたように彼の存在もまた大切なものであることを教えてやらなくてはいけない。
 息子よ、一緒にゆっくりと大きくなろう。君の成長でママは寂しい思いもするかも知れないけれど、君の世界が広がり、幸せを感じる場所が多くなっていくこと、それが嬉しい。
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by fussyvet | 2007-04-09 13:37 | 家族

0歳最後の日

 小さかった息子も明日1歳の誕生日を迎える。この1年、大病を患うことなく、よくぞ無事育ってくれた…と諸手を挙げて万歳したいところだが、実は1度だけ、息子を失ってしまうと本気で思ったことがあった。
 11月23日勤労感謝の日、私が所属するキリスト教団の信徒大会があり、ノンクリスチャンの夫も伴って親子3人で朝から出かけていた。小さい息子も、ちょうど私の洗礼、結婚式、そして息子の献児式を取り仕切って下さった牧師さんが主催する子供のコーナーで夫と共に楽しんでおり、私は私で久しぶりの講演会を聞き、とても満たされていた。が、突然、息子を看ている夫からメールが入り、私は講演会の途中ですっ飛んでいった。息子が突然、大量に嘔吐したのだ。それを皮切りに、止まらない嘔吐と下痢で息子は脱水症に陥り、毎日医者に通ったが治まるはずのものが治まらず、8,500gあった体重が4日間で500gも減り、ついには入院することとなった。息子はぐったりし、泣き声も元気なく、夜も眠れず、何も食べず、母乳を飲んでも水を飲んでも吐き、何も食べていないのに大量の下痢は治まらず、本当に死んでしまうかもしれないと思った。幸い入院してからは、日に日によくなり、3日で退院することができたのだが、入院期間中、私は24時間付き添いで小さなオリのようなベッドに息子と一緒に入り、寝食を共にした。
 完治するまでの10日間は本当に長く、辛い日々だった。そして、元の生活にすっかり戻ったとき、平坦で同じように繰り返される何もない日常が、どれだけ待ち遠しく、幸せなものだったか、心から感謝した。子育ては自分の時間を持てない。更に社会から隔絶されている孤独感が不安となって、ずっと私を襲っていた。小さなことにとてもイライラしていた。が、この10日間の試練によって、神様は私に大切な時間というものを実感させてくれたのである。

 今でも不安、不満は尽きない。早朝から夜遅くまで仕事に追われる夫に全くキャリアから脱線してしまった自分。頭の痛い家族の問題。全ての問題は未消化なまま、そこに取り残されている。これらが一つ一つ解決するまで、私の中の葛藤は終わらないだろう。それでも毎日祈り続けるし、神に話しかけ続ける。そうして、本当に大切なものを落とさず、抱き続けられるよう、明日からの1年間もまた平坦かも知れぬ毎日を踏み続けていこう。
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by fussyvet | 2007-01-03 21:40 | 家族

図らずも・・・

 自分がVeganだからと言って、子供も同じにするつもりは全くなかったのに、卵白、牛乳、小麦粉にアレルギーであり、血中非特異IgEもワンオーダー高い息子は、離乳食に卵、牛乳は勿論、赤身魚、肉類などアレルゲンとなる食材は避けざるを得ず、結局今フィッシュベジタリアンである。何の因果か・・・ああ、神様。
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by fussyvet | 2006-07-26 11:48 | 家族

