ディベート

 ALIVEという団体が主催するディベートに行ってきました。これまで広告等で知っていたものではディベートという形式はなかったので、とても興味を持って行きました。いつも動物実験反対運動団体から叩かれている京大霊長類研究所の助教授とのディベートです。こういう場所に研究者が顔を出してくるのは、少なくとも日本国内ではかってないことではないかと思います。どんなディベートになるのか、興味津々でした。研究バリバリの人で徹底的に動物実験反対運動を非難するのか、あるいはおどおどしてしまうのか、そして、動物愛護運動側の方は研究者相手にどう切り込むのか、感情論で行くのか、あるいは…。
 結果的に研究者側は動物の福祉についても考えなければならない立場の方で、私が思ったより穏やかに進んでいったように思います。また、動物愛護運動側の方もこれまでの歴史、海外の事情等を踏まえて講演後、研究者を一方的に非難するような方法ではなく進めていらっしゃいました。
 こういうディベートが公の場で持たれるようになることはとてもいいこと。研究者側にも自分が税金からの助成金をもらってやっている研究について、国民に説明する責任があることを自覚していくようになるといいと思います。そして、動物愛護運動側も、研究者が命を冒涜する大罪人であると大上段から構えた見方で非難するだけのやり方を変えていくといいと思います。それでも会場に来ていた一般の人からは、
「私は人間として全ての生物の命は同等だと思うが、先生方はどう思われるか?」
とか、
「簡単に生物の命に線引きをしないで欲しい。」
とか、研究者を人でなしであるかの如く“試す”ような意見・質問が出ました。しかし、生物の命が同等だというのは神や仏から見て同等であるだけであり、人間は実際に命について差別をしています。肉を食べる人は勿論、魚、更には植物だって命であることには変わりない。もし、本当にそれらの命も同等であるならば、私たちはベジタリアンにすらなれません。また、人間同士においても、知らない人が亡くなったからと言って泣きはしません。もし、全ての人間の命も同等であるならば、自分が愛する人でなくても不幸があったならば同じように悲しくて泣くことでしょう。けれど、実際には知らない人にまで情を移したりする人はほとんどいないでしょう。命について、誰しも知らず知らずのうちに線引きをしているのです。
 じゃあ、動物をむやみやたらと使うことは止められないのかと言えば、そうではない。やはり必要最低限に抑えることはできるはずです。そして、何よりも生きている間の苦痛をできるだけ取り除いてやることも。人間も同じです。苦痛が多い人生よりも、生きている間の苦痛はできるだけ少ない方がいい。苦痛だけの人生ならば、そのうち自分の身を消し去りたくなるものです。動物は人間のように自分の身を消し去る術を知りません。ひたすら生きることしか考えていない。そうであるならば、苦痛を与える人間がその苦痛を軽減してやることを考えていってやらなくてはいけないのではないか、それが人間の最低限の責任ではないかと思うのです。
 話が少しそれました。今回のようなディベートがもっと行われるようになるといい。そのためには研究者側も動物福祉について勉強しなければ対応できないだろうと思います。どのくらいの研究者がこういったディベートに出てこられるだろうか?残念ながら、今現在ではほとんどいないのではないかと思います。こういった討論が公開されることも動物の福祉が進んだ証拠になっていくでしょう。それから、そこに聴講に来る人も増えてくれること。残念ながら、今回のディベートには、大学祭の一環ということもあり、聴講者は思ったより少ないものでした。どちら側の人も動物の福祉に関心を持ち、増えてくれるといいと思います。
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by fussyvet | 2005-11-29 12:42 | 動物
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