鶏の殺処分風景より(2)

「動物愛護運動家は何にも分かっちゃいない。」
 学生時代は大学の先輩から、行政にいた時は同僚からしばしば聞かれた言葉である。

 鳥インフルエンザが日本で発生し、当該動物の殺処分風景を見て、心を痛めた人は大勢居るだろうと思う。一部の動物権利論者である国内の活動家は、鳥インフルエンザが発生した農家の管轄行政機関の連絡先をリンクして、「処分方法を考えて欲しい。」という旨の意見を自ら届けるばかりでなく、その文章を掲載して、コピー・ペーストにより多くの賛同者にもWebを通して行動するように求めていた。その賛同者の中には、
「私は鶏肉を食べますが、意見を送っていいでしょうか?」
と躊躇するようにその活動家に尋ねたのだが、
「もちろん、いいです。」
と言ってはばからなかったのには?マークが10個くらい連なった。
 意見を届けるだけではなく、その活動家は行政からの回答も求めていた。一個人の活動家である。コピー・ペーストされた同じ内容の文章が五万と届く中、一人一人に丁寧に回答している暇は行政の担当者にはない。こんなこと言うと、
「どうして市民の声に答えないのか?不誠実だ!」
と怒る人もいるだろう。しかし、多くの地方自治体の県庁などの担当者は一人だけである。しかも、その担当者は鳥インフルエンザの発生により、もっと優先すべき職務がある。彼らの職務は畜産の育成と保護、家畜伝染病の蔓延予防である。鳥インフルエンザなど人にも感染すると言われている疾病である。そちらの方が大切なのである。
 現場での殺処分風景が残酷だとして、
「もっと丁寧に鶏を扱って。」
という声が届けられたようだが、どの程度にすれば「丁寧」の範疇に入るのだろうか?少なくとも、作業する人間も感染の危険に曝されている。そして、近隣住民・養鶏もだ。迅速さが第一である。そして、作業する労働力は限られている。そんな現場の人間からすれば、「やっていられない。」であろう。
 一個人の活動家として、そんな多忙な人間達に声を届けて回答を要望するだけでは、ただ単に公務執行妨害以外の何物でもない。かわいい鶏のために一番良いのは、鶏肉の消費を止めること、鶏を餌としているイヌ・ネコも飼わぬこと、そして現場での殺処分風景を”丁寧な”ものに変えたいのであれば、自らボランティアを募って、殺処分に参加することを志願することである。
「鳥インフルエンザで鶏が殺処分される前に予防のため鶏用のワクチンを…。」
とも綴ってあったが、参考までにそのワクチンを開発し、製造するには他の多くの動物が犠牲になることになる。矛盾を指摘してあげたいが、相手が敵対視しているようなので何とも打つ手はない。

 先日、エスキモーのドキュメンタリー番組を見た。エスキモーの父親に倣って10代前半の息子は小さい頃から狩りをしてきた。獲物はシロオオカミに草食動物、そして一角クジラ。彼らはそれでしか生活する糧がないのだろう。ベジタリアンという生き方が選択できる環境にある者はとても恵まれていると思った。私はテレビ画面から目をそらすことはできても、エスキモーの彼らに、
「かわいそうだから、殺さないで。」
と言うことはできない。
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by fussyvet | 2005-12-24 16:15 | 動物
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