生まれた命を殺すことと避妊手術をどうしてイコールで結べるのか?

情報源
「きっこの日記」2006.8.21
「猫殺し作家の屁理屈」


 動物を飼育する以上、避妊去勢手術は必要悪であると私は思っている。「必要悪」というのは、健康体にメスを入れるという観点からであり、避妊手術により雌は子宮蓄膿症の予防、発情期の苦悶回避を、去勢により雄は前立腺炎の予防、闘争本能による飛び出し交通事故を防ぐことができるなどメリットを考えれば、全くの悪ではない。何よりも、無制限な繁殖行動により生まれてきた個体を殺処分することはなくなり、人口に比して過剰なペット人口を減らすには、避妊去勢手術を行うしかない。なぜって、犬も猫も自分でコンドームを付けられないし、毎日ピルを飲めないし、その他自ら避妊できないのだから、手術により避妊してやるしかないのだ。不自然だと批判する者には、動物を飼育すること自体が既に不自然だと言ってやる。
 タヒチ在住のホラー作家が2006年8月18日付けの日経新聞の「プロムナード」という欄に次のような記事を載せた。

「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。」「動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。」としながら、「私は子猫を殺している。」と告白している。家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのだそうだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だそうだ。
 赤ん坊の頃から育ててきた雌猫を三匹飼っていて、盛りがついて、子を産む。タヒチでは野良猫はわんさかいる。もらってくれるところなんかない。避妊手術を、まず考えたが、獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか、と。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう、と。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれていることについては、飼い主の都合でもあり、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだという。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だと。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。「そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。」と。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為で、獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ(この点は私も同じ意見だけれど)から、生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っているという。「人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。」と。
 そして、「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。」と結んでいる。


 3匹の雌猫が「子を生みたい」と言っていると想像するなら、どうして捨てられる子猫が「捨てられたくない。お母さんのお乳を飲みたい。」と言っていると想像しないのか?子種を殺す避妊手術と生まれた子猫を殺すのは同じではない。苦痛が違うだろう。成猫に施される避妊手術は、意識があるのに切り刻むわけではない。麻酔下で行うのだ。その際の苦痛をあげるならば、麻酔薬を投与する際に保定されることと、術後多少傷が痛むことだ。それらにしたって、保定は一瞬であるし、慣れた者が行えば全く苦痛ではない。術後の傷は鎮痛剤を投与すれば、ほとんど感じないほどに緩和される。いずれにしろ、生まれた後に殺される子猫たちが、殺される時に味わう、絶望、孤独、そして死の苦しみに比べれば、全く問題にならない。人間が動物に関与する際に考慮しなくてはいけない基準は、”苦痛”の大きさであると常々言っているが、避妊去勢手術を受ける苦しみと、生まれてから殺される苦しみではどちらの苦痛が大きいか、言うまでもない。
 親猫の「生」の喜びを取ったと言っているが、生んだ直後に我が子を取り上げられる苦しみは考えないのか?神ではない人間が動物の「生」に関与する権利はないと言っているが、そうであれば「死」に関与する権利はどうなのか?「飼育」という不自然な形態をとりながら、「生」にだけ神を持ち出す矛盾。そして極めつけは、子殺しの痛みと悲しみも引き受けたと自らを悲劇のヒロインにしている。私は保健所では不用動物の引き取りをし、学生時代の実習初め、獣医師としてさまざまな動物の安楽死を行ったりしたが、その痛みと悲しみをこうも安く言うことなどできない。さも悟ったように、動物を殺すことをやすやすと正当化すべきではない。
 大新聞にこのようなことを堂々と載せてしまう開き直りは人格を疑う。タヒチには、動物虐待に関する法律はないのか?国外にいれば、日本の法律で取り締まれないだろうと思っての投稿かと思うと、その確信犯的図々しさに腸が煮えくり返って治まらない。

書き加え:
 この作家は開き直ってとんでもないとは思うが、それでも、子犬が生まれるたびに保健所に平然と持ってくるリピーターも五十歩百歩である。
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by fussyvet | 2006-08-21 23:25 | 動物
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