子供虐待の心理が少し分かってきた

 もうすぐ6ヶ月になる息子。乳児湿疹がひどく、医者通い。血液検査で卵白、牛乳、小麦にアレルギーがあることが分かった。どうやらアトピーの気があるらしい。とにかく痒がり、夜の寝入りばなは頭、顔をかきむしってなかなか眠れず、私も傍らで一所懸命薬を塗ってやりながら、やっとの思いで寝かす。眠っていても朝になるまで、ひどい時は1時間おきに痒みで起き、そのたびに薬を塗ったり、痒みを紛らわせるために抱っこして部屋中を歩き回って眠らせてやる。息子もそうだが、私も慢性の寝不足・・・なんて字で書くほど気楽なものじゃなくて、本当に心身ともにくたくたであった。
 それにも関わらず、医者はさらに離乳食は手作りせよなどと教唆する。あったまに来る。これ以上、頑張れない。くたくたなのに、どこにそんな余裕があるのか?こんなに頑張って、こんなに疲れきっているのに、周囲は更に努力せよと無責任にいう。この子の面倒をみるのは私しかいない。そう、私”しか”いないから、私”が”しなければならないのだ。食物アレルギー日記をつけ、離乳食を手作りし、風呂に入って洗うのにも気遣い、薬をきちんと服用あるいは塗ってやる。文字で書けばたやすい。実際はそんなものではない。今までいろいろな業務に携わったが、これほど孤独な仕事はなかった。小さな子を持つ母親はみんな孤独なのかも知れない。
 ふらふらになりながら、今日もまた夜が来る。憂鬱な夜だ。今夜こそは息子は朝まで眠ってくれないだろうか?痒みが劇的に引いていかないだろうか?そんな願いは毎日打ち砕かれ、4月以来、朝まで眠った覚えが無い。いつまで続くのだろう?息子はいつになったら眠ってくれるのか?医者は1歳になったら、などと言うが、それまで私に眠るなと言うのか。あったまに来る。
 そうして、やっぱり夜中に起こされた。眠い、辛い、身体がしんどい。体力は極限である。息子が痒みで泣く。私も一緒に泣きたい。一所懸命に薬を塗ってやる。治まらない。「痒いな、痒いな。そうだよな、痒いよな。よしよし…。」抱っこして家の中を歩き回る。…眠い。夫は眠っている。どうして私だけ。まだ、息子は泣く。イライラする。…そうして、赤ん坊の息子を投げつけたい衝動がやってくる。

 こんな思いはきっと同じような状況になった者でないと分からないだろう。とにかく、追い詰められるのだ。
 自分のイライラを赤ん坊に当たってはいけないなどということは、皆分かっている。小学生ではない。全ての母親はそんなこと頭では理解しているはずだ。
 私の解消法はとにかく昼間のかわいい息子の顔を思い出して、理性で自分を抑制する。そうしていられるうちは、まだ”まし”な方なのだろうと思う。が、これがもっともっと追い詰められた状態で、もっともっと心身ともに消耗したならば…その時は私は冷酷な母親としてマスコミに出るのかも知れない。

 こんなに辛くても、まだ私は恵まれた方なのだろうと思う。こんなこと、書く余裕があるのだから。辛さを心にしまい込み、”孤育て”する母親も大勢いるだろう。虐待する親の全てがそうなのだとは思わないが、外部やその他もろもろの要因で不本意にも追い詰められてしまう親も多いんじゃないかと想像している。

 薬を変えた昨夜、息子はいつもよりよく眠ってくれた。痒みも緩解しているようにみえる。どうか今夜も眠ってくれるように、眠らせてくれるように…、そんなことを毎日夕方になると思い、痒みと睡眠不足を覚悟して布団にもぐる日々。どうか、今夜こそは。
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by fussyvet | 2006-06-29 14:28 | 家族

親の愛情=母親の愛情の図式を捏造し、子供に似非愛情を押し付ける年寄り連中の罪

学校給食は犯罪傾向と解明不可能な病気への罹患を引き起こす(可能性有りの)世にも恐ろしい制度である
決議「学校給食に弁当の日を設けることについて」の議事録
鷲宮町の子育てを守る会
「弁当の日」というバッシング/六ヶ所村

