嫌われることに慣れる

獣医は切ない職業である。獣医の仕事全てがそうではないだろうが、少なくとも私がしている今の仕事は切ない。
実験用動物にある感染症が発生した。今、そのための治療をせっせと行っている。今日も”格闘”してきた。私にとって患者であるその動物たちは、すっかり私のことが嫌いになってしまった。だって、掴まえて、普段触り慣れない部分を治療されて…、もしかしたら小児科医もそんな感じかなと想像したりするのだけれど、とにかく治療する対象に嫌われることが多いのだ。
ああ、今日も嫌われた。でも、餌を水をあげておいた。コミュニケーションも忘れない。一部の人間は、「あの人、ネコと話をしています。」とか、「こないだラットとも話してました。」とか、噂の種にしてくれている。優しく話しかけることはね、人間でも動物でも、多分植物でも大切なことなんだと思うよ。いつだったか、ある植物に「四季」だったか何だったか、あるクラシック音楽を聴かせたら、成長がよくなったとかいう研究報告があったの知らない?動物に話しかける奇妙な人間とでも何とでも噂してくれ。

ま、そんなこんなで、今日も一日が終わりそう。
嫌われても、対象に無償の愛を捧げるのだ。しかも、これみよがしの押しつけの愛ではなく、愛何だか、嫌がらせなんだか分からない愛情=治療。本物のクリスチャンには向いている仕事だと思う。「汝、求めるなかれ。」って御言葉、ありませんでしたっけ?
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by fussyvet | 2004-09-19 17:35 | 徒然
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