動物に権利はあるか?

「動物に権利があるとしたら、肉を食べることはおろか、動物実験、ペットを飼うことまで全てやってはいけないことになる。だから、私は動物権利運動には反対だ。」
 これはある研究者でもある獣医師の意見である。

 「権利」とは何だろうか?そもそも動物が「権利」という概念を持っているとは考えにくい。彼らは自分たちが生きること、それだけ考えているはずであり、「権利」という概念は人間が作り出して持っているものである。では、それだから動物に「権利」はないのであろうか?
 人間社会、例えば我が国においては、「基本的人権」として憲法で認められている他、財産権、日照権など様々な権利が認められている。しかし、これらは「公共の福祉」によると制限される。例えば、ダムを造るとき、その造成地域の人たちの住居は「公共の福祉」の名の下で侵される。しかし、だからと言ってその人たちの権利は最初からなかったかと言うとそうではない。その人たちの権利は確かにあったのだ。しかし、「公共の福祉」の下に奪われただけなのだ。
 動物の権利についてはどうか?それは人間社会の法では定められていない。今現在、食肉、その他で動物を利用している現状からすれば当然のことかと思われる。「動物の権利」の全てを法律で認めてしまえば、現在の多くの人間の営みは失われる。ペットだってそうだ。もともと自然にいた動物を家畜化したものだからだ。だから、「動物の権利」を主張する愛護運動は発展しない。自分たちに自己矛盾があるからだ。犬も猫も家畜も守りたい。けれど、犬や猫、特に猫は肉食獣である。それを飼うなら、その餌になる別の動物が必要だ。「犬も猫も家畜も守りたい。」そのために、猫の餌までベジタリアン食にしようとする輩もいるが、それは己に辻褄を合わせるためのエゴに過ぎない。猫にとってはいい迷惑である。
 では、だからと言ってやはり「動物の権利」はないのだろうか?私はそうは思わない。ダム造成のため、あるいは道路拡張のため財産権を奪われて住み慣れた土地を追われる人がいる。その人たちは「公共の福祉」のために権利を奪われたのだが、元から権利がなかったわけではない。それと同じで、人間の概念ではあるが、一部で利用される動物がいるからと言って、動物に権利がなかったわけではないだろう。動物にも人間が言うところの権利はあった。しかし、それは人間の利益のために奪われたのである。
 さて、権利には義務が伴う。義務を全うもせず、自分自身の権利ばかり唱える人は得手勝手の「利権あさり」をするタヌキ親父である。そういうタヌキは自分の権利ばかり目に映って、人の権利を認めない。しかし、他人の権利を認めること、つまり譲歩や謙虚さを持つことも人間にしかできないことである。これは対象が動物であっても同じではないだろうか?
 「権利、権利」いう人間は胡散臭い。きな臭いにおいさえする。信用できない。全ての者・動物の権利を認めていれば、全て得手勝手でとんでもない世界になってしまう。そうではなく、人間が人間らしくできることは、相手の権利を認めることだろうと思う。その意味でも私は動物の権利はあると思う。問題は、どこまでそれを認め、線引きをどこでするかということだ。人間の権利で言うところの「公共の福祉」の範囲である。
 「動物の権利」だけを基盤に置く団体は自己矛盾を生じてその道理は破綻する。しかし、「動物の権利」だけを訴えるのではなく、自分たちが利用してしまう動物の「福祉」を訴えるのがいいだろう。それでも、人間社会ではコストを考えるので、肉食をする人間やペットがいる限り、「畜産動物の福祉」については難しいだろうとは思う。
 本当に「動物の権利」を認めたいなら、肉食を止めることはもちろん、ペットも飼うべきではなく、実験動物が使われる医療サービスを受けることもできなくなる。それをできずして、「動物の権利」ばかり訴えるのは胡散臭い。自分がまずできないことをどうして他人、社会に要求できるというのか?「声だけ届ければいい。」と言って平然と従来の生活を続ける者がいるが、それは「他人に厳しく自分に甘い」。
 「動物に権利」はあると思う。しかし、自己矛盾に気付いてそれを解消していかない限り、未来はない。「動物実験反対!」と言っている者のどれだけがそれを実行できるのか?私は期待を持って尋ねてみたい。
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by fussyvet | 2004-10-24 15:16 | 動物
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