最後の歯止め

 精神科医で現在ホスピス医でもあるクリスチャン先生の講演を聴いた。余談ではあるが、医者でクリスチャンになる人は結構多い。科学者にも多いらしい。どうしてかを説明すると長くなるのでまた今度。因みに獣医師でクリスチャンになったのは私くらいか???
 話がそれる前に戻そう。で、そのクリスチャン先生の話の中で、うつ病と自殺の関連性が高いことを言われた。今、うつ病は国内でも問題になりクローズアップされているから精神科医としては当然の話題として出されたのかも知れない。その話題の中で、うつ病でも自殺する人と自殺しない人がいる。その違いについて話された。ちなみにこれはその先生個人の考え方である。
 自殺を遂行してしまう条件が3つあるそうだ。一つは、自分自身の努力ではどうしようもない出来事に出会ってしまった状態である時だ。仕事での苦悩、家庭での苦悩、恋愛での苦悩などそれぞれある。もう一つはその苦しみから逃れる術は、自分自身を消し去ることでしか解決できないと思い込んだ時だ。仕事上での責任の重さ、家族間でのトラブルなど解決方法が見いだせず、あとはもう自分自身が消えるしかその苦しみからは逃れられないような状況。そして3つ目は、外的あるいは内的歯止めがなくなった場合である。外的歯止めとは、残された家族のことを思う気持ちや自分がいなくなった後の会社の同僚への責任感などのことである。それらがその人の内にあるうちは死にたい気持ちに歯止めがかかる。また内的歯止めとは宗教や人生観など自分自身の人生に関する思いである。
 この説明を聞いて、自分に当てはめ、なるほどと納得した。私も自分自身の努力ではどうしようもない苦悩を抱え、その苦悩を取り去るにはもう死ぬしかないと思っていた。しかし、最後の歯止めとなったのは残された母や妹への思いであり、そして立ち直っていく過程で聖書に出会って救われ、自分は生きているのではなく生かされていること、どんなに神やイエス様によって自分が愛されたことを知り、今ではたまに「死にたい病」が顔を出しても「でも、神様が愛して下さっているから。」ととっとと病魔を退散させることができる。私がずっと求め続けていたものは全てそこにあった。
 どうしようもない苦しみに遭い、自分を消すことしか考えられず、家族などの外的歯止めも功を奏しない人は、是非とも一度教会へ駆け込んで聖書の中を覗いてみて欲しい。もちろん、医者の助けも必要だろう。でも、お医者さんの役目はあくまでも副の助けであり、正の助けは「どうして生きているのか」という魂の問いかけに対する答えの中にある。それは神のみぞ知るものだ。だから、教会や聖書を通じてそれを尋ねてみて欲しいのだ。
 クリスチャンになる、ならないは考えなくていい。最後の内的歯止めがそこにあること、気付いて欲しい。

参考:ミッション・バラバとライフログの関連本の参照
[PR]
by fussyvet | 2004-10-19 17:57 | 神様を愛してる
<< ワンス・アポン・ア・タイム・イ... 排膿 >>