獣医系大学での動物実験について

 日本獣医学会のホームページに獣医学についての質問と回答が掲載されている。そこに2007年7月20日付けでタイトルのようなQ&Aがアップされた。

獣医系大学での動物実験について

 これによれば、
「解剖や簡単な外科手術の実習には動物が生きていることは必ずしも必要ではないため、動物を安楽死させた後行っています。しかし、生体反応を見る実習では動物は生きたまま使用されております。しかし、動物は深麻酔されており、苦痛を全く感じない状態で実験されています。実習の内容によっては麻酔下で動物に何らかの処置を行い、回復を待ってデータを取るというような実習もありますが、その際は、動物が確実に回復するよう獣医師が細心の注意を払って看護しております。原則は実験動物であっても附属の動物病院に来院する動物と全く区別はしないということです。」
とのことで、これが事実であれば、獣医系大学では実験動物の福祉が配慮されているのだと思う。この回答は北海道大学獣医学部の教授によるものだが、回答文を読む限り北海道大学だけではなく、全ての獣医系大学に当てはまるのだととれる。因みに私自身が学生実習を行っていた1988年から1992年にかけては、ここに書かれていることは事実ではなかったと断言できる。しかし、今は2007年だ。15年経った今、この日本獣医学会のページにあるように

・解剖や簡単な外科実習には動物を安楽死させた後に行われているか。
・生体反応を見る実習では、動物は深麻酔されており、苦痛を全く感じない状態で実験されているか。
・麻酔下で動物に何らかの処置を行い、回復を待ってデータを取るというような実習の際は、動物が確実に回復するよう獣医師が最新の注意を払って看護しているか。
・原則は実験動物であっても附属の動物病院に来院する動物と全く区別はしていないか。


この四点について事実であるのかどうか知りたいと思い、今現在、獣医系大学に所属している学生さんに尋ねてみた。

 すると一人は「この回答文に書いてあるほど素晴らしいところまでは、まだまだ到達していない。」とした上で、

・自身が通っている大学では解剖実習はこの日本獣医学会の回答にあるように全て安楽死後だが、外科実習は、全て生体を用いる。
・「深麻酔下で手術終了後そのまま安楽死」の予定にはなっているが、その麻酔コントロールも学生が行う為に不安定で、動物に苦痛が全くない状態か疑問である。
・生体反応を見る実習では、自身の大学では苦痛を感じない状態で全て行われているというのは絶対ない。生理反応ならともかく、生体反応を見る実習では、苦痛を伴なうものは沢山ある。
・麻酔下で動物に何らかの処置を行い、回復を待ってデータを取るというような実習の際は、動物が確実に回復するよう獣医師が最新の注意を払って看護しているというのはありうるか疑問。自身の大学では、知らないところで指導教官が夜な夜な看病しているのを気づいてないだけなら別の話だが、回復後データを取る際は、学生と研究室の先輩で看護しているだけのように思う。
・「原則は実験動物であっても附属の動物病院に来院する動物と全く区別はしていない。」とのことについては今まで動物を用いた実習を行う全ての先生と話してきたが、「実験動物」と捉えていない指導教官はおらず、絶対にあり得ない。「実験動物だから仕方がないけど、でもあなたの気持ちは十分わかるよ。考えて行かなければいけないね」が、最高レベル。

 また、一人目と別の大学の通っている別の学生さんは、

・薬理学や毒性学実習では薬物の生体反応や行動を観察するのでマウスには麻酔などはしない。苦痛にのたうち回り死んでいった。
・動物実験以外にも今通っている大学には飼育方法や間引き等問題はたくさんあると思われる。

等々、体験を通した意見を語ってくれた後、「おそらくこの回答をされた教官の立場としては、日本の獣医学部は動物実験委員会で審査をしているから大丈夫と言わざるを得ないのではないか。そうでないところもあると発言したら大問題になるはずだから。」と結んでくれた。

 私個人の感想は、仮にも社会的に認められた法人格を持つ団体の公式サイトに掲載された現実と違う内容を真に受けて獣医系大学を必死に目指し、入学後苦悩する学生が増える要因になるから、由々しきことだと甚だ憤慨したが、上記二人目の学生さんが最後に言ってくれた言葉がもっともなことで、現役の獣医系大学教官としては対外的にそう回答せざるを得ない内容だったと思う。私が獣医師を目指す若者にできるアドバイスとしては、公式の言葉と非公式の言葉の両方で情報収集してから進路を決めてくださいということだけだ。この日本獣医学会に質問を寄せた本人にはこの本文を読んでもらえたらと思うが、獣医学会の公式文章だけを信じるだけでも、また個人の意見を情報源とするだけでも、どちらも危険で不十分なのだ。よく聴き、よく見極めて、最後には最も大切なことだけれども、格好だけでも金目当てだけでもなく、自分にとって一番適した道をその時々で選び、できるならば一過性ではなくその後も少しずつ大学教育における動物の犠牲について考えていって欲しいと思うのだ。
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by fussyvet | 2007-07-26 15:08 | 動物
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