「震える獣医師」

 獣医学生5年の新年、私は飼っていた小鳥を失った。高校一年の夏に雛から育て、私にだけなついている、とてもかわいい小鳥だった。紙をくちばしでちぎり、自分の羽根の下に埋め込む習性がある鳥だった。その鳥が死んだ時、助けられなかった自分がどうしようもなく腹立たしく悔しかった。「獣医学生のくせに。」私は三日三晩何も食べられず、布団をかぶってずっと泣いていた。これまでに妹と祖父母を失っているが、その悲しさは何ら変わるところがない。
 ペットロス症候群という言葉がある。この言葉をあまり好きではない。余りにも形骸化した感じがするからだ。愛するものを失った時の悲しみは計り知れない。そして、伴侶動物の臨床獣医師は誰かが愛しているものの命を預かる、肩の荷が重い仕事だ。当初、私は漠然とそんな臨床獣医師を目指していた。しかし、私は自主的に卒後一年間の研修生を経験した後、臨床獣医師になることを止めた。
 今の日本で、伴侶動物の臨床獣医師になれるのは三種類の人間である。すなわち、余程優秀な者か、余程無神経な者か、あるいは余程傲慢な者である。私は傲慢な者であったが、それでも臨床獣医師になるのは死ぬほど恐ろしいと思った。現在の日本の獣医制度は、誰かが愛しているものの命を預かる肩の荷の重い仕事を行える者を作れるシステムにはなっていない。普通の感覚を持った人間なら途中でその恐ろしさに気付く。卒後教育もまともになく、いきなり診療の現場に出されるのだ。「ブラックジャックによろしく」という漫画で、人間の医者の研修医がアルバイトの当直先で、運ばれてきた急患を目前にして何もできず、ひたすらガタガタと震えるシーンがあった。あれと同じことは獣医の臨床の世界でも起こっている。人間の医者の体制は徐々に変わりつつあるようだが、獣医の世界はどうだろうか?
 「身体で覚える徒弟制度」…旧態依然とした日本のやり方では通常まともな獣医師は育たない。一部の器用で優秀な臨床医はそれでも独力で育っていく。しかしそれならば、教育者など要らないではないか?皆リストラすればよい。決してそうではないだろう。現役の者には下の者をきちんと育てる責任があるはずである。しかし、それは現在のやり方ではない。このままでは今後も獣医に対する医療過誤訴訟は人間並に増えていくだろう。それを訴えられた獣医師一個人の問題として放っておくのは、現在の獣医師の世界の上に立つ者達の怠慢であり、責任逃れだとも思う。本当に自分以外の者のことを考えるなら、「震える獣医師」を減らす方法を考えるべきである。そしてそれは決して封建社会のものであってはならない。
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by fussyvet | 2005-06-05 06:45 | 動物
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