人間嫌い

 小学校に入っていないほど小さい頃、私は母よりも父の方が好きだった。父のあぐらに腰掛けていた覚えもあるし、父のひざの上に乗せられて車のハンドルを握らせてもらったり、買い物に行った時、母には「ダメ!」と拒絶された欲しい物を父が「買ってやれば?」と言ってくれたり、と制約が多い母よりも父が好きだった記憶がある。
 それが小一の夏に突然変わってしまった。父の暴力が始まったのである。私が小一のある夏の日、父は庭で花火を始めた。私が喜ぶと思ったのかも知れないし、ただ単に自分がやりたかったのかそれは分からない。その日、父が始めた花火は、手で持つタイプの花火だけではなく、打ち上げ花火もあった。それを見て、母が言った。
「お父さん、危ない!止めて!」
母を真似て、私も言った。
「お父さん、危ないよ!」
そして、父はキレタ。母を殴り、私に対してもベルトを持ち出して脅した。私はどうして父がそんなことをするのか理解もできず、ひたすらショックで怖かった。母が私を連れ出して車に乗せ、さまよいドライブをした。私は呆然と助手席の窓から外を眺め、涙を母に見せないようにするのがせいいっぱいだった。
「???」
自分の身に起こっていることをどう理解してよいのかわからない。
人間嫌いの始まりだった。
「親すら信用できないのに、どうして他人が信用できるのか?」
 今思えば、当時の父を取り巻く環境から弁護することもできるが、当時7歳の私にそんな考えは及ぶはずもない。

 動物は違った。彼らは無邪気で、彼らとだけは信頼関係ができた。そして、何よりも彼らは”弱い”私よりも弱い。守ってやらなくてはいけない。こうして、私は獣医師になることを志した。

 動物愛護に関心を寄せる人の中には、私のように人間嫌いの人も多い。

 しかし、残念ながら、動物の問題は、まず人間を愛することができる人でないと解決することは不可能だと断言せねばならない。それは、人間社会が、「初めに人間ありき。」であり、動物の問題が人間の経済生活と深く関わっているからであり、動物の虐待問題に関してすら人間社会の問題と不覚関わっているからであり、”糾弾されるべき人”だけを糾弾したところで、何ら改善しないからである。

 1歳になったばかりの息子は、かわいい動物を見る度に、なんともかわいらしい声を上げて喜ぶ。私は息子に私が辿った経過と同じ道を歩ませたくはない。他人を好きになって欲しい。今から積極的に外に連れ出している。彼が獣医になりたいと思うかどうかは知らないし、何に関心を持つようになるかわからないが、獣医師であれなんであれ、もしも動物の問題に関心を寄せるとすれば、彼には”人間嫌い”から入って欲しくない。
 動物の問題は人間好きにしか解決できないのだから。
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by fussyvet | 2007-01-14 02:12 | 動物
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