挫折

 私は以前、ある動物愛護活動家が個人で主催するメーリングリストに入っていた。その活動家は個人で動物愛護のホームページを有し、その情報量たるや本当に素晴らしく多く、載っていない情報はないのではないかと思われるほどに豊富なものであった。私は個人でそこまで情報を集め、自分の信念に基づいて行動しているその人を個人としてすごいと思っていた。その人が運営するメーリングリストもさまざまな動物愛護活動家が集うもので、当時地方公務員の獣医職であった私にとっては貴重な情報源であり、また良き議論の場であった。私は学生時代に動物実験を行ってきた者として、また保健所の犬猫の殺処分、家畜保健所の畜産行政、屠畜場の食肉衛生検査業務に関わった者として自分の立場から意見を言い、動物愛護活動が”過激”などと揶揄されぬよういろいろな面で橋渡しができたらと思ってそこに参加していた。時には大議論を交わしながら、しかし助けられることもあり、情報のgive and takeの場として大切なところであった。
 しかし、ある日突然、衝撃的な投稿が流れた。国内のある大学からイギリス人の動物愛護活動家により実験犬が盗まれたが、日本人も二人共犯者として動物愛護のあるNGO法人の理事が逮捕されたといい、そのうちの一人がそのメーリングリストの主催者であった。私は耳を疑った。ショックで言葉が出てこなかった。逮捕というものについて、どういう時に逮捕されるのか刑法を調べもした。何だ、何が起こったんだ。ニュースは本当なのか?何よりもそのメーリングリストの主催者は個人でこつこつと活動している者ではなかったのか?なぜ、そんなことをしでかしたのか?
 私が呆然と数日間を過ごすうちに、当該NGO法人のメンバーが逮捕者の援助のためにカンパを募る投稿をそのメーリングリストに再三流した。私は半ば憤って言った。
「仮にも国の税金で援助を受けているNGO法人である。カンパを募る前に、事実関係についてきちんと説明する義務があるのではないか?」
するとその言葉に反論する第三者があった。
「説明とはどのようなことですか?カンパはしたい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。」
私は愕然とした。
 この人達は自分たちが関与する世界で犯罪が起きたにも拘わらず、”仲間だから”と言ってその法を犯した者を庇っている。研究者には動物実験に関して閉鎖的だと非難し、行政には殺処分数を減らす努力が足りないと非難しておきながら、身内には甘いのか。それであれば、閉鎖的な研究者達、行政と何ら変わらないではないか。しかも今回は刑法に触れる犯罪である。有罪が確定するまでは何とも言えないとは言え、所詮やっていること、そしてその体質たるや、自分たちが非難する研究者や行政と何ら変わりはしないではないか!
 私は怒りと悔しさと失意の中でそのメーリングリストを無言で去った。後から、私が言ったことに賛成である、あの人達はおかしいという旨のメールを直にくれた人があったが、私は挫折感でいっぱいで戻ることはなかった。何の挫折感か?私は何とか”過激”という修飾語が付いてしまっている動物愛護運動の方法を無邪気に続けている人たちと行政や研究者達との架け橋になりたかったのだ。しかし、そんなことは所詮無理だったのだと敗北感にまみれた。

 今でも対話ができる活動家とは何とか話をしようと努めている。諦めた方がいいのだろうと思うが、対話できる人がいるうちは希望がある。それでも相も変わらず独善的な活動家は多く、そんな人たちの単純な正義感の刃を見ると、あの事件が起こった2003年初夏以来何も変わってはいないと思う。いつまでそんな状態が続くのか。私はホームページを作ってこんなことをしているからと言って、当初指導教官からは正真正銘、最も危険な活動家が仲間のような顔をして潜入し、”スパイ活動”をしていると疑われた。一部の動物愛護活動家もまた、私のことを自分たちの仲間側の”スパイ”だと思ったのか、「情報ありがとうございます。」とお礼を言ってきた。どちらも同じように閉鎖的、敵味方に分かれているうちは動物たちに夜明けは来ない。私はスパイなどではない。架け橋になりたいと思いながら、どちらにも怪訝な顔をされ、ただひたすら絶望感に苛まれる一介の獣医師、人間である。早く動物愛護運動が社会的に容認される方向へ向かうよう、ひたすら神に祈るだけである。
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by fussyvet | 2005-12-27 20:29 | 動物
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