悲しき暴言

 つい最近、全く無縁だろうと思っていたmixiなるものに入ることになった。閉鎖的な世界なので、自分が関係のある人と最小限のコミュニティにしか関わるまいと思い、いくつかの誰でも参加できる動物問題関係のコニュニティに登録した。その中でカナダの赤ちゃんアザラシ猟に絡んだトピックがあり、こんなやりとりがあった。
「『猟をしている人間に間違って棒が突き刺さればいいのに。そしたらアザラシ猟が中止になるかも知れない。』と 思うのは私だけでしょうか?」
「思っちゃいますよね~。私も船が沈んだらいいのに…って思ってたところです。」
読んだ瞬間、ぎょっとした。
 そういえば、先日は別の動物愛護活動家のブログで食肉に関する記事のコメントに、「と殺業者が心を取り戻さない限り」というようなフレーズがあったが、私はこれにも頭を悩ませた。と畜場で働く多くの者は動物を殺すのが好きで行っているわけではない。
 各々をもう一度書いてみる。
“猟をしている人間に間違って棒が突き刺さればいいのに“
“と殺業者が心を取り戻さない限り”
どう思われただろうか?多くの人は読んだ瞬間引くのではないかと思う。「だから、動物愛護は…。」と思った人もいるかも知れない。
 動物たちの苦痛に満ち満ちた映像を見たのだから、それらに直接手を掛けていた人間に対して瞬間的に憎悪を感じてしまうのも理解しないではない。しかし、もしも動物に関する諸問題に取り組んでいる人たちのほとんどがこれらの言動におかしさを感じないのなら、私は動物愛護運動、ひいては動物たちに未来はないと思っている。一般大衆から“引いて”しまわれる思想に何人が関心を持つようになってくれるだろうか?
 こんなぎょっとするような言葉を吐く人は一昔前の話で今はもういないと思っていた。それを覆されて余計に落胆した。それでも今は感情にばかり振り回されて一部の人に心無い言葉を吐くようなことをしない“普通の人たち”が己の中の悲しさと悔しさに負けずコツコツと活動している姿を多くみるようになったと私は思っている。動物の痛みも人間の痛みも分かる人たちが日々の中でできることをしていく、そんな退屈で無益に思える活動でしか動物たちの無駄な犠牲と苦痛を確実に減らしていけない。
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by fussyvet | 2007-05-05 22:26 | 動物
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