イヌ・ネコの譲渡を行なっているボランティア団体について

 6月11日付の記事に対してメールをいただいた。因みに通常、余裕もないのでメールへの個別の返信はできないし、今後もできません。

fussyvet 様

 こんばんは
 昨年12月に殺処分の方法について質問させていただいた○○です。久しぶりにブログを拝読させていただきました。

 6月11日付けの記事について少し意見を述べさせてください。

「何のための運動なのか、本質を欠いた運動に明日が来るわけはない。が、しかし、どんな運動においても、悪質な団体の存在は運動の促進を妨げるだけではなく、運動自体を疑問視され、さらには後退させる要因となり、そのような団体は排除していかなければならない。」

という部分に関してですが、fussyvet 様が言及されているような明らかに悪質な団体が批判されるべきなのは当然ですが、悪質な部分が表に出てこない「愛護団体」も多々あると私は考えています。

 これらの「愛護団体」は明らかに悪質な団体と裏でしっかりつながっているのであろうと、思われますけれど、このような団体は一見よい活動をしているので排除の対象と位置付けられることはまずないでしょう。

 fussyvet 様のリンク集にも、そのような 私が?と考えている団体が入っていますが、通常、裏に隠れた悪質な部分を把握することはきわめて困難ですし、愛護団体の良し悪しを問題にすることは確かに重要ですが、愛護団体の必要性について考えてみることの方がより重要ではないかと思います。

 善意からであれ、あるいは裏に隠れた悪質な動機(金銭的な利益を得ることが目的)からであれ、動物にぶらさがって生計を維持する活動であるのなら結局のところ、どのような団体であっても、ある意味、たいした違いはないと考えています。

 つまり、例えばかわいそうなイヌ・ネコを助ける活動をすることで生活しているのであれば、その前提として、人々がイヌやネコを飼う社会であることが必要不可欠ですから、ここにおいて唱えられる動物愛護は幻想でしかないでしょう。



「正規の手続きを踏んだ結果、問題のある団体が淘汰されることは全体的な運動のためになり、イヌ、ネコに限らず、よりよい動物との共存のためには悪質な団体は是非とも淘汰されなければならないと思う。」

 前述したように、その団体が悪質か否かを見極めることはきわめて困難な場合がありますから、仮に明らかに悪質な団体が淘汰されたとしても、悪質な部分が表に出てこない団体はしっかり生き残るでしょう。

 私は、動物愛護あるいは動物福祉を強調する活動は必要ないのではないかと考えています。それより、fussyvet様もおっしゃっているように、「ライフスタイルの見直しで犠牲を減らすことができる」
という点を強調すべきではないかと常々考えています。例えば、イヌやネコに関して言えば「人間、イヌやネコを飼わなくても生きていけるじゃない?」と主張できますし・・・

  「動物愛護運動を推進したいなら、問題のある団体を淘汰せよ」

とは言っても、イヌやネコを飼うのも自由ですから、飼い主に全ての責任を帰すべきだという方向でモノを言うべきではないかと考えています。すなわち、動物愛護団体に属することや動物愛護の活動に意義を見出す発想あるいはこれらを肯定する
発想から脱却すべきではないかと思うのですが・・・



 これに対する私の考えは以下の通りです。


 まず私自身は思想的改革派・現実主義的右派中道です。つまり、

> つまり、例えばかわいそうなイヌ・ネコを助ける活動をすることで生活しているのであれば
> その前提として、人々がイヌやネコを飼う社会であることが必要不可欠ですから
> ここにおいて唱えられる動物愛護は幻想でしかないでしょう。

とおっしゃることには全面的に賛成ですし、また、

>   「動物愛護運動を推進したいなら、問題のある団体を淘汰せよ」
> とは言っても、イヌやネコを飼うのも自由ですから、
> 飼い主に全ての責任を帰すべきだという方向でモノを言うべきではないかと考えています。
> すなわち、動物愛護団体に属することや動物愛護の活動に意義を見出す発想あるいはこれらを肯定する
> 発想から脱却すべきではないかと思うのですが・・・

という部分についても、私も理想として同様に考えています。

 しかし、現実を考えた場合、「無責任な飼い主」に当てはめられるような飼い主は後を絶ちませんし、これから先もいなくならないだろうと思います。そして、悪質なブリーダーによる多頭飼育崩壊もです。それを考えた場合、動物の権利を主張するのであれば、究極的には人間がイヌ・ネコ等を”飼育”しないのが、一番良いだろうと思います。しかし、現実的にはそれも近い将来でも無理だと思いますから、まず、とりあえず動物の福祉に重きをおかなくてはならないだろうと思います。そうなると、やはり今現在、危機に陥っている動物たちをどうするのかを考えたら、行政による殺処分、譲渡、および動物愛護団体による類似業務が必要不可欠だと思います。行政のみで行なえれば一番いいと思いますが、財政、人員を考えれば、絶対的に無理です。
 怪しい団体は少なからずありますし、裏でつながっているかも知れません。私がリンクしている団体は、私自身が今現在信用している団体ですから、それが信頼に値しないと思われるのであれば、是非、教えていただきたいと思います。が、いずれにしても、動物愛護団体を全否定することは、今現在はできません。

 私が当該記事で言いたかったことについて、動物愛護団体に属することや、動物愛護の活動に意義を見出すことの推進であると捉えられたのであれば、残念ですが、そうではありません。あそこで、敢えて問題のある動物愛護団体と抽象的に書いたのは、どこの団体も身に覚えがあれば、自分たちのことを書かれているのではないかと思うかもしれない、それを狙って故意にあのような表現としました。おっしゃるように、どこまでが悪質でどこまでが良質であるのか、定義することなど難しいからです。しかし、少しでも改善点が見出される団体であれば、それを直すよう、努力もされるでしょう。しかし、それでも私は動物愛護の活動に意義を見出すよう鼓舞したいわけではありません。

 全くイヌ・ネコの悲劇がなくなれば、動物愛護団体も必要ありません。そんな社会を願っていますし、自分たちの活動が不要になる時代が来ることを願っている活動家も、当然ながら、大勢います。

 以上、記事の趣旨の補足説明としてご理解いただけたのなら幸いです。


 最初のメールの送信者は、動物愛護を唱えることで食べていっている人たちや寄付を募る人たちに相当な不信感を抱かれているとのこと。高い譲渡率を誇るところも、その裏ではいい加減な譲渡によるものであることを情報公開請求にて知ったとのことでした。さらに返信にて、余裕があれば、情報公開請求をお勧めされたが、この方は御存じなのかどうか定かでないが、私は9年半行政にいた人間です。過去の職場(他の地域であっても同じ)に情報公開請求する気はいまのところありません。


 いろんなメールをいただきます。気が向いたら、返信する場合もありますが、「単に感情をぶつけたかっただけかな?」と思うメールもあり、原則、直接返信しないことにしています。興味深いメールや励ましのメールもありますが、余裕のない時は、疲れますね。
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by fussyvet | 2009-09-23 08:25 | 動物
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