「安楽死」賛成

『尊厳死』について

「尊厳死」

 もはや「安楽死」とは言わないんだな。動物の場合、法律では「安楽死」のことを殺処分という。人間の「尊厳死」と動物の「殺処分」という表現からわかることは、人間の場合、あくまでも同種の動物であるヒトによるヒトのためのヒトの安楽死であり、動物の場合、ヒトによるヒトと動物のための動物の安楽死であるが、それはヒトの下で動物の命がコントロールされることを意味し、動物の命に対して異種であるヒトがその決定権を持つということを端的に示している。
 我々獣医師はその動物の命について決定権を持つ職業である。私は「安楽死」が行えることは人の医者に比べて幸運な点であると思っている。動物はいつか死を迎える。それを受け入れず、その動物を取り囲む人のために延々と呼吸と心臓の鼓動を維持することは、余計な苦痛を長引かせているだけであり、死を受け入れられない人間の傲慢ではないかとさえ思う。念のため付け加えておくが、これはあくまでもその苦痛を除去する方法が死以外にないと正当に判断できる獣医師のみが行うべきであり、それができない獣医師が安易に安楽死を選択して良いということではないし、これ以上、臨床獣医学を発展させる必要がないという意味でもない。獣医学の発展は「安楽死」の選択の容認と絶えず平行して目指されなければならないし、動物の苦痛を見抜くことが出来る獣医師の養成は遅れており、その判断力を持った獣医師の確保が先決であることは言うまでもない。
 さて、人間の場合については私は人のお医者さんではないので患者として考えてみよう。私は「尊厳死」に賛成である。こう言うと、「人の「安楽死」の容認は医療発展努力の放棄である。」と言う人が食いついてくるだろう。しかし、私は上の獣医学について書いたことと同様に、「尊厳死」以外に患者の苦痛を取り除く方法はなく、これ以上の延命は患者のQuality of Lifeを損ねることになると正当に判断できる医者が存在することが大前提であり、また医学の発展を否定するものではない。「尊厳死」の容認により、医学の発展が遅れたり、いたずらに患者を「安楽死」させる医者が出てくるならば、それはもはや人としての医者のモラルに関わってくることだから、そんな人間を生まない医学教育体制や就業後教育の充実が優先課題であろう。私は自分自身が将来、苦痛に悶え苦しむだけならば、「安楽死」をして欲しいと思う。ただし、信頼できる医者に依らなければならない。
 はてさて、最近のお医者様、そんな信頼できる方はどの程度存在するのか?少なくとも、「手術の前には謝礼金を渡した方がベター。」だとか、「手術の前に謝礼金をもらえば、手術に対する意気込みも違う。」などと金で命の取り扱い方を決定するような方には頼みたくありませんな。

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『尊厳死』について
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by fussyvet | 2005-01-04 18:54 | こうして社会は回ってる
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