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鶏の殺処分風景より

 鳥インフルエンザの発生により、当該農家の養鶏は全て殺処分されている。その光景を何らかで見た人の中には「かわいそう。」と声を漏らす人もいるだろう。殺処分されてしまう生き物、確かにかわいそうである。その感情を否定はしない。さて、そこから更に「もっと殺処分方法を考えて。」とか「殺処分すること自体を考えて。」と訴える人もいるだろう。しかし、殺処分を行う人力と殺処分しなければいけない羽数、そして感染拡大を防ぐために一刻も早く効率的に処分しなければいけないことを考え合わせると人道的な処分方法の考慮は二の次となる。また、殺処分自体を見合わせることについては経済的事情、病気の蔓延を考えれば無理な願いである。どうして殺すことよりも経済的事情や効率を優先させるのか?理由は簡単、彼らは畜産動物だからである。
 数年前に合った動物愛護活動家が喫茶店でパンケーキを注文していた。当時からVeganであった私はキノコと大根おろしのパスタ(それでもパスタには原材料に卵を使用しているものがあるので定かでないが)を頼みながら、「パンケーキには卵と牛乳が含まれていることは知っているはず。この人は畜産動物や実験動物の愛護については反対ではないのだな。」と思った。しかし、万が一、その人が今回の騒動で鶏の殺処分について異議を唱えているとしたら、それは残念ながらとてもおかしいことである。畜産動物は人間の利益になるために存在させられている動物である。鶏卵が市場に出回ることを望んでいる限り、鶏の権利なるものは容認していないことになる。鶏の福祉について望む者は権利論者ほど極端ではないけれど、それでも経済動物である限り、福祉には限界があるのだ。今回の殺処分は免れない。鶏をいかなる災いからも救ってやりたければ、鶏卵を食べるのを止めるしかない。
 海外でボーイスカウトか何かで鶏の屠殺解体調理実習が保護者からのクレームで中止になったらしい。それらの保護者は当然ベジタリアンだろうか?肉は喰らうが、手を汚すことは嫌だという思想からのクレームならば論外だ。鶏卵を食べながら、鶏を殺処分することは許せないと思っている人よりは、ボーイスカウトで鶏の屠殺解体調理を行う人の方が善人だと思うのは私だけだろうか?
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by fussyvet | 2005-06-28 20:21 | 動物
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