 かつて、家電がない時代、掃除、洗濯、炊事は重労働。専業主婦になれるほど豊かでもない時代、女たちは家業を手伝いながら家事をし、子育てをした。
 その後、家電が普及し、家事に専業できるほど豊かになった。専業主婦という言葉はまだここ30~40年ほどの間に定着してきた言葉。
 そして、格差社会の現代、家族の形態も多様化し、シングルマザーも多くなってきた。専業主婦を設けられるのは豊かな家庭か、何らかの家族内の事情がある家庭だろうと思う。
 「弁当の日」を設けるよう提案したのは74歳の女性。自分のしてきたことを美化するのは結構だが、一地方議会を私物化して巻き込まないで欲しい。高齢出産で乳児湿疹のひどい赤ん坊をやっとの思いで昼寝させ、寝不足と腰痛でヘロヘロになりながらこんな記事を読むと、子供は可愛いが、こんな時代錯誤の人間がのさばる国で生んでよかったのかと後悔すらしてしまいそうになる。私はヘドが出るほど田舎の生まれだが、里も同じような決議をしているのじゃないかと妄想するとますますこの国から逃げ出したくなる。将来、2人目を育てることになったとしても、絶対にこんな決議をするような地域には住んでやるものか。こんな議員がいる限り、少子化も仕方ないね。
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by fussyvet | 2006-06-12 15:32 | 家族

魔のサイクル

 もう、本当に胸が痛くて苦しくなるような事件ばかりで、こんな負のセンサーばかり作動し続けていたら、私の心はもたなくて、あっという間に燃え尽きてしまうだろうと思うのだけれど、また一つ悲惨な事件が起きた。乳児を車の中にほったらかしにしてパチンコに興じていた若い夫婦の事件でもなければ、幼い子供が罪もないのに殺された事件でもない。勿論、これらの事件も胸が痛くて苦しくなった事件には違いないのだけれど、最も最近私の心を傷めて巣食っているのは、成人した息子に両親が殺され、自分も自殺したかも知れないというニュース。こんな悲しい話あるだろうか?高名な父親、立派な父親の下、自分も頑張ったけれど、何かが違っていて、いつまでたっても満たされないどころか、どんどん絶望の淵に追いやられてしまった私と同年代の息子。自分自身も同じような精神状態に陥ったことがあるし、身内や知り合いにもそんな状況の人間がいるので、本当に他人事とは思えない。そして、私の、まだ赤ん坊である息子も、いつかそんな絶望の淵に追いやられてしまうのではないか、そして、その時、私は母親として彼の絶望の重さに耐え切れないのではないか、そして、最後には私も「どうしてこんな風にした。」と息子に殺されてしまうのではないか、、、そんな嫌な想像ばかりしてしまう。そんな空想ばかりしているうちに、つくづく
「私はとんでもない責任を負ってしまった。」
と気付かされる。子供一人、育てる義務を負ったこと、今までにこれほど重い仕事があっただろうか?この仕事は一生私について回るのだ。こんな私が、こんな重い仕事を担ってしまって、よかったのだろうか?今更しても仕方が無い自問自答が頭に浮かぶ時が多々ある。
 誰しも犯罪者にしたくて子供を育てるわけないし、ましてや将来子供に殺されることを想像して子供を育てるわけもない。皆、一所懸命、子供との夢を持ちながら、そして時には悶々としながら子供と向かい合っている。自分が背負ったタスクの重さに押しつぶされそうになり、逃げたくなり、イライラしてどうしようもない”サイクル”に入ってしまうことがあるだろう。今の私だってそうだ。夕方になると黄昏泣きで、わけもなく泣き続け、ひたすら抱きしめて気を静めてやらないといけないもうすぐ5ヶ月になる息子。まだ、言葉をかけても分からない。ひたすら態度で示してやるしかない。息子の態度を読み取るしかない。それなのに、示しても分からない、読み取ろうとしても読み取れない、どう回復していいのかわからないそのようなサイクルに入ってしまった時間は、魔の時である。

 いかんいかん。悪いニュースは悪い暗示に結びつく。そんなニュース画面は消して、息子と一緒に散歩に出よう。
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by fussyvet | 2006-05-31 13:22 | 家族

