人間は多かれ少なかれ他の生き物を利用せずには生きていけないが…

この時代に毛皮ですか?

 肉を食べていた時代には畜産動物に犠牲を強いてきた。学生時代は実習で動物を利用し、実験動物や保健所から払い下げられた元ペットを手に掛けてきた。就職してからは、保健所で引き取った犬猫、食肉衛生検査所や家畜保健衛生所で牛、豚、鶏、羊肉の検査をして飯の種としてきた。どんな動物でも殺される時、見た目にとても悲惨である。ベジタリアンが増え、肉食性のペットを飼育する人がいなくなれば、畜産動物の犠牲は減るだろうと思い、肉食を止め、小動物臨床獣医師にもならず、自身で動物を飼うことも止めた。化粧もせず、純植物油脂石鹸を使えば、その分野でも犠牲となる動物は減らすことができる。残るは、医学、医療品開発の過程で犠牲になる実験動物である。医者にかからず、薬も飲まない生活は私にはできない。そこで実験動物の福祉、代替法、苦痛の除去に関わるため紆余曲折を経て、遅ればせながら現在の道を選ぶに至った。

 動物の犠牲がやむを得ない場合、残酷さを決めるのはその動物に及ぼす恐怖や苦痛の程度である。これまでに私が見てきて一番残酷で不必要に酷いと思ったのは、学生時代の外科実習で骨折の整復術に使われた保健所払い下げの子犬たち、屠殺室から逃げ出したために撲殺された豚、通常の方法ではなく首つりにより屠殺された羊である。参考までに私が見てきた動物実験は麻酔をかけられた状態であるため、私の中では一番残酷であるうちには入らない。
 そんな現場から逃げてはいけないと思い直視してきた私だけれども、毛皮を取るために殺される動物の映像は1分と見ていられなかった。地面に叩きつけるような方法では苦痛が長引く。意識があるうちに四肢を切断し、毛皮を剥いでいく。せめて屠畜場で行われているような不動化を含め、迅速に意識を失う方法でなされるべきだ。
 残酷さは苦痛の大きさを指標にすべきである。
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by fussyvet | 2005-10-05 20:10 | 動物
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