最悪のことを想定しながら生きる生き方の癖

 子育てというものは、大変だが喜びも大きいという。私はまだ身体の中に抱え込んだだけで、生んでもいなければ育てることも経験していない。妊娠が分かった時、子供を生むことなどないと諦観してきた私に神が与えてくれたと、本当に嬉しかった。

 昨日、彼が以前痛めた腰痛を再発した。ただのギックリ腰である。が、医者で診断を受けるまで、私は心配で心配で仕方がなかった。こんな私が考えたこと。
「今、彼に倒れられたら、どうしよう?出産するなり、一人で稼いで子育てもしていかなければならないなんて、そんな…。」
 たかがギックリ腰で大袈裟な、と言われるだろうが、いつも最悪の場合を想像してそれに対処しようとしていこうとするのが私の生き方の癖である。最悪の場合を想定しておけば、現実はたいていそれよりもましであることが多く、後は良い方向へ這い上がっていくだけだからだ。弱い人間の自衛策であり、私はずっとそんな生き方をしてきた。しかし、出産を前にして夫が働けなくなった場合に起こることは、どうやって対処していいのか、今の私にとっては想像する前に気が遠くなって思考停止してしまうほど恐ろしいことである。想像するも何もない。ひたすら働いて育てるしかないのだ。
 子供を生み育てることを考えた時、私のこれまでの生き方では煮詰まってしまう。一人の時は自分一人を守っていくことを考えていけばよかった。けれど、これからも同じような生き方でいくと、自分の家族にとっての最悪の場合も想定していかなければいけなくなる。悪い想像は人数分だけどんどん際限なく膨らんでしまうだろう。それよりも良いことを想定して一人では得られなかった喜びを膨らませていった方がいい。そう、そうなのだ。それはわかっている。しかし、ずっと小さい頃から染みこんでいる生き方の癖を止めるのは本当に難しい。彼のギックリ腰で自分の危うさを実感させられることになった。ギックリ腰様々だ(勿論、早く治って欲しい)。
 子育ては長丁場である。想像したって仕方がない先のことを想像しながら生きるより、今日明日のことを大切に考えて生きていった方が幸せになれるだろう。いつから、このおかしな癖が私についたのか。完全主義の性格のせい?そんなものはとうの昔に捨てたはずである。あるいは、今でも私は傷付くことが恐ろしい、自分勝手な人間なんだろうか?自己中心の罪は二度と背負わぬように、神を知ってから心掛けてきたつもりなのに、少し幸せになってくるとつけ上がる、やはり私は愚かな者である。この罪をお腹の子供が受け継がぬように。どうか、この子は私に似ないように。彼の前向きで優しいところを受け継ぐように。そして、自分には分からぬ、私の良いところだけ神が拾ってこの子に与えて下さるように。私が実感できなかった愛情というものをこの子は感じながら育ちますように。私自身がこの子に愛情を伝えられる者になりますように。どんなことがあっても、親子共々感謝して生きていける者になりますように。…祈りも倍増である。
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by fussyvet | 2005-06-06 17:38 | 家族
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