母親として必要とされることと、無責任な愛情と

 学生時代、友人から声をかけられて、放課後に家へ帰っても親がいない小学生を預かる学童保育所でのバイトをしたことがある。そこに来る子供たちと遊んだり、話をしたりするのだ。
 そこには生まれてまもなくから、何らかの理由で母親がいない低学年の男の子がいた。その子について、常勤職員の人が言った。
「彼は・・・、何と言うか、母親の愛情を知らないので、少し年齢よりも幼稚なところがあって、戸惑われるかも知れませんが・・・。」
私は具体的にどういうことなのか分からなかったけれど、とりあえず心に留めておいた。
 まもなく、その意味が分かった。その男の子は他の子供たちと同じように、初めての私にも人懐こく近付き、そして慣れてきたら、私の乳房に手をやった。まだ、20代前半だった私はとても戸惑い、同時にとても嫌悪感を覚えた。私もまだ精神的に大人になりきっていなかった。その男の子は母親の愛情に飢えていて、女の人を見ると、つい、おっぱいに甘えたくなるのだろう。今の私なら、頭でも心でも理解して接してやることができるかも知れないが、当時の精神的に大人になりきっていなかった私は、頭で理解できても、生理的な嫌悪感を感じずにはいられなかった。

 公務員になって新人研修を受けている時、私がいた地方では何班にか分かれて、さまざまな福祉施設に実地研修に行った。そのうちの一つが乳児院だった。一泊で行く体験学習である。体験学習というのはあくまでも、こちら側の話であり、その現場にいる子供たちには関係ない。そこに行った女の同僚が、研修の報告の中で、その研修のあり方を痛烈に非難した。
「そこの子供たちは別れ際に言いました。『今度はいつ来てくれるの?』『もう帰っちゃうの?』私たちは無責任な愛情を振りまき、そこの子供たちを裏切っているのではないでしょうか?」
彼女が使った”無責任な愛情”という言葉は私の心に突き刺さり、以来、さまざまな場面でそんな愛情を意識してみると、少なからず目に付くようになった。

 昨日は心身ともに疲労がピークに達し、ともすれば無表情で息子に接する瞬間が多かった。気がつくたびに、息子に申し訳なく、情けなく思う。

 こんな母親でも息子には必要だろうか?
 私は自分の都合で息子に愛情を向けてはいないだろうか?

 そんな自問自答をしつつ、昔のことを思い出した。
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by fussyvet | 2006-05-19 00:00 | 家族

画一化することが差別につながることになぜ気付かない

高校教科書検定:父子・母子家庭に意見相次ぐ-教育:MSN毎日インタラクティブ

 05年度の高校1年用家庭科教科書の検定で、父子・母子家庭に触れたり、ペットを家族とする記述に、意見が相次いだ。これらの記述をした複数の現行教科書に対し、一部の国会議員が「これでは“家庭崩壊科”」と非難する動きがあり、01年度の前回検定から一転して「逆風」にさらされた形だ。編集者からは「現実にさまざまな家族形態があり、選択肢を示しているだけなのに」と戸惑いの声が上がっている。

 教育図書「家庭基礎」の申請本には「自分の家族観」の項目で、ロックバンドGLAYのリーダー、TAKUROさんのコラムが掲載された。父親が亡くなり母、姉と生きてきた中、「父親がいないことを、不満に思ったりした形跡はまったくない」とのくだりがある。このコラムに対し「さまざまな家族形態を考えるページの中で、親が1人の家庭の記述が目立つ」との理由で検定意見が付いた。修正でこのコラムはなくなり、「CMの家族像」と題した父子・母子家庭には触れない内容に差し替えられた。

 ペットを家族とみなす記述にも意見が付いた。開隆堂の「家庭基礎」「家庭総合」の申請本に掲載した「次にあげる関係を家族と考える?」の例示のうち、修正後は「愛情を込めて育てているペットと自分」との記述が削除された。この記述は前回検定で意見が付かなかったが、文部科学省は「家族は通常人間と考えるべきだ」と説明している。

 家庭科では、前々回の96年度検定で、家族からの自立に焦点を絞ったり同性愛カップルに触れたりした申請本4点が不合格になったが、前回の01年度検定からは一転してこれらの記述が認められ、不合格はなかった。

