息子の将来のために今の私ができること

 普段、動物のことばかり書いているから、「この人は動物のことばかりで、人間のことなんてどうでもいいんだ。」と思われているかも知れないが、私は人間も含めて動物と言っているつもりだ。だから、最小限の犠牲とか苦痛の軽減とか代替法とか言っているそれらの概念は当然人間にだって当てはまる。

 私の子供は男の子だけれど、子育てでいろいろある不安や心配の中で子供が男の子であるがゆえに絶対に息子をこれからだけは守ろうと思っていることがある。それは戦争に出すことだ。「この平和な世の中で何が戦争の心配?」と思う人もいるかも知れない。けれど、最近の世の中の動きを見ている限り、私の不安は消えることがない。
 先日、一つの司法判断が下った。ご存知のとおり、沖縄戦における集団自決を軍が強制したものであることの記述を子供たちの教科書から削除するものだ。当時の軍の司令官にしてみれば、自分の人生を否定されるような思いから脱却したかっただろうし、戦争というものの中における自分の存在の仕方の否定を否定したかったのかも知れない。個人の気持ちとしては理解できるような気がする。
 が、ことはそんな個人レベルの善悪ではないと思う。当時、日本全体がそういう雰囲気だった。戦争という異常な状況で言われることは皆”ありうる”として警戒せざるを得なかった。
「敵は鬼畜だ。敵軍の捕虜になれば皆惨殺される。」
と言われつつ、手榴弾を軍人から手渡されれば、当時の標語よろしく「生きて恥とならん」と思った人ばかりだとは思わないが、「どんな殺され方をするか分からない。それなら、これで楽に…。」と思った人もいたかも知れない。”恥”を最も恐れるよう教育されている日本人だから、生き残った場合にどんなに周囲から非難されるだろうと自分自身を追い詰めた人もいるかも知れない。”かも””かも”って、これは自分自身をその状況においてイメージしただけのもの。実際に体験した人の話を聞いて欲しい。
戦争を語りつぐ60年目の証言

 現代に生きる戦争を知らない私自身は…
 私は自分の息子にこんなに大きな重荷を背負わせたくない。重すぎる。
 私は自分の息子にこんな風に死んでいって欲しくないし、敵味方関係なく人様の息子も同時に死んで欲しくない。
 私は自分の息子にこんな風に殺されて欲しくないし、どこの国の人であっても息子に人様を殺して欲しくない。
 私は自分の息子にこんなことで外国の人に「最も勇敢だ。」と褒められて欲しくない。

 私もどんなことがあっても戦争は正当化しちゃいけないと思う。例えば、日本の今まさに私たちが住んでいる地方へ軍事攻撃をしかけてくる国があったとしても、その国から国を守るために息子を戦争に出したならば息子だけ死んでしまうだろう。それよりは私は最期まで息子と一緒にいたい。だから、この国の指導者がいくら「自国を守るため」などと言おうと戦争を支持しない。そんなのはきれいごとだ。戦争がひとたび起これば、無差別に最大多数の人が亡くなり、心身ともに想像を絶する苦痛を被る。だから何としてでも、戦争に代わる解決方法を見つけなくちゃいけない。そして、それができる指導者を私は支持しなくてはいけない。

 もうすぐ、いろいろな地方で選挙があるが、私は候補者をできるだけ詳しく調べて投票する。少なくとも憲法第九条を変えることを目論んでいる政党が支持する候補者や、子供を生む能力を持たないおばさんは害悪みたいな他人を尊重しない候補者には間違っても入れない。それがこの国を「美しい国」にするために今私ができる最大のことだ。
[PR]
by fussyvet | 2007-04-05 10:30 | こうして社会は回ってる
<< 卵のポスター 狂犬病予防接種について、スパムが来た >>