「感謝して使う」?

 「実験動物を感謝して使う」とかいう人がいるらしいが、私はこの言葉が大嫌いだ。「馬鹿でないか。」とすら思う。

 どんなに感謝して使われようが、実験動物にしてみれば、何一つ不満の無い生活から意思に関係なく離脱させられ、自分たちにとって要らぬ手術を施され、苦痛に喘ぎ、時には死ぬことすらある。発展途上国におけるチョコレート生産現場での過酷な児童労働を知った者が「感謝してチョコレートを食べましょう」と偽善顔して安いチョコレートを食べ続けブクブク太り続けるのと等しく滑稽である。先進国のメタボ人間のために過酷な環境下で酷使される子供たちにとったら、感謝されるよりフェアトレートのチョコを食べてもらう方がよい。実験動物にとったら、感謝されるより使用数を減らしてもらったり、苦痛を軽減してもらったり、自分たちを使う以外の方法を考えてもらった方がよほどよい。
 こういう場合に「感謝して」という文節を使う人を見るたびに、それを大義名分にして己を弁護し、正当化を図っているようにしか見えないのだ。吐き気を催す。研究施設で「畜霊祭」が行われるが、これは実験動物に感謝するために行うのではなく、人間が犠牲にしている命があることを忘れないためにあるのだ。動物の霊は形式的な「畜霊祭」ごときで鎮まるわけがない。

 いろいろなことに心から感謝することは大切なことだ。だが、これは個人の内省作業においてのみ言えることであって、軽々と自分以外の真に苦しんでいる対象へ口にする人について言えば、自己弁護の大義名分以外のなにものでもない。
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by fussyvet | 2008-08-27 01:50 | 動物
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