 一方、昨年、参院議員が国会で「浮気をする権利を教えている」「祖母は家族ではないのに、ペットは家族と考える人もいるとの記述がある」と特定の教科書を非難するなど、家庭科を取り巻く状況は変化している。

 96年度検定で不合格となった東京都内の出版社の編集者は「前々回に比べ前回は全般に基準が緩かった。しかし今回はまた厳しくなり、改訂していない記述にも意見が付いた。これも社会情勢の変化なのか」と話す。別の出版社の編集者は「今回、調査官は離婚や一人親の記述に敏感だったと感じた」と話している。【長尾真輔、種市房子】

 ◇多様な家族が実在

 若桑みどり・千葉大名誉教授(ジェンダー文化論)の話 文科省は「家族とは両親がいて子どもがいるのが“正常”」との観念に立っているのではないか。実在する多様な家族形態の中に生きる父子・母子家庭の子どもの存在を消し去ることには納得がいかない。

 ◇選択肢提示が役割

 山田昌弘・東京学芸大教授(家族社会学)の話 「家族はこうあらねばならない」と示しても教育効果はない。ペットを家族だと思う人が多いことは数々の調査で判明しているし、小泉純一郎首相も離婚している。現実を示して、実社会で幸せになるための選択肢を示すことが教科書の役割ではないか。

 ◇安楽死・尊厳死 検定意見が付く

 高校教科書では、公民を中心に安楽死・尊厳死問題が掲載されている。いずれも重要な認定要件である「患者の意思表示」が欠けた記述に対しては、「不正確な説明」との検定意見が付いた。

 「安楽死・尊厳死」は現代社会、政治経済、倫理を中心に登場。このうち実教出版の現代社会の申請本では「投薬などによって、患者の死期そのものを早めてしまう安楽死」とした。この記述は改訂していなかったが、今回は検定意見が付き、「患者本人の意思に基づき、投薬などによって死期そのものを早める安楽死」に修正された。同様に、山川出版社、教育出版、第一学習社が修正で「患者の意思表示」を記述に入れた。【種市房子】

毎日新聞 2006年3月29日 19時06分 (最終更新時間 3月29日 19時09分


 > …父親が亡くなり母、姉と生きてきた中、「父親がいないことを、不満に思ったりした形跡はまったくない」とのくだりがある。このコラムに対し「さまざまな家族形態を考えるページの中で、親が1人の家庭の記述が目立つ」との理由で検定意見が付いた。修正でこのコラムはなくなり、「CMの家族像」と題した父子・母子家庭には触れない内容に差し替えられた。

 「さまざまな家族形態」で多いのが父子・母子家庭ではないのだろうか?それでもそういう家族が社会の許容性の無さから口惜しい思いに身悶えすることが多いから、両親がいれば「普通の家族」ってわけじゃないんだよってことを教育でも教えようとしていたんじゃないの?それをア○な古ぼけ国会議員が物申したなんて、本当にこの国の未来に悲嘆する。不倫を助長するような記述ならともかく、片親が亡くなった場合のシングルファーザー・マザーについてまで”消したい”のか?離婚だって、喧嘩ばかりして憎悪に満ち溢れた両親の下で育てられるよりも、別れても互いの意志を尊重しながら生きていく、そんな家族の下で育った方が幸せな場合だってある。家族なんて、「一つ屋根の下」っていう互いの距離が近ければいいってもんじゃない。家族に限らず何でもそうだけど、「こうあるのがいい」っていう他人の余計なお世話的思いが、どれだけ人を傷付けることか。
 「祖母は家族ではないのに、ペットは家族と考える人もいるとの記述がある」って非難するバ○もいるって言うけど、自分のお母さんをいじめる姑よりも伴侶動物が好きって子供もいるだろう。家族は血じゃない。愛情の対象は周囲が無理やり特定の”あるべき”ものに向けようとしてできるものじゃないし、そうすべきではない。どこのどいつ・・・いえ、どの国会議員様がそんなことをのたまっているのか知らないけれど、そんなんが選挙で選ばれるような国、つくづく嫌気がさす。
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by fussyvet | 2006-03-30 09:24 